歴史修正主義と闘う 「慰安婦」問題の現在

池田恵理子
アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam

■記憶と記憶の暗殺者たち

「私は決して諦めない、希望を掴みとって生きていく」と、92歳で亡くなるまで闘い続けた韓国の元「慰安婦」・金福童(キム・ボクトン)さんを描いた映画『金福童』(2019年/宋元根監督)の上映会が「慰安婦」支援団体のネットワーク(戦時性暴力連絡協議会と日本軍「慰安婦」問題解決全国行動)主催で、1月21日、東京・中野から始まった。コロナ禍で日本公開はかなり遅くなったが、予想を超えて500人近くが参集した。金福童ハルモニは、アフリカや中東での紛争やベトナム戦争で韓国軍の性暴力に遭った女性たちを支え、日本の朝鮮学校の生徒たちへの支援で奨学金制度を立ち上げるなど、幅広い活動をしてきた人である。

映画を観ながら、懐かしいハルモニの静かなたたずまいと滲み出る優しさ、そして日本政府に抗議する毅然とした姿に再会できたのはしみじみ嬉しかった。と同時に、たくさんの若者たちが集まったことと、感動覚めやらない彼らの表情にも心打たれた。生存する被害女性が極わずかになってしまった今、彼女たちに直接出会えない世代は増えるばかりだが、こうしてバトンは渡せるのだ…と実感できたからだ。

一方、日本政府は「慰安婦」被害者が名乗り出てから30年以上経っても未だにその声を聴こうともせず、国家責任を認めようとしない。こんな時、いつも思うのは、「権力に対する人間の闘いとは、忘却に対する記憶の闘いに他ならない」というミラン・クンデラの言葉や、ピエール・ヴィダル=ナケの『記憶の暗殺者たち』というタイトルだ。日本政府は「慰安婦」制度の実態を隠蔽・歪曲・抹殺し、その「記録」も「記憶」も消し去ろうとしてきた張本人だからである。

日本軍はアジア太平洋戦時中、日本兵の強かん防止と性病予防のために慰安所をアジア全域に設置したが、厳しい検閲で報道を禁じ、兵士たちには「慰安婦」は“戦場の売春婦”と思い込ませた。敗戦直前には戦犯裁判を怖れて慰安所関連文書を焼却させ、証拠を隠滅した。

「慰安婦」制度が残虐な戦時性暴力で戦争犯罪だと認識されるようになったのは、被害者が勇気を奮って名乗り出て、日本政府の提訴に踏み切った1990年代からだった。裁判の過程で「慰安婦」制度の全貌が明らかになり、10件の裁判のうち8件で事実認定が、時効や国家無答責任、二国間の平和条約などで解決済みとされ、全ての請求は棄却された。

■歴史・記憶をめぐる攻防

相次ぐ敗訴で落胆する被害女性を前に、加害国・日本の女たちに何ができるかを模索する中、ジャーナリストの松井やよりさんが発案したのが、「慰安婦」制度の責任者と国家責任を裁く「女性国際戦犯法廷」だった。

国際社会も動き出した。1993年の国連の世界人権会議や95年の北京の世界女性会議では「慰安婦」問題が焦点となり、国連の人権委員会は日本に勧告を出した。対応を迫られた日本政府は2度の「慰安婦」調査を行い、1993年、河野官房長官が日本軍の関与と「慰安婦」の強制を認めて「河野談話」を、95年には村山首相が侵略と植民地支配への反省とお詫びの「村山談話」を発表した。

しかし、「法的責任はない」とする日本政府は変わらなかった。とりわけ安倍晋三議員ら、歴史修正主義の自民党右派は「慰安婦」をなかったことにしようと蠢きだした。「教育」と「報道」への介入で、国民のマインドコントロールに乗り出したのだ。

「教育」では、1997年度版の中学歴史教科書の全てに「慰安婦」が記述されたことに危機感を募らせ、「新しい歴史教科書をつくる会」、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(事務局長は安倍議員)、「日本会議」を結成。教科書会社へ猛攻撃を始めて2012年には「慰安婦」記述をゼロにさせた。

「報道」では、1997年以降「慰安婦」の調査報道が激減。“「慰安婦」報道・空白の15年”が始まった。その背後には、「『慰安婦』の強制連行の証拠はない」、「『慰安婦』は性奴隷ではない」とする安倍議員らによるメディアへの圧力や介入と、メディア側の委縮・忖度・自主規制があった。この構図が可視化されたのが、「女性国際戦犯法廷」をめぐるNHKのETV2001・番組改変事件だった。

2000年12月に東京で開催された「女性法廷」は、「慰安婦」被害の実態と昭和天皇など刑事責任を裁いた民衆法廷だが、報道の内外格差は大きかった。海外からは各国の主要メディア95社(200名)が駆け付け、「天皇有罪」の判決はトップニュースになった。他方、日本のメディア48社(105名)の扱いは極めて小さく、「天皇有罪」を見出しに書いたのは2社だけだった。

