読売グループ新総帥《小林与三次》研究(1-4)

電網木村書店 Web無料公開 2017.4.1

第一章《旧内務省の幻影》

「警察新聞」が世界にのびる「全国紙」へ発展する恐怖

4 マスコミ《独占集中》の開祖は元A級戦犯

 日本テレビ「社長空席」という珍シフトも、故正力の発明のサルマネにすぎない。現に小林自身が、読売新聞について、「正力社主時代、社長不在が続いたけれど立派にやれた」(『財界』‘82新春特別号)と語って、サルマネを認めているのだ。

 正力は戦後二次にわたる読売争議で、「共産党から日本を守った」と自画自賛していた男だ。しかし本音は自分可愛さに他ならない。

 正力が、いうところの共産党との関係で、最も恐れたのは、やはり自分のことであった。つまり、戦前の警視庁で第一次共産党一斉検挙の指揮棒を振った正力は、たえず、夢でもうなされていたし、報復の幻想に脅えていた。だから、「読売新聞争議応援退会」のデモ隊約一千名が読売新聞社を目指した時、一共産党がくるぞ」という通報にあわてふためいて、「下駄箱に頭を突っ込んで尻を出す」(山本『読売争議』)という典型的な醜態を、人目にさらしてもいたのである。

 A級戦犯として巣鴨プリズン入りする時にも最も心配だったのは、読売新聞を「乗っ取られる」ことだった。ただし、本人がいってるような意味、つまり「共産党に云々……」というのではない。レッキとした資本主義国アメリカの占領下で、そんなことが実現するはずはなかった。「日本赤化云々」は、子供だましの誇大宣伝にすぎなかったのである。正力が本当に恐れたのは自分の留守中、実力のある新聞経営者に読売を奪われることであった。もちろん、資本主義的秩序の中で、という意味だ。だから、留守役社長には、「当時七一歳の感情に溺れやすい老文人で、すぐれた経営的政治的才覚をもっているというにはほど遠い人物」(山本『読売争議』)と評される馬場恒吾を頼んだ。案の定、馬場社長の下でも主導権争奪戦は続いた。また、何故か新聞連盟に出されていた務台光雄も、この時期、復社に身体を張っている。

 馬場社長が高齢を理由に辞任した後、読売には「社長空席」の状態が続いた。いわずもがな正力の差し金である。正力は、釈放後も「公職追放」の身であり、読売に正式の役職を持つわけにはいかなかった。だが、実権は握りしめ、のちに「社主」という独特の座を確保した。そして晩年まで、「社長空席」のまま、読売新聞グループに君臨した。しかもその時には、日本テレビを創立し、その社長、のちには会長ともなっていたのである。

 新聞社と放送局のトップ兼任禁止、いわゆるマスコミ独占集中排除に関わる行政指導は、何のことはない、最初から実質的に犯されっ放しなのだ。

 日本テレビはNHKと張り合って、日本で第一号のテレビ放送予備免許を獲得した。その時に正力が放った鬼手の数々は、語り草となっている。ワンマン吉田茂首相や佐藤エゴ作こと栄作電気通信相と結託した政界工作もすさまじく、いまだに、日本の電波行政を混乱の極に陥しいれたままという破壊力。ともかく、マスコミ独占集中云々の国会討論もあらばこそ、何の法的規制も定めずに、一片の申し合せ程度の行政指導で、テレビという強力なマス・メディアが開放されてしまったのだ。

 ただし、ここには「共同責任」という問題がある。日本テレビ創立の発起人には、正力松太郎(関東レース倶楽部会長?!)と並んで、村山長挙(朝日新聞社会長)、本田親男(毎日新聞社社長)、安田庄司(読売新聞社代表取締役)が名を連ねていたのだ。発起人会の座長をかって出た藤原銀次郎は、戦争中の商工相と軍需相の歴任者、元王子製紙社長で《製紙王》と呼ばれた新聞界の黒幕、戦前からの「用紙統制」に名を借りる言論操作の共犯者だ。角度を変えてみると、この発起人会は、いわば、言論界の元戦犯勢ぞろいの場でもあった。

 ともあれ、既成のマスコミ機関の最右翼たる《朝・毎・読》三大紙が、クツワを並べて、テレビ利権にツバをつけ合った。それどころか、「新聞とテレビの兼営には言論の独占集中排除の立場から問題がある」と発言した電波監理局長の浜田成徳を、寄ってたかって、つるし上げたりしたのである。

 正力はたしかに、鼻つまみの憎まれ者であった。しかし、たまたま公職追放中で、「関東レース倶楽部会長」という肩書きしか持たなかった正力は、新聞界出身のエースとして、民放テレビの支配に先鞭をつけたのである。そして、独占集中問題のほとばりがさめた頃には、読売新聞の社主をも兼任して、グループ支配の既成事実をつくってしまったのだ。

 小林は、正力よりも法律にはくわしい。だから、法網くぐりはお手のもの。その上、かつての国会答弁を《円月殺法》などとおだてられ、得意満面で、つい本性を露わしたこともある。「こっちのほうが、よけい物も知っておるし、ツボも知っておるけれども、どうにかして言葉尻をとらえられんで、うめえこと片づけれるかということしか、答える方は考えていないんだよ……。うまいことそらし、かわし答弁やるんだよ(笑)。最後には、こっちも、何を言うたかわからなくなる」(『財界』’76・4・1)

 これまた、答弁の相手の国会議員だけではなく、国民をナメるのもはなはだしい話ではないか。そして同じ極意は、いまもマスコミ独占集中のスリヌケにいかされているのだ。


5 中央支配と“地方自治”のマヤカシ