「山谷」制作上映委員会 いまとこれから

池内文平

こんにちは。ご無沙汰してます。ドキュメンタリー・フィルム『山谷 やられたらやりかえせ』の上映委です。映画ができたのが1985年の12月。それから37年。まだ上映を続けています。

「活動の紹介を書」け、という指令なので、このところの「活動」を短めに報告します。しばらくお付き合いを。(文中、敬称略)

◾️……現在の、基本的な上映スタイル……◾️

このところ困っているのは、ご多分に漏れず「コロナ状況下」で、それまでずっと「定期上映」していた plan-B(中野区にあるフリースペース)が「活動中止」になり、使えなくなっていることだ。plan-Bでは1987年以来、130回以上の上映会を行なってきているけど、その多くは〈ミニトーク〉を組み合わせたもので、映画の上映後に、ゲストを招いて、その時々の「話題」を語ってもらうというスタイル。これが、ぼくたちの現在の基本的なやり方になっている。

〈ミニトーク〉のテーマは、山谷や「寄せ場」関係に限ったものばかりではない。たとえば、デレク・ベイリーのギター即興演奏、黒田オサムの〈ほいと芸〉、大熊亘と風巻隆のデュオという実演もあったし、勝新太郎や菅原文太の「追悼」も(ぼくらなりに)やった。

なにせ37年間だから、この映画もいろんな課題に出会い、また出会わなきゃならない課題も増えていく。要は、当たり前のことだけど、この映画の内容と世の中のさまざまなテーマを、〈あっち〉と〈こっち〉の関係におくのではなく、不可分に関係しあっている位置にあると捉えて、ぼくらの想像力がどれだけ広がっていけるのかという問題だと思う、のだ。

とはいえ、むろんこの映画に密接に関係のある問題がメインにはなっている。「天皇制」の問題ももちろんそうだ。たとえば一昨年の3月の上映会(plan-B)のテーマは「秋の嵐」で、ゲストは〈テーゼ〉のシンガーでもあった高橋よしあき。──「反天皇制個人共闘〈秋の嵐〉」、なつかしいでしょ。ちょうど「元号」も〈平成〉から〈令和〉に代わったばかりだし、〈昭和〉から〈平成〉に代わる時期に、創意に満ちた街頭行動を繰り広げた〈秋の嵐〉の活動は、いま聞いていても、とてもヒントに満ちてると思った。

「寄せ場」で天皇制と闘うにはヤクザとやりあわなきゃならんのと同じように、若いもんにも立ち憚る壁はたくさんあるし、闘い方もいろいろある。〈秋の嵐〉はカンよく、考える幅が広かったんだろうと思う(でも、まあ、たくさんパクられたけど)。

◾️……いまの、そしてこれから……◾️

今年(2022年)の上映委主催の上映も、ついでに触れておこう。今年は4回の上映会をやった。plan-Bが使えなくなったので、新宿(フリースペース・無何有〈むかう〉)と高円寺(素人の乱・12号店)を借りて、それぞれ2回ずつ行った。

沖縄の「施政権」がアメリカ合州国からヤマトに移されてから50年ということで、「〈構造的沖縄差別〉を撃つ」シリーズということで、①として「〈日米安保体制〉70年、その歴史と現在」、トークは池田五律(戦争に協力しない! させない! 練馬アクション)で3月。②は「天皇制と沖縄」、天野恵一(元・反天連)で6月。それの流れとして10月に和田香穂里(前・西乃表市議)を招いて「琉球弧の要塞化を問う!──馬毛島の軍事化反対運動から」の合計3回。

それとは別に、9月に、「ドイツ・カッセルで何が起こっているか?──〈ドクメンタ15〉と、排除の論理」というテーマのものを差し挟んだ。

「構造的沖縄差別」(もちろん、4年前に亡くなった新崎盛暉さんの言葉)のものは、題名と講師名を見れば、この「反天ジャーナル」の読者ならすぐに内容をキャッチできると思うけど、「ドイツ」の方は少し分かりづらいと思う。

「ドクメンタ」は、カッセル市でほぼ5年ごとに開かれる「国際芸術祭」だ。今年は第15回目となるけど、その会場で「反ユダヤ主義」の問題が持ち上がった、というのが主題。ぼくらの見かたによれば、その「反ユダヤ主義」追求の活動は、実はパレスチナの解放運動に対する弾圧であり、シオニズム推進の動きに過ぎないと思うのだが、「はたしてどうか?」ということを、パレスチナ関係の映画を上映しに行った三井峰雄(自営業)に報告してもらった。

今回の〈ドクメンタ〉での「反ユダヤ主義」追求の動きは、上映委の目線から見れば、「反日」という名目で美術展を押さえ付けようとしたニホンの現実と重なって見えて、この企画を立てた。この問題に限らず、「差別」あるいは「表現の自由」という課題も、今後もきちんと中心に据えていきたいと思っている。

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この映画の完成の前・後年、つまり1984年の12月に佐藤満夫、1986年の1月に山岡強一の二人の監督をヤクザによって殺されてしまった。上映運動の開始のころは、毎日がヤクザと警察との闘いで、それを寄せ場の「外」に伝えようと、文字通り「映画を武器に」して、7本のプリントを全国に走りまわらせた。山谷現地と連動した上映委の「やられたらやりかえせ」だ。

いま、ぼくらの気持ちは当時と変わっていない。ただ、「映画を武器に」という伝令・媒介だけではなく、映画自体の内容を前面に立てて、「世界との対話」といえるものを実現したいと考えている。「やられたらやりかえせ」のより深く、広い実践といえると思う。ぜひぜひ、その場に参入してください。

*釜ヶ崎「越冬期間」中に上映あり/1月3日、扇町公園(詳細については「インフォメーション」参照)
*映画の成り立ち、今後の上映予定ついては、上映委のHPをご参照ください。
http://www.sanyafilm.jpn.org/

 

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