さらに、「女性法廷」をとりあげたNHKのETV2001『問われる戦時性暴力』は、「女性法廷」を骨抜き歪曲した惨憺たる番組だった。「女性法廷」の主催団体・VAWW-NETジャパンは真相究明を求めてNHKと制作関連会社を提訴。この審理中の2005年、番組デスクだったNHK職員の内部告発で、放送直前に安倍晋三官房副長官らがNHK上層部を呼びつけ、番組に介入した事実が明かされた。東京高裁では原告勝訴、最高裁では原告の請求は棄却されたが、番組への政治介入がここまで詳細に暴露されることは極めて稀で、放送史上に残る大事件となった。

このように、“記憶の暗殺者たち”のリーダーと言っても過言ではない安倍晋三議員は2006年から首相となり(第1次安倍内閣)、「『慰安婦』の強制連行の証拠はない」と主張した。これには米国や欧州の議会が批判決議をあげ、国連機関は勧告を出した。12年からの第2次安倍内閣でも彼は同じ発言を繰り返し、「河野談話」を否定しようとした。13年には友人4人をNHKの経営委員に送り込み、そこで選任された籾井会長は「慰安婦」は「戦争を起こしているどこの国にもあった」と述べた。こうしてNHKは政府の広報機関になり果て、「あべチャンネル」と呼ばれるようになった。

日本のメディアの多くは、NHKの跡を少し遅れて付いていく。「慰安婦」問題をタブー視して報道を控え、自主規制や相互監視で現場には閉塞感が強まり、政権への同調が顕著になった。その結果、2015年末には日韓外相会談で日韓「合意」が成立したとして、日本政府は「慰安婦」問題の「最終的・不可逆的解決」を宣言し、日本のメディアは「これで一件落着」と報じた。日本の世論はそれに従い、この問題に無関心になっていった。しかし被害者の声を聴こうともしなかった両政府に、韓国の被害者も世論も強く批判していた。「慰安婦」問題は、日韓の間でも一層こじれていったのである。

■「記憶の暗殺者」たちとの闘い

やがて「慰安婦」バッシングに熱心だった右翼団体は「日本国内では我々が勝利した。これからは海外が主戦場だ」と宣言、官民一体となって海外での活動に力を入れ始めた。2016年、日本とアジアの被害国の「慰安婦」支援団体が「『慰安婦』の声」をユネスコの世界記憶遺産に登録申請をすると、日本政府は様々な手を使って妨害を始めた。そして右派の団体が「慰安婦」に関わる対抗的な申請をぶつけてきたため、この登録は未だに保留になっている。

また、ソウルの日本大使館前に建立された「平和の少女像」は、今や「慰安婦」のシンボルとなって世界各地に増殖しているが、その設置を阻止しようと躍起になっているのが、日本の大使館と右翼団体である。最近ではドイツやアルゼンチンでも物議を醸している。
こうした状況に昨年10月、国連の自由権規約委員会は日本政府に対して、「慰安婦」問題に関する謝罪や責任者処罰などを問う厳しい勧告を出した。しかし日本政府は質問に応えず、従来の政府見解を繰り返すばかりだった。

「慰安婦」制度の「記録」も「記憶」も消し去ろうとしてきた日本政府は国際社会から批判の目に晒されているが、日本が国家責任を認めて、事実認定・謝罪・賠償・教育を実行しないかぎり、被害者と支援者の闘いは終わらない。「慰安婦」の“記憶をめぐる闘い”は、女性の人権を確立する闘いであるとともに、戦争へ向かおうとするファシズムとの闘いでもある。全国の「慰安婦」支援団体は、右翼によるいやがらせや脅迫、マスコミによる無視・黙殺に抗いながら、国境を越えた連帯活動を続けてきた。その中で、「慰安婦」被害者は“不運で可哀そうな被害者”から人権活動家へと脱皮して、国際社会を動かしてきたといえよう。

現在では、戦時性暴力の根絶と性暴力被害者を告発する動きが世界各国で活発化している。米国のハリウッドに端を発した「#MeToo運動」では、「慰安婦」被害を最初に告発した金学順さんこそ「#MeToo運動の元祖」と言われている。被害者の声は、アジアの国々にwamをはじめとする「慰安婦」ミュージアムを次々と誕生させることになった。

私たちは“記憶の暗殺者たち”に抗い、「慰安婦」問題の解決に真正面から取り組んでいくしかない。金福童ハルモニの「希望を掴みとって生きよう」の言葉のままに、私たちは決して諦めない。それが日本とアジアの反戦・平和につながる道であり、日本における女性の人権を確立する道でもあるからだ。

カテゴリー: 状況批評 パーマリンク