森達也『千代田区一番一号のラビリンス』

森達也『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館、2020)

これはファンタジー仕立てのフィクションである。時代設定は2019年の明仁「退位」の直前あたりか。謎解きのような性格も持ち合わせていて、どういうことかしら?と、ついつい読み進める。登場人物も、人物たちが動き回る場所や距離もかなり限定的で、「ラビリンス」と銘打たれているものの、読者を困らせるような複雑な話でもない。エンターテイメント的要素に支えられ最後まで面白く読ませてくれる読み物だ。

フィクションとはいえ、主要な登場人物は読者がよく知る人たちである。映画でもないのにメインキャストとはおかしな話だが、この人物たちに演じさせているのでそのように表現したくなるのだが、そのメインキャストは明仁、美智子と森克也と称する映像作家を演じる森達也。そして架空の人物桜子と「もののけ」たちも主要な登場者。森と桜子はこの作品の中では「選ばれた」存在として位置づいているようだ。しかし、この「もののけ」たちは一体なにものだったのか。その答えはおそらく読者に託されている。

フィクションなのによく知られた事実、あるいは週刊誌などが伝える「事実」やそれらしいエピソードなどが織り混ぜられ、それらから想像できる明仁・美智子が語り動きまわる。あり得ないのに「ありそう」などと思わせるシーンにも何度かぶつかる。

これは謎解きファンタジー作品でもある。だからここでストーリーを明かすのはルール違反だろう。だけど少しだけ超簡単に紹介すると、のっけから明仁・美智子、「もののけ」らしきものが登場。そして皇居内の異空間、異次元を思わせるラビリンス。超リアルな社会と異次元の世界が混じり合うかのように展開される。

これでは少し気を衒った小説といった紹介になってしまうが、実はこれは天皇タブーについて、分かりやすくおもしろく的確に伝えようとする、一つの実験的な作品でもある。これはそれなりに成功しているのではないだろうか。

実験的ということでは、もう一つ。それは森が「こうあってほしい」と考える天皇像を実際に天皇たちに演じさせ、一つのイメージを作り出していることだ。多くの「リベラル」天皇主義者たちが快く受け入れる天皇像かもしれない。森は劇中で天皇や皇后に自由に語らせ、上品でリベラルで闊達な老夫婦のありようを、自然なふうに描いてみせる。天皇・皇后の顔や声、話し方をTV等を通して知る人は、実際の彼らに演じさせて想像するに違いない。

また彼は、個人的には天皇を好きである、しかし天皇制はよくない、と作中の森に語らせている。しかし最後の最後に彼が描く天皇を、彼は本当に好きなのだろうか?

森が描く天皇はファンタジーに生きる者であり、人間を超越する存在であり、「穢れ」を浄化する神の末裔であった。そして架空のファンタジー世界とリアル社会のなかで、実在する天皇・皇后を表現していく。作品に表れる森の天皇像には、最終的に最悪の思想性が提示されているように思う。面白いが『朝日新聞』等よりもタチが悪い、と思わされる瞬間だ。

天皇個人ではなく天皇制という制度で捉えるべきとの主張の正しさの裏に張り付く、天皇の「神聖性」。神の一族として天皇を「美しく」書き上げていく森の姿勢が理解できない。

天皇制などいらないと考える人たちをどのように増やしていくのか。この本がその一助になるのかどうか、私にはわからない。それは森が作中で語った、この国の「成熟」度にもかかっているのだろうか。また「もののけ」をナニモノと考えるのか。それによってもこの本の読み方は変わるのかもしれない。今のところ私は、「面白くてタチの悪い読み物」という評価を付しておきたい。

でも、天皇タブーの状況下でやっとのこと出版に漕ぎ着けたと言われる本書。とりあえずは一読をお勧めする。何か語りたくなる本ではあるのだ。 (大子)

 

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