古川隆久著『建国神話の社会史──史実と虚偽の境界』(中央公論社・2020年)

まず著者は、『日本書紀』や『古事記』に描かれた「天照大神を中心とする天皇の祖先とされる神々が日本の建国に向けて活動し、地上に降りるまでの物語と、その子孫とされる彦火火出見(ヒコホホデミ)が、橿原(カシハラ)で初代天皇たる神武天皇に即位するまでの物語」が、ここでいう〈建国神話〉であり核心は「日本という国家を作り、代々途切れることなくこの国を統治してきた天皇は、神の末裔だということ」だと論じ、この「神話」が義務教育の過程で徹底的にたたきこまれた、大日本帝国主義憲法下の教育に具体的にメスを入れる。

本書にまかれた帯には「先生、そんなの嘘だっぺ!」という生徒の言葉が刷りこまれてある。

科学的実証の論理(史実)と、神話教育の間の落差に、大人の先生は当然、生徒も、すこぶる自覚的であり、「現人神」天皇統治下でも、「神話」がまるごとスッキリと「史実」と了解されてはいなかった事実(乗り越えがたい矛盾)が、その教育現場で発された子供の言葉に象徴されている。神話こそ史実だと、多くの教師も生徒たちも、思い込んでいたわけではなく、それは国家のイデオロギーとしてタテマエ的に従っていただけであった実態が、本書で具体的に示されている。

この点が、私は非常に教えられた。

とすれば、「神話」が「史実」そのものであるという意識が戦前(中)日本の人々に定着していたわけではなく、戦後同様に、神話と史実は曖昧に癒着した物語が人々に受容されていたわけである。戦後は、それが逆転して、史実(科学的実証)こそが前提とされたが、神話は消滅したわけではなく「裏」の意識として日本の「伝統」として再生産されていたのだと思う。〈曖昧〉と〈癒着〉原理は、戦後も貫徹していたのである。この間の天皇「代替わり」の政治プロセスはその神話がかなり表に改めて露出してくる時間であったのだ。

とすれば私たちは著者のごとく、まだ、そしてこれからも「神話」が「史実」とされてしまうまで行くことはないだろうと安心するのではなくて、「史実」と「神話」が曖昧にくみあわされて作りだされている支配のイデオロギー(伝統神話・物語)と、正面から対峙しながら問題を考えていくことが大切なはずである。いいかえれば、「史実」でない〈非科学〉と批判すればすむわけではない。

もちろん、私たちにとっても、史実と神話の癒着した物語を前に、まず、史実と神話を峻別することが必要である。その峻別作業を媒介にその曖昧(癒着)物語全体をトータルに論理的に批判し抜く作業こそが、今、必要であるはずだ。

本書はこうした思いを強く持たせる書物であった。

(2020年4月学習会報告/天野恵一)

*初出:『反天皇制運動 Alert』no.46,2020.4(反天皇制運動連絡会)

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