「復帰」50年の沖縄が照らす象徴天皇制と民主主義

鉄火場 宏

今年の4月28日はサンフランシスコ講和条約の発効からちょうど70年目にあたる。この講和条約の発効によってアジア太平洋戦争の敗戦による占領状態から日本は再び国際世界に復帰した。しかしこの講和は、朝鮮戦争下で講和を急ぐ米国主導のもと、最大の被害国である中国、また、ソ連、インド、ビルマなどが加わらないなかで調印された片面講和であり、沖縄を含む南西諸島を米軍支配のもとに切り捨てるものでもあった。この切り捨ては講和条約と同時に発効した日米安保条約とともに昭和天皇の強い意向が反映されたものであった。その後20年間、沖縄は米軍の占領下に置かれ続けた。この間に、ヤマト(本土)の米軍基地は縮小されつづけ、一方で沖縄の基地は「銃剣とブルドーザー」によって強制的に拡張され続けた。

アジア太平洋戦争末期の激烈な地上戦が展開された沖縄は、国体護持のための捨て石とされた。また、沖縄戦を含む「天皇の軍隊」の強靭さの認識が、アメリカに天皇を利用した占領統治(昭和天皇の延命)を選択させたとも言われている。

天皇制の延命(=憲法1条:象徴天皇制)と非武装・戦争放棄(憲法9条)は一体のものとしてつくられたが、それは裏面で沖縄の軍事基地化(恒久化)とセットであった。

象徴天皇制・日米安保体制という戦後の「国体」は、まさに沖縄の利用によって成立し、維持されてきたのだ。

露骨に沖縄を利用をした昭和天皇は、戦争・戦場の記憶が直接残こっている沖縄では当然受け入れられず、戦後は一度も沖縄に足を踏み入れることができなかった。しかし、裕仁を継いだ明仁は、親父(=天皇制)の負の遺産を払拭するべく、折に触れて「先の戦いで多くの命が失われ,苦難の道を歩んできた沖縄県の人々のことを思いつつ」「沖縄県民の経てきた過去に思いを致すとともに,豊かな未来が沖縄県に築かれることを切に望みます」(沖縄復帰20年記念式典)等の発言を繰り返し、琉歌をうたい、「豆記者」と交流し、皇太子時代を含め沖縄を11回も訪問した。

こうした明仁天皇の「沖縄慰撫」の姿勢は、沖縄の反天皇制感情を和らげたかも知れない。

しかし実際の沖縄の現実は、辺野古の新基地建設の強行が明確に示しているように、また宮古島、石垣島、与那国島への自衛隊配備に見られるように、「台湾有事をあおり、琉球弧の島々が軍事要塞化され、日米の基地の共同使用や訓練が行われて」(「「復帰」50年を問う——軍事基地はでていけ!」5.15デモの呼びかけ文より)いるように、軍事的な利用が強化され続けているのだ。

渡辺治は、「憲法理念から離れた象徴天皇:主権者の責任・自覚あいまいに」(「Journalism」2022年4月号所収)で、平成になってから天皇訪中などの「政治利用」の増大と、天皇自身による政治的行動(最たるものが「退位」)が飛躍的に増えたことにより「憲法からの離反」が加速拡大したと、「平成流」の象徴天皇制を批判し、その問題点を以下のように述べている。

「天皇という権威に依存することで、国民が主権者としての責任と自覚をあいまいにし、問題解決を回避し続けることである。戦争責任の問題、原発をどうするかや沖縄の基地問題は、国民自身が解決すべき課題である。天皇の訪問や『おことば』は、一時の慰めにはなっても、問題を解決することもできなければ、すべきでもない」

「平成流」を確立した明仁天皇(現上皇)の在位中の最後の沖縄訪問(2018年)では、与那国島まで足を伸ばした。与那国島は「日本最西端の島」であり台湾を臨む対中国の最前線である。ここには2016年3月に島民世論を二分したなかで自衛隊が配備された。訪問した28日は配備からちょうど2周年にあたる記念日でもあった(前日の27日は1879年に武力を持って琉球処分が断行された日でもある)。陸上自衛隊与那国駐屯地の隊員は制服を身にまとい堵列で天皇を出迎えた。

確かに天皇の沖縄訪問は、沖縄住民の「慰め」になっても、米軍基地問題、琉球列島の軍事化の問題の具体的な解決には何もつながらない。しかし他方で、配属された自衛隊員からすれば「士気」にかかわることだろう。天皇の訪問は、住民から見れば何の具体的な問題の解決にもならないことではあるが、琉球弧(南西諸島)への軍備拡大を進める政権にとっては十分に政治的な利用価値を有するものである。

天皇本人の主観的な意思が何であれ、その言動は、一方では、住民を慰撫することで「主権者としての責任と自覚をあいまいに」し、また他方で、権力者の政策の推進に都合良く利用されているのだ。

自衛隊の強化、琉球弧への配備(特にミサイル基地配備)は、米軍の要請でもあることは明らかである。昭和天皇とは別の形で、象徴天皇制・日米安保体制(=戦後の「国体」)の維持・強化のために明仁は、沖縄を利用しているのである。そしてそれは、徳仁にも間違いなく引き継がれている。

先の文章を渡辺は、「天皇制を考えることは私たちの民主主義を問い直すことだ」と締めくくっている。私たちが街頭でアピールする「民主主義に天皇はいらない」というコールは、特権階級であり、世襲制であり、身分差別・女性差別である天皇制(天皇・皇族)の存在そのものが、民主主義と相容れないというのが第一義的な主張ではあるが、渡辺の指摘するように、「平成流」象徴天皇制と対峙する現在では、それが自律した民主主義の確立を阻害する、あるいは浸食する、といった意味も、当然、込められなければならないであろう。しかし、民主的に選ばれた政権によって常に天皇は「政治利用」されつづけている(基本的に天皇もそれに同調せざるを得ない)のが現実でり、それは構造的な問題でもある。であるならば、渡辺の主張を超えて、やはり「終わりにしよう天皇制」という立場で「天皇制問題」に向き合わざるを得ないのではないか。

 

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