隠ぺいと改竄の集大成──5.15「沖縄復帰50周年」報道

中嶋啓明

こうして歴史は作り変えられる。

もうすでに旧聞に属することかもしれないが、やはりこの報道に触れないわけにはいかない。5月15日、沖縄現地と東京で行われた「沖縄復帰50周年記念式典」に関連した一連の報道だ。

式典の開催は3月8日、正式に政府から発表された。発表では、式典が現地と東京の2か所を中継でつないで同時に開催されることのほか、天皇徳仁、皇后雅子がオンラインで参加することが公表された。1972年には、東京の会場で行われた式典に、当時の天皇裕仁が、92年には明仁が「20周年」の式典に出席した。2か所同時の開催は、「復帰」当日の72年5月15日以来だと、メディアでは盛んに宣伝された。

あ〜、また当日に向け、オベンチャラまみれの鬱陶しい大報道が、企画や特集などで飛び交うことになるのだろうと、ウンザリした気分で身構えていた。

式典に向けて、新聞各紙はさまざまに歴史や現状など「沖縄」を伝えた。例によってそれらは、総じて表層的であったり、ただ情緒的なだけだったり、予想していた通りだった。

だが、当日が近づくにつれ、あることが気になった。天皇(制)に触れたものがない。

戦後の米軍による占領統治からの  “復帰”  が焦点になっている以上、天皇(制)の罪は避けて通ることができないテーマではないのか。

にもかかわらず、新聞や雑誌などメディア各社の企画報道、特集記事で、天皇(制)と沖縄について取り上げたものは、まったくと言っていいほど見つからなかった。

唯一、“気を吐いて” いたのが『産経新聞』だった。

『産経』は「皇室と沖縄」と銘打った上中下3回の連載を5月6日から始めた。第1回は、『昭和天皇 訪問叶わず「くちおしきかな」』。戦後、沖縄訪問を望みながら叶わないままだった裕仁が、 “苦渋”  の思いを短歌に詠んでいたとの内容で、これまで耳タコなほど垂れ流され、聞かされた話だが、なんと1面トップに5段もの大見出しで掲げた。

さすがは『産経』!!。最大限の皮肉と侮蔑の意を込めて、そう書いておきたい。

連載は趣旨で、2月の誕生日会見で「沖縄がたどってきた道のりを今一度見つめ直し、沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたい」と語った徳仁の言葉を引き「皇室はこれまで、沖縄とどう関わってきたのか。これからどう向き合っていくのか。関係者の言葉や資料からひもとき、探った」と書く。この連載記事の欺瞞性、犯罪性については、インターネットのサイト「反天ジャーナル 天皇制を知る・考える」に挙げられた桜井大子の論考「『産経新聞』特集「皇室と沖縄」:天皇制がつくりだす記事たち」が的確に批判しているので、そちらに譲りたい。

それにしても、このメディアの  “低調さ”  は何なのか。むろん当日は予想通り、気持ちの悪いお追従記事が各紙で踊った。だが、それまでの報道ぶりには  “期待”  していただけに(嗤)、当てが外れた思いがして拍子抜けしてしまった。

桜井が指摘しているように、「沖縄と天皇」という課題で語るためには、『施政権が「返還」された1972年から遡ること最低でも1世紀、天皇制国家による琉球国の武力による併合=琉球処分から始めないわけにはいかない』。

少なくとも、米軍による占領統治に道筋をつけた裕仁の「沖縄メッセージ」を抜きにしては、語ることはできないはずだ。

だが、これに触れた在京のメディアは、私が見たところ一つもなかった。右翼論壇誌で一誌、「メッセージ」を正当化する主張が載ったものがあったぐらい。最初に「メッセージ」を社会的に暴露した月刊誌『世界』でさえ、「沖縄と天皇(制)」を取り上げていない。

あるいは明仁は、沖縄の基地から出撃し、中東で殺戮を繰り返すアメリカの世界戦略に終始、「寄り添い」続けた。そして、アメリカに同伴し、東アジア戦略の中に位置づけられて増強される沖縄の自衛隊員のと列を受け、自らの版図を確認するかのように、最西端の島を訪れて悦に入った。

だが、そんなことは「低調」な沖縄と天皇(制)をめぐる報道の中では、端から望むべくもない。米軍占領を主導した裕仁の「沖縄メッセージ」も、沖縄の基地機能強化に対する明仁の後押しも、そんな事実はなかったかのように、メディア上では歴史から消された。

『毎日新聞』は式典後の5月17日、「沖縄おことば 時代で変遷」と題して、「ノンフィクション作家」の保坂正康に、裕仁、明仁、徳仁3代の「おことば」を  “分析”  させている。

高島博之がまとめた記事の中で保坂は、裕仁について「おことばからは(米軍駐留の)現実を肯定しながらも、その中での沖縄の平和や発展を願っている複雑な思いを読み取る必要がある」〈(  )内は筆者〉とお説教を垂れ、明仁の「おことば」については「日米関係という現実を肯定して信頼関係を訴えていく中で、沖縄が理想的な状況になっていってほしいとの思いを反映している」と、無責任で欺瞞的な明仁の開き直りに理解を示した。

記事によると保坂は、徳仁が「おことば」の最終段落で「沖縄の自然や文化などに触れている」ことに注目したという。「自ら琉歌を作り、沖縄の文化や歴史に造詣の深い上皇さま(明仁)も20周年の式典では言及していない」〈(  )内は筆者〉というのだ。

保坂は「沖縄を戦争という関わりだけではない視点で見ていることが分かる一文だ。沖縄が本来持つ魅力を言葉を尽くして表現している」と評し、「新しい時代の天皇らしいおことば」と持ち上げている。

「新しい時代の天皇」は、「沖縄」を見るときの視点から「戦争」を外し、現実から目を背けさせることに、その力を注いでいく。

事前報道の「低調」さも、そんな天皇(制)の思惑に沿っていたのだろうか。

今回の式典に関する報道が、「沖縄と天皇(制)」をめぐり、これまで長い年月をかけて徐々に積み上げられてきた隠ぺいと改竄の集大成だったことは間違いない。

*初出:「今月の天皇報道」『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信』 no.209,2022.8

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