今こそ教会と国家を分離する時だ

要約・翻訳:編集部

Stephen Evans*
インディペンデント紙2022年9月24日
https://www.independent.co.uk/voices/head-of-state-king-charles-church-religion-monarchy-b2174460.html

*Stephen EvansはNational Secular Society (NSS)の最高責任者。National Secular Society (NSS)は世俗主義と政教分離を推進するイギリスの運動団体。だれもが、その宗教、または信仰の有無によって、有利になったり不利になったりすることがあってはならないと主張している。1866年にチャールズ・ブラッドローによって設立された。(ウィキペディア英語版)

政治的な問題に関して国王は厳密に中立を保つことが期待されている。
ではなぜ宗教に関してはダブルスタンダードなのか?

チャールズ国王は君主として初めてになる国民に向けた演説で、すべての臣民に忠誠と尊敬と愛情をもって仕えるよう努める、その臣民の「背景や信条」が何であれ、と述べた。だがこの野望は、もしこの国のトップ(国王)が英国国教会のトップという役割を担っていなければ、もっと簡単に実現できるだろう。エリザベス女王の死後、チャールズ国王は直ちに教会の最高統治者となり、「唯一の真のプロテスタント信仰」の「擁護者」となった。ウェストミンスター寺院で行われる彼の戴冠式は極めて宗教的な行事となる。カンタベリー大司教はチャールズに聖油を塗り、祝福し、聖別する予定である。聖餐式も執り行われる。

我が国の君主はヨーロッパで唯一、宗教的な儀式で戴冠する君主である。これが、地球上で最も宗教色の薄い国のひとつである英国で、国家元首が就任する独特な方法なのである。1953年の最後の戴冠式以来、英国の宗教的状況は、想像もできなかったほど変化した。現在では、無宗教者が多数を占め、他の宗教や宗派を信仰する住民もかなりの割合で存在している。この人々の多くは、自分が属していない教会の特権と教義を守ることを誓わなければならない新しい国家元首を、正統化すると称する儀式に疎外感を感じるだろう。

忘れてはならないのは、チャールズ国王が守ることを誓う教義は、同性愛は罪であり、同性婚は違法であると主張していることだ。さらに、英国という1つの国全体をたった1つの教会が代表しており、その教会に毎週通う人は英国人口のわずか1%に過ぎないことだ。英国の首相が英国国教会のトップと毎週面会し、政治問題を話し合うことが本当に適切なのだろうか?

英国国教会の教義が我々の国体の中にしっかりと根を下ろしていることを考えれば、宗教的な特権が金太郎飴のように英国中に浸透していることは驚くに当たらない。チャールズ国王は、キリスト教の「信仰」だけでなく、信仰一般を擁護する意志を明らかにしたが、このことは、イギリス国教会が自らに任じている役割に沿っている。すなわち、他の宗派や宗教コミュニティを公に認めるという役割だ。他の宗教団体のメンバーが、英国国教会の後塵を拝することにどの程度満足しているかは不明だ。しかし、多くの宗教指導者たちは、英国国教会が門戸を開いてくれることで得られる高い地位に満足している。

たまたま人権が重んじられているように見えることもあるが、結局のところ、英国国教会が他の宗教団体に「テーブルから落ちたパンくず」を与えるような優遇措置は、少数派の信仰を見下し、無宗教で宗教に無関心な大多数の人々をほとんど完全に無視し、その権利を奪っている。チャールズ皇太子は故エリザベス女王とともに、信教の自由を提唱してきた。しかしこのことは、国家元首の役割を実践的なキリスト教徒だけに限定していることと、どのように整合するのだろうか? 君主制の宗教的役割は、将来の君主がすべて英国国教会の信者であるという仮定に支えられている。憲法は、カトリック教徒が君主になることを禁じている。これは、公平性や宗教・信条の自由の概念に反するものだ。

新しい国王の即位は、必然的に現代の民主主義における君主制の妥当性について疑問を投げかけることになる。結局のところ、生まれによって権力と特権を受け継ぐことは、現代の英国が支持すると主張しているすべてのものに対する冒涜である。我々の憲法の根幹をなす道徳的に正当化できない制度、つまり我々を支配する「神の権利」を当然とする制度に目をつぶることは、我々の国民精神に決して相応しくない。また、民主的な未来を切り開く能力について確信が持てないまま、過去に固執するのも相応しいことではない。

以上のように考えると、王政への支持がエリザベス女王への憧れとどの程度結びついているかは興味深いところだ。王政を続けるのであれば、国家元首が宗教と制度的な関わりを持たないようにするための改革を始めるのが正しいだろう。君主制と教会との結びつきをそのままにしておくべきだと考えているのは、英国国民の3分の1に過ぎないのだ。

「国民」nationhoodや「市民」citizenshipといった重要な概念の中心にアナクロニズムを据えることはできない。この島々(英国)に住む人々が個人の宗教や信条に関係なく、英国人としての自覚を持ち、まとまった集団の一員であると感じることを、もし我々が望むなら、我々の国民としてのアイデンティティは、実質的で包摂的である必要がある。英国国教会至上主義の上にあぐらをかく制度は、自由と平等のリーダーを自認する我が国には不釣り合いだ。自分たちがどのような国になりたいのか、真剣に議論する時が来ている。

 

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