T. フジタニ『共振する帝国 朝鮮人皇軍兵士と日系人米軍兵士』

ぼたもちお

天皇制に関心を持つ日本語読者は、T. フジタニといえば『天皇のページェント 近代日本の歴史民族誌から』(米山リサ訳、日本放送出版協会、1994年)を思い出すだろうか。フジタニは北アメリカで著名な歴史研究者で、現在はトロント大学教授である。本書の原著は英語で2011年に出版され、北アメリカの大学の東アジア研究では必読文献になっている。日本語版同様に分厚いその本のペーパーバックを、私は2016年ごろに必死で読んだ。訳者あとがきによると原著の英文は特に難解なものではないらしいが、私にはじゅうぶん難しかった。だがそんなことより、書いてある内容が新鮮で面白く、難しくてもなんでも、がむしゃらに読み続けたことを覚えている。

T.フジタニ著、板垣竜太ほか訳 『共振する帝国 朝鮮人皇軍兵士と日系人米軍兵士』(岩波書店、2021年)

翻訳が出たことが素直に嬉しい。さらにおトクなことに、日本語版には酒井直樹による解説もついていて、これがまた非常に勉強になる(酒井は日本が米国の植民地だと明言する。同感)。

私にとって、この本のとりあえず面白いところは、日本と米国についての一般常識?を気持ちよく覆してくれるところである。その「一般常識」とは、第二次世界大戦時の日本と米国は正反対の価値観を持っており、その一方で日本とドイツは似ていた、とか、米国が進んでいて日本は遅れていた、とかである。この本はそれらを覆すに当たり、実に緻密にたくさんの資料を持って論じていくので非常に説得力がある。私が興味をもった論点は、①日本と米国の植民地経営や傀儡国家設立の手法は似ており、相互に学び合っている(例えば米国は日本占領において、満洲国や汪兆銘政権の樹立の際に日本帝国が用いたやり方を参照した、100ページ)。②他民族/多民族統治にあたっては相互に競争して同様の手法をとっている(後述)。③総動員政策についても同様である(後述)……などである。

上記②について、まえがきや訳者あとがきで解説されているとおり、本書の中心となる概念は「粗野なレイシズムvulgar racism」と「上品なレイシズムpolite racism」である。著者による「日本語版によせて」から引用すると、前者が「厚顔無恥」の「排他的な」レイシズムで、あからさまな暴力や殺戮を伴うのに対し、後者は「レイシズムを再生産しつつ、その一方で主流社会や政治への包摂と生の恩恵を約束する」(viページ)レイシズムである。「粗野なレイシズム」は、ナチズムや現代日本のヘイトスピーチのようにわかりやすいが、「上品なレイシズム」は巧妙でわかりにくい。また、両者は併存することで効果を高める。米国では有色人種の大統領が登場したのにもかかわらず、有色人種へのあからさまな暴力が絶えない。アジア太平洋戦争中の日本帝国では、性奴隷制や強制連行と、植民地人と内地人を「平等とみなそうとする」「公的主張」(同)が併存していた。第二次世界大戦中に、日本と米国がお互いをにらみ合いながら、この2つのレイシズムを使い分けて自分たちを正当化し相手を貶していたというのがこの本の主張である。そのことが非常にわかりやすい題材として「朝鮮人皇軍兵士」と「日系人米軍兵士」の諸相が、支配被支配の両面から詳しく分析されているのである1)。

レイシズムを1種類でなく2種類に分けるこの考え方は非常に魅力的である。レイシズムを批難しているように見えるものが実はレイシズムだったりすることを、この概念で説明できる。今までもやもやしていたものがすっきりする。私はここから「マイクロアグレッション」の考え方を思い出した。マイクロアグレッションとは、発信者がほとんど意識していないような、日常的な「些細な」言動のことである(外見から出身地を聞くなど)。

発信者は多くの場合、自分をリベラルで平等主義者だと思っている。しかし日常的に攻撃をされる側は、そのことによって自己肯定感が下がるなど非常に深刻な打撃を受ける2)。国家の政策としての「上品なレイシズム」とマイクロアグレッションを一緒にするのはおかしいかもしれないが、「上品なレイシズム」を支えるのは「粗野なレイシズム」以上にマイクロアグレッションにつながるような意識なのではないだろうか。

アジア太平洋戦争後には、米国史上「最も成功した占領」とされる日本占領において2つのレイシズムは存分に発揮され、先述の、いまだに存在する、日本と米国に関する誤った「一般常識」が醸成されたのである。1960年代の公民権運動の成果の裏にも、冷戦の中で自分たちは人種差別をしていないと言い張りたい米国の対外宣伝があったのだった。
最後に急いで、上記③の点であるが、私は以前、日米の太平洋戦争中の庶民生活を比べ、あまりに似ているのに驚いたことがある。防空演習も、配給も、金属供出も、慰問袋も、農村や工場への動員、その他もろもろ、米国でもおこなわれていた。お互い相手の国情を偵察しているので考えてみたら当たり前だった。この本の原題Race for Empireのraceは、「人種(民族)」の意味と「競争」の意味をかけているのだという。

「民主主義」という空虚な言葉を振り回して、今もまだ、ずっと、米国は世界中で戦争をやったり焚きつけたりしている。「帝国主義」のような古臭い言葉ではなく、「民主主義」そのものの内実を問う形で「民主主義陣営」を自称する国家たちを批判していきたい。

1) 植民地台湾の様相については次を参照。
レオ チン『ビカミング〈ジャパニーズ〉: 植民地台湾におけるアイデンティティ形成のポリティクス』菅野敦志訳、2017年、勁草書房
2) マイクロアグレッションについては次を参照。
金友子「マイクロアグレッション概念の射程」
立命館大学生存学研究センター報告 24号、105-123ページ、2016年
http://www.ritsumei-arsvi.org/uploads/center_reports/24/center_reports_24_08.pdf

 

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