桜井大子
沖縄の「本土復帰」あるいは「返還」と呼ばれる、米国から日本政府にその施政権が「返還」されて50年という今年の5.15を前に、「沖縄と天皇」という課題で言及できるのは反天皇制の側だけだろう、などと思っていた。その課題で語るためには、施政権が「返還」された1972年から遡ること最低でも1世紀、天皇制国家による琉球国の武力による併合=琉球処分から始めないわけにはいかない。そして最終的に現在の安保と沖縄、米軍基地、自衛隊基地の問題にまでつながらざるを得ない。「沖縄と天皇」とはそういう課題なのだ。そう考えると当然にも「天皇と沖縄」課題を抜きに「復帰・返還」を語れるのか?という思いの方が強くなる。
しかし、沖縄と天皇(制)の歴史を語ろうとすれば、タブー領域に踏み込むこと必至となる。たとえば1879年の琉球処分、1945年の 「もう一度戦果をあげてから」という裕仁天皇の一言が敗戦を引き伸ばし始まった沖縄地上戦、1947年、米国に向けて発した日本独立後も米軍が沖縄に長期駐留することを望むという天皇メッセージ、1952年に締結した天皇メッセージが叶ったような日米安保、等々。どれをとっても、天皇(制)の沖縄の人々に対する戦争責任、戦後責任問題だ。沖縄の米軍基地問題の全てがここに起因するといってもおかしくない。沖縄の人々の怒りは大きく、裕仁天皇は「沖縄復帰後」も沖縄に足を踏み入れることはできなかった。当たり前すぎる話だろう。
そしてこれらはすべてメディアが触れたくないタブーなのだ。だから多くのメディアは当たり障りのないところでしか「復帰・返還」を語れないし語らない。日本のジャーナリズムは総崩れ状況といえる。しかしそのような状況下で『産経新聞』だけは「皇室と沖縄 復帰50年」という特集を3回に分けて組んだ。1回目は裕仁(5月3日)、2回目を明仁(5月7日)で3回目は徳仁の時代(5月8日)。天皇たちの沖縄への「思い」を書き連ねた特集だ。
裕仁については、切望しつつ叶わなかった沖縄訪問への無念について「昭和天皇 訪問叶わず『くちおしきかな』」と題し、それに関わるエピソードで埋め尽くされている。沖縄に立ち並ぶ「天皇来沖反対」のタテカンが何に由来するのかまったくふれないまま、「複雑な県民感情…調整難航」という見出しでまとめ上げていた。そこには1972年の「復帰」記念式で「日本国万歳」の声とともにバンザイする裕仁の写真がさりげなく添えられている。
明仁・美智子については、「独自文化に思い馳せられ」と題し、二人の琉球歌を紹介したり「おもろ植物園」や「国立劇場おきなわ」が、明仁の「提案」や「後押し」でつくられたといった嘘か誠かのエピソードなど。記事の締めは、当時の県議会議長の「沖縄の文化、歴史を理解されている上皇ご夫妻と地元の人がふれあい、ご示唆をいただく。何度も訪問いただいたことが、県民にとってどれほど重要だったか」。
そして天皇暦浅い徳仁と雅子の時代。特集名は「『豆記者』とご交流 こころつなぐ」「上皇ご夫妻の思い 次代へ」で、明仁・美智子にまつわるエピソードばかり。1962年に明仁・美智子と会った当時中学生だった豆記者が今回のインタビューで、母親が「天皇は沖縄へ来て頭を下げるべきだ」と繰り返していたという話を紹介する。天皇批判の生の声だ。ただ、なぜ天皇が頭を下げるべきなのかについては触れない。裕仁批判に終わらず天皇制批判につながりかねないエピソードなのだ。まあ、当たり前か…。そして、徳仁が引き継いだ豆記者との交流は「戦後復興や、本土復帰を背景とした『相互理解』という当初の交流目的は果たされつつある」とし、「今後を考える時期に来ているのでは」という元豆記者の言葉に、側近の「(天皇が)今の沖縄の人々と触れ合い、実践を通して築かれていくもの。これからだ」という言葉を対置して締める。
さすが『産経新聞』。「ふざけるな!」と思わず言葉が荒む。
天皇と沖縄の選ばれた一部の人々との、政治を思わせない「交流」のエピソードで埋め尽くされた特集「皇室と沖縄」。どのメディアも口をつぐむ中で、「皇室と天皇」の特集を組み、天皇と天皇制国家、象徴天皇制である日本政府が沖縄に何をしてきたのか、しているのか、すべてをチャラにしてしまうこのような記事でまとめ上げる。意図的な天皇制の歴史の書きかえか、無知この上ない者による記事か。どうであれ、許し難いの一言だ。
5.15当日、政府主催の式典で天皇は、天皇と沖縄の歴史とは無関係の者として沖縄に「寄り添う」立場から言葉を残した。『産経』の記事の延長を読んでいるようだ。ただ天皇の言葉は天皇の政治的立場から意識的に出されているものだ。天皇は沖縄に対する政治的・道義的責任を回避する必要があるのだから。だからこそ、メディアはその天皇の言葉を歴史と現在の課題に引きつけて、きちんと論じ批判するべきなのだ。それがジャーナリズムというのではないのか。だがおそらく、この天皇の言葉が出た後は、『産経』以外のメディアも同様の記事を垂れ流して終わるに違いない。天皇の言葉をなぞるだけの記事。そしてそれを持ち上げれば『産経』の記事となる。それが繰り返されることで、歴史はさらに見えなくされるのか。
この状況自体が天皇制を残し続けることの問題でもある。天皇制がこの国の制度である以上、天皇制の歴史に向き合い、まともな解決法を探そうとする努力すらもタブー化し、阻害する。だから、反天皇制の立場からしか「天皇と沖縄」という課題は語れないという、おかしなことになってしまうのだ。
15日当日、沖縄一坪反戦地主会関東ブロックが呼びかけたデモに参加した。沖縄から駆けつけ参加された山城博治さんは挨拶の冒頭で、こう叫んだ。「50年前の5月15日は沖縄が再びヤマトに併合された日である。めでたいものか。ふざけるな!」。
この言葉を聞こうとしないメディア、それが「普通」らしいメディア状況。
ふざけるな!