「全国戦没者追悼式」、「靖国」参拝、安倍「国葬」、全部ダメである

桜井大子

8月5日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定されたのは、1982年3月13日のことだ。この閣議決定には、「政府は、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に、昭和38年(1963年)以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する」とある。1回目は占領終了直後の1952年、2回目1959年、そして3回目の1963年以降は毎年開催している「全国戦没者追悼式」を、8月15日に政府主催で実施すると改めて閣議決定したのだ。この式典には毎年天皇・皇后が出席し、天皇は「追悼のことば」を述べる。そして、マスメディアをとおして、この8月15日を「終戦記念日」と記憶する人々を作り出してきた。

毎年8・15が近づくとTVや新聞は「戦争と平和」をテーマに特集を組む。戦争がいかに悲惨であり、平和が大事かを教え諭す。一方で、「全国戦没者追悼式」の映像やそこでの天皇や首相の発言が紹介され、誰が靖国神社に参拝しただの、何人の議員や閣僚が参拝したかといった情報が映像と共に流されたりする。これらの報道によって政府主催の「追悼式」や「靖国」参拝が、あたかも「反戦・平和」の価値観に基づくものとして受け取られかねない事態は続いてきたし、天皇が平和主義者であったかの如く描かれてきた。実際は、それらはすべて反戦・平和とは真逆のものなのだが。

私たちが記憶しておくべきことは、8月15日とは、単に天皇が日本の敗戦をラジオ放送した日にすぎないこと。国際的な認識では、ポツダム宣言を受諾した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日が、日本の「敗戦」日であるということ。この8・15という日付によって、天皇の「御聖断」神話を作り出し、天皇の「平和主義者」イメージを維持してきたということだ。

記憶すべきことのもう一つは、戦争で殺し殺された人に対して、政府がなせること・なすべき最低限のことは、「国民」をそのような場に立たせたことに対する反省と謝罪であり、褒め称えることなどではないこと。そして何よりも、そのような殺し殺される兵士を送り込み、アジアの人々に取り返しのつかない甚大な被害を与えたことへの反省と謝罪と賠償がほとんどと言っていいほどなされていないことだ。

それどころか、国は「天皇のために死んだ」と認めた人々を、神として靖国神社に祀り、毎年大勢の国会議員らが参拝し、戦死者への顕彰と感謝を表明する。たとえば政府式典では、首相が「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたもの」として「敬意と感謝の念を捧げ」た(2020年)。天皇は「ここに過去を顧み,深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈」ると述べ、私たちはそれらを聞かされたり読まされたりする。

2000万人以上といわれる人々の命を奪い、数えきれない人生や生きる場を無残に壊してきた侵略戦争・植民地支配に対する責任が、天皇の口先だけで霧散するかのような錯覚をこの国はずっと作り続けてきた。「いつまで謝罪しつづけるのか」といった傲慢なセリフを吐く政府要人や右翼の破廉恥な感性は、こうやって作られてきたのだ。まともな責任の取り方を回避するための、それを是と思い込ませるための、あるいはそのような蛮行を行い、殺し殺されることを受け入れさせるための、式典や「靖国」参拝である。反戦・平和とは相入れるはずもない。毎年、8月15日には呆れ果てる事態が起きているのだ。

いま安倍晋三元首相の「国葬」問題が起こっている。8・15課題とはずれるが、国家による追悼という意味で同じ問題を内包している。少し触れておきたい。

安倍暗殺直後から、メディア報道には「安倍批判はしない」という傾向があった。いや、それどころか「残念」「惜しい」「寂しい」等々の言葉が野党からも飛び出したし、街頭インタビューでもメディアはそのような言葉のみを拾ってみせた。しかし、「悲惨な死」によって、悪が善に変わるはずもない。安倍政治は最低最悪だった。安倍は言論で政界から退陣させるべきだったし、安倍を訴えた裁判では被告席に座らせたかった。しかし、その1%にも届かないだろう可能性は完全に奪われ、むしろ顕彰と感謝の可能性が高まった。

国が追悼することで、少なくともその人物に権威や正当性が付与され、安倍には勲章までついてくる。それによって、生前の行いは「良し」とされる流れがつくられる。しかし、いま国会内からも「国葬」への疑問の声は出ている。許してはなるまい。

私たち『反天ジャーナル』編集委メンバーも参加している反天皇制運動の実行委員会は、今年も「全国戦没者追悼式」と「靖国神社」への閣僚や国会議員たちの参拝に抗議する8・15行動を準備している。国は、世論や価値観を誘導するために人の死まで利用し尽くす。許さず声を上げよう。

*これは『人民新聞』1787号(2022. 8)の 掲載原稿に若干手を加えたものです。

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