坂野潤治 著『明治憲法史』

坂野潤治『明治憲法史』(新日本出版社、2019年/ちくま新書、2020年)

憲法を軸にして近現代日本の(政党)政治史を捉えるときに、明治憲法の時代—総力戦の時代—日本国憲法の時代として、つまり「戦前」・「戦中」・「戦後」として分けて捉えるべきだ、と言う著者は、「平和と民主主義の時代」は戦後だけでなく戦前にも存在していたのだ、「戦前」は「戦後」へと引き継がれたのだ、とも言う。ここで言われる民主主義とは、藩閥勢力が天皇大権を強くして議会権限を弱めるようにつくられた明治憲法体制の構造上の制約のなかで、選挙で当選した代議士が集まる議会の勢力配置を反映させた政党内閣の地位をいかにして確保するかをめぐる憲法解釈と諸政党の模索のことであり、平和とは軍部を縛る憲法解釈に基づいた立憲的な政治による軍部の抑制のことである。このような視点から整理された本書は、たとえばかつて天皇機関説と政党内閣の正当化、そして軍部に1定の立憲主義的な縛りを加えた美濃部達吉が、軍部・官僚・専門家を集めて政策立案をする内閣調査局と内閣審議会という「上からのファシズム」の機関の原型(円卓巨頭会議)を提唱し、議会に代わるべきだ、と主張したことを国家社会主義への転向だと指摘するなど面白い論点が散りばめられている。

とはいえ、坂野の言う自由と民主主義の「戦前」なるものは治安警察法や治安維持法などを不問に付して議会外の自由と民主主義への実践を無視することで成り立っていると言わねばならないし、帝国主義本国が破局的な結末をむかえる日中戦争以前を「平和」だと捉えるのは、植民地主義の下で抑圧されていた人びとが常に非常事態=戦争状態であったことを忘却することでしかないだろう(まさしくこれは「戦後」に継承されるものだ)。それに立憲主義が軍部を抑制していたとしても、その立憲主義が徹底された先に果たして日本帝国主義の解体はあったといえるだろうか、と問うべきである。著者の視点はあまりに内向きすぎる。だから「戦後レジームからの脱却」を息巻く自民党に対して「誤って総力戦時代に戻らないかぎり、戦後デモクラシーから脱却すれば戦前デモクラシーに戻る」なんて言葉が出てくるのである。

(2021年1月学習会報告/羽黒仁史)

*初出:『反天皇制運動 Alert』no.55, 2021. 1(反天皇制運動連絡会)

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