統制されたマスコミ〈自民党と統一教会〉の関係

天野恵一

高市早苗の「私はテレ朝・羽鳥モーニングショーファン」発言の意味を考える

〈呆れ果てる〉をもはや通り越して、その姑息さに言葉を失ってしまう。放送法上の「政治的公平」という当然の論理を逆用して、安倍晋三政権時代に、首相の意をくんで政権に批判的な番組に、圧力をかけることの正当化。〈自分たちに批判的な報道〉を「公平」さに欠けると勝手に政治的に介入することが可能となる方向への放送法の「解釈変更」をめぐる問題での、当時の総務相で、現在の経済安全保障担当相の高市早苗の発言についてである。

総務省内部から明らかにされた「行政文書」を「全くの捏造」と断定、自分は「話をしていない」と強弁、後に総務省サイドが間違いなく「行政文書」として残されたものと認定されると、「覚えていない」「不正確」とトーンダウンしてひたすら言い逃れをまくし立て続け、ついには「私の答弁が信用できないならもう質問しないで下さい」などという発言まで口にする(3月15日、衆院予算委員会)。さすがにこの発言は撤回に追い込まれたが、ヒステリックな居直りは続いている。安倍晋三にかわいがられ続けてトップ政治家の仲間入りした人物らしい、ひとかけらの誠実さもないゴロツキ右翼体質むき出しである。

安倍と高市らが組んだ「解釈変更」とは総務省幹部が、「局の番組全体をトータルに見て判断する」の内容を、一つでも気に入らない番組があればすぐ取り締まることができる方向への変更である。

しかし、トコトン呆れるのは、高市だけではない。この問題をまったく他人事のように放置し続けてきた岸田首相の姿勢も〈呆れ果てる〉を通り越している。この安倍政権の「解釈変更」は、そのラインの継承を公言しているこの政権のものでもあるはずだ。だとすれば、高市問題はストレートに岸田問題ではないか。

3月31日の「東京新聞」の社説「放送法の新解釈 首相自ら『撤回』答弁を」の結びの言葉はこうだ。

「十七日の参院外交防衛委員会での小西氏の質問に対し、総務省審議官は『一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体で判断する』との従来解釈を繰り返し述べ、『何ら変更はない』と断言した。つまり、新解釈を事実上、撤回したことになる。政府の責任ある答弁と受け止める。/そもそも放送法三条は、放送番組は何人(なんぴと)からも干渉されないことを定めている。政治的権力の介入こそ排さねばならないのが法の趣旨である。岸田文雄首相や松本剛明総務相には、自らの言葉で新解釈を明確に撤回する旨を国会で答弁するよう求めたい」。

あたりまえの主張である。が、ノラリクラリと逃げ、無責任を決め込むのが岸田の政治の基本性格だ。どういう政治決着を迎えるのか、注目すべきである。

ただ、忘れてはいけない問題がある。高市の「迷走答弁」を追いかけた「東京新聞」(3月18日)の「こちら特報部」にはこうある。

「さらに13日の参院予算委では『言いたいことを我慢してきた』と居直り。委員長の制止を振り切って『テレビ朝日をディスる(批判する)わけがない。羽鳥慎一アナウンサーのファン。朝の(羽鳥アナが司会を務める)モーニングショーを見るほど』などとわけのわからない弁明をまくしたてた」。

あきれる気持ちは、よく理解できるが〈わけのわからない〉わけではない。高市は「そもそもテレビ朝日に公平な番組なんてあるの」と「打ち合わせ」の場所でも発言していたという記録が残っているのだから、「ファンの番組がある」なんて発言は、インチキな「弁明」と解釈するのは当然と言えるかもしれないが、権力者が統制(言論弾圧)をストレートにするには、その番組を視て知っていなければならないのだ。ゆえに視ていたとしても「わけはわかる」。

この点については、重要な証言がある。元議員のジャーナリスト有田芳生は、3月1日に刊行された『統一協会問題の闇——国家を蝕んでいたカルトの正体』(小林よしのりとの対談、扶桑社新書)の「あとがき」(『空白の30年』と『政治の力』)で、統一教会への警察の準備していた強制捜査をストップさせたのは「政治の力」であるという警察幹部から聞いた話についてふれた後に、以下のように語っている。

「安倍晋三元総理銃撃事件をきっかけに、テレビへの出演が増えた。2022年7月18日に『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)に出たとき、この体験の話しをした。司会もコメンテーターも『凍りついた』とあっちこっちで報じられた。実は翌日もこの番組では統一協会を報道することが予定されており、僕は出演を依頼されていた。ところが控え室からスタジオに向かっているとき、『明日の報道はなくなりました』と伝えられた。テレビ朝日への出演はこれが最後となった。しばらくして別の局の番組に呼ばれた。そのとき、プロデューサーから念を押された。/『「政治の力」は言わないでくださいね』/これがテレビ報道の現実である。/2022年10月27日、僕は統一協会から名誉棄損で訴えられた。以降、テレビに呼ばれることはなくなった」。

テレビ局を中心にマスコミは、政治権力者の顔をうかがいながらしかニュースを流せなくなっている。すでに私たちは十分にマスメディア統制の効いたニュースしか手にできなくなっているのだ。

岸田首相は、安倍晋三と「統一教会」の関係は、〈本人が死亡しているから調べようがない〉などとデタラメ発言(本人証言なんてなくても関係者の調査で、調べられることなど腐るほどあろうに!)で、居直り続けているが、この点へのあって当然のマスコミの持続的批判は、ほぼ皆無。自己保身のための隠蔽は結果的に正当化され続けている。

自民党と統一教会の戦後の深い深い関係史を、より具体的に明らかにする作業をあきらめていない志あるジャーナリストの作業に注目しつつ、私たちも、運動的にこの課題を持続的に担い続けていく必要があることは言うまでもない。

 

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