【連載】反靖国~その過去・現在・未来~ 2

土方美雄

承前(1) 靖国神社とは、一体、どんなところなのか?

以下は、靖国神社が、一体、どんなところなのかを知るための、疑似境内ツアーの、続きである。

大燈籠の前を通り過ぎると、青銅製の第二鳥居があり、檜づくりの神門へと、至る。

この第二鳥居は、以前は、現在、神門がある場所にあったが、神門の建設に伴い、現在の位置に、移された。高さが15.15メートルあり、各藩が、明治維新政府に提供した大砲をつぶして、それを原材料に、大阪の大砲工場で、つくられた。つまり、当時の、兵器製造の技術の粋を集めて、このひとつの継ぎ目もない構造の、青銅の鳥居が、つくられているのである。

神門は、現在は倒産してない、第一徴兵保険会社という会社が、その契約額が5億円に達したことを記念して、1887年に、寄付したもので、檜は台湾で伐採され、軍艦によって、日本に運ばれた。この門の、中央の二つの扉には、直径1.5メートルという大きさの、金箔が張られた、菊花紋章が描かれている。いうまでもなく、皇室の紋章で、靖国神社は、文字通り、正真正銘の、天皇の神社なのだ。
靖国神社の前身である、東京招魂社が創建されたのは、1869年のことである。大村益次郎が、幕府の歩兵訓練所があった九段坂上を、その社地として選定すると、わずか10日あまりで、あわただしく、仮の本殿と拝殿が、つくられ、大規模な招魂祭が、ここで行われたということは、すでに記した。

明治天皇は、この東京招魂社に、社領として、1万石を「下賜」した。もっとも、実際には、明治維新政府には、どこにも、そんな資金はなく、半額の5千石が、国庫の欠乏を理由に、返上されることになった。それでも、まだ、同社の社領は、天皇の皇祖を祀る神社である、伊勢神宮に次ぐ、破格の優遇である。

兵部省は、東京招魂社の祭礼を、1月3日、5月15日、同18日、9月23日の、年に4回と、決めた。これは、それぞれ、伏見戦争記念日、上野戦争記念日、函館降伏日、会津降伏日に、あたる。もっとも、会津降伏日は前日の22日だったが、その日は明治天皇の天長節(誕生日)と重なったため(編集部注:明治天皇は旧暦の1852(嘉永5)年9月22日生まれ。9月22日は新暦採用(1872年)後は11月3日)、翌日に延ばされた。要は、天皇の軍隊が、幕府軍を華々しく打ち破った記念日が、同社の祭日になった。その日に、天皇の軍隊の死者のみを、神として祀るという、明治維新政府の政治的な意図が、あまりにも透けて見える、祭日設定である(その後、前述の年2回に、変更)。

明治天皇は、1874年1月の例祭に、初めて、東京招魂社に参拝した。同社は、この当時、兵部省から、陸海軍の共同所管になっていたが、この日は、その陸海軍の部隊参拝が行われ、天皇はこれを境内で、閲兵するというセレモニーが、行われた。

文字通り、天皇と軍隊と神社とが、完全に渾然一体となった、かつて類のない軍事的宗教施設の姿を、私たちは、そこに見てとることが出来る。

この当時、明治維新政府は、それまでにない、内部抗争の渦中にあった。西郷隆盛、板垣退助、江藤新平といった重鎮が、次々に、下野し、江藤は旧佐賀藩士を糾合して、佐賀の乱と呼ばれる、武力を伴う、反政府運動に打って出た。佐賀の乱を鎮圧すると、政府軍の死者200人余りが、東京招魂社に合祀された。また、この年、政府は初の対外戦争となった、台湾出兵も強行し、その戦死者も、東京招魂社に合祀され、明治天皇は2度目の、参拝を行った。

以降、内外の争乱で、戦死者が出る度に、臨時例大祭を行い、天皇の軍隊の戦死者のみを、神として祀るという方針が、確立した。

自らも、神(現人神)である天皇が、天皇のために戦って死んだ臣下を、神として祀るという行為で、天皇のために戦い、死ぬことの出来る人間を、さらにつくり出していく仕組みこそが、東京招魂社=靖国神社の、いわばキモである。だから、神門には、この神社が天皇の神社であることを示す、菊花紋章が刻まれているのである。

1879年、東京招魂社は、靖国神社と、改名した。当時の祭神数は、1万880柱へと、膨らんでいた。

神門をくぐると、あとは、拝殿と本殿のまで、目と鼻の先である。霊璽簿奉安殿は、神の名前を書いた霊璽簿を保管している場所で、本殿の裏にある。参拝者が集まる参集殿等々の施設も、このエリアに集まっている。

もうひとつ、靖国神社の境内ツアーで、絶対に、忘れてはならない場所がある。1892年に建設された、日本で初の軍事博物館である、遊就館である。博物館であるので、ここは入館料がいるのだが、とりあえず、一度は、入って欲しい場所である。何故なら、靖国神社の本質が、一番、よくわかる場所だから。でも、こんな施設に入るために、お金を出すのは、どうしても、イヤだという人は、ミュージアム・ショップに入るのは、無料である。そこで売っている図録を読めば、靖国神社とは、一体、どんなところなのかが、一目瞭然である。

以下は、次回です。

カテゴリー: 天皇制問題のいま, 靖国神社問題 パーマリンク