安倍「国葬」に使者派遣は徳仁の強い意志!?

中嶋啓明

英女王エリザベスが死んだ。

以降、メディアでは、文字通り馬に喰わせるほど大量のゴミのような記事が乱舞し続けている。新聞各紙は死去当日の夕刊の始動を繰り上げ、共同通信は加盟社向けに号外用の記事を配信。歯の浮くようなオベンチャラ丸出しで故人の“人柄”、“功績”、“治世”をほめそやした。

いわく「激動の世界史を英国民とともに歩んできたエリザベス女王が、96年の生涯を閉じた。開かれた王室をめざして模索を続け、亡くなる直前まで笑顔で公務に励んだ。70年の在位の最後まで、英国民の心のよりどころとなった女王だった。」(『朝日新聞』9月10日朝刊)

あるいは「『英国の母』エリザベス女王(96)が8日、永遠の眠りに就いた。ロンドンのバッキンガム宮殿前には花束を持って死を悼む人が続々と集まった。『人生の全てを国民にささげてくれた。感謝したい』。人々は国歌を歌い、涙を流した。新国王の誕生を祝うエールも時折響き、冷たい秋雨が一時やんだ夕刻の空に大きな二重の虹が架かった。」(共同通信同月9日配信)……

英本土はもちろん、英連邦の国でもない日本でこのありさま。植民地のメディアか、とでも皮肉を言いたくなるような奴隷根性丸出しの報道ぶりだ。

イギリスには、はるかに多くの反王室派、共和主義者がいる。日本のように、天皇制「盲従」に塗り固められた社会とは違う。少なからずの人が君主制反対を訴えて逮捕されるなどしており、それをBBC(!)が批判的に取り上げていた。だが、日本ではどうか。大量の記事を斜め読みした限りでは、そんな報道はほとんど見当たらない。

批判的な視点や冷ややかな反応への真摯な目配りはなく、新国王チャールズを揶揄するような報道はあっても、それは逆にエリザベスを持ち上げるためのもの。あたかも英社会はエリザベス賛美一色に染め上げられているかのように伝え、身分制を所与のものとして人々の脳髄に刻み付ける。メディアによる“マインドコントロール”というほかない報道ぶりだ。

先のBBCによると、逮捕された人々は早い段階で身柄拘束を解かれ、ロンドン警視庁は副総監補が「市民にはもちろん抗議する権利がある」との声明を発表したという。人権や自由と民主主義をめぐる彼我の認識の差を思わずにおれない。メディアが日本社会の底の浅さを再生産している。

そんな中、19日にも行われることが決まった「国葬」に、天皇徳仁が出席する方向で政府が調整しているとの報道が早々に流れ、14日には、雅子と共に参列することが正式に発表された。

報道によると、天皇が葬儀に参列するのは異例で、1993年に当時の天皇明仁が美智子と共にベルギー国王の「国葬」に参列した1例が過去にあるのみだという。今回の参列は「女王、英王室と3代にわたり、親密な関係を築いてきたことを考慮し」(共同通信)たもので、官房長官松野博一は会見で、エリザベスが以前、天皇、皇后の訪英を招待していたことを明らかにした。徳仁、雅子にとって即位後初の海外訪問になるという。

共同通信が依頼した原稿で、名古屋大大学院准教授の河西秀哉は、徳仁の「国葬」参列検討を「異例で思い切った決断」と持ち上げた(14日配信)。徳仁がオックスフォード大留学時代に「女王から「もてなし」を受けたとして、“論考”の最後を「国葬の参列には、女王にお世話になった義理を果たしたいという天皇の強い意志がうかがえる。日英関係を重要視している証しだろう」と締めている。

「皇室外交」の政治性など、どこ吹く風。眞子の結婚問題などで、かなり評判を落とした日本の皇室にとって、チャールズ、カミラの不倫とダイアナの事故死、チャールズの弟アンドルーの性スキャンダルなど、さまざまな問題を抱える英王室は、同病相憐れむ同輩であり、生き残り策を学ばなければならない先輩でもある。コロナ禍のあおりを受け希薄になった存在感をアピールする格好のチャンスでもあるだろう。

だが、専門家のお偉い学者さんに、そんな下衆の勘繰りのような“分析”を期待してもしょうがない。

徳仁、雅子はその後、安倍晋三の「国葬」には参列せず、明仁、美智子と並んで使者を派遣すると報道されている。安倍の「国葬」には皇族が参列する方向で宮内庁が調整しているのだという。なんとまあ姑息な!?。

安倍の「国葬」に参列しないのもまた、「慣例」に従うかららしい。ご都合主義とは天皇制のためにある言葉だと、あらためて思う。さまざまな疑惑やスキャンダルにまみれた安倍もまた、相哀れむ同病者仲間なのか。しかし、「国論」が二分されている状況では、いくら厚顔無恥でもやはり参列するわけにいかない。岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三と「3代にわたり」、首相として天皇とは「親密な関係を築いてきた」間柄だ。使者の派遣にとどめはするが、そこには「お世話になった義理を果たしたいという天皇の強い意志」があるのだろうか。

*初出:「今月の天皇報道」『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信』no.210,’22.10

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