STOP砂漠化
近年、春先になると中国大陸から飛散してくる黄砂がニュースになりますが、
あれは中国の内モンゴルやモンゴル共和国に広がる草原の砂漠化が進んだことが原因だと言われています。
「砂漠化」が世界の人々の注目を集めたのは1960年代末から1980年代初めまで
アフリカ・サヘル地域で起きた大干ばつと深刻な飢餓、それに伴う大量の難民発生がきっかけです。
私達の会が1987年に活動を始めたマリ共和国ティンナイシャ村も
83年~84年の干ばつによって発生した難民を集めて作られた村であり、
また村が面している湖(東京都と同じ大きさ)は長期的な干ばつで干上がってしまいました。
アフリカ・サヘル地域で起きた干ばつの解決へ向けた世界的な取り組みの中から生まれたのが
「深刻な干ばつ又は砂漠化に直面する国(特にアフリカの国)において砂漠化に対処するための
国際連合条約(略称:国連砂漠化対処条約)」です。
この条約では砂漠化を「乾燥地域、半乾燥地域および乾燥半湿潤地域における種々の要因
(気候の変動および人間活動を含む)による土地の劣化」と定義しています。
土地の劣化とは人々の生活を支えている農地や牧草地、
森林がその生産性を失い荒廃地となっていくことです。
要因のひとつに気候の変動が挙げられていますが、過度な放牧、伐採、耕作、不適切な森林管理や灌漑、
植生の破壊などといった人間活動が引き起こすものがより重大だと考えられるようになっています。
砂漠化は貧困と密接な関係にあります。
砂漠化は自然に依存して生活している多くの貧しい人々から生活環境や生きていく糧を奪い、
貧しさが自然の過度な利用や不適切な利用を生み、砂漠化を促進するという悪循環が生じています。
砂漠化防止には人々の生活の安定が欠かせません。
マリ共和国は国土の北半分がサハラ砂漠で覆われ、
南半分が砂漠化の脅威にさらされているサヘル地域です。
同じサヘル地域であっても半乾燥地域のトンブクトゥ地域とやや雨が多く樹林が生育する
モプチやファナ地域及びバマコ周辺では砂漠化の現状が異なります。
砂漠化の最前線とも言えるトンブクトゥ地域は雨が少なく
わずかな草木しかはえていない場所が大面積を占めています。
雨が少ないが故に気候変動から受ける影響が大きくて、一旦干ばつが発生すると、
人々は食べる手段を失い難民となって大きな町や援助が受けやすい場所に集中することになります。
必然的にその周りでは煮炊きや暖を取るため、
家畜の餌とするためにまた建築材とするために大規模な伐採が行われるようになりますが、
本来木が少ない地域なので植生の回復が難しく砂漠化が進みます。
気候変動による危機を回避するためにこの地域では古来、
一カ所の土地に大きなダメージを与えないように、
雨の多少に応じて移動しながらヤギやヒツジを飼育する遊牧が行われて来ました。
飼育頭数は草の量に応じて調整されていました。
遊牧はこの地域の人々にとって今も重要な生業のひとつですが、
従来、移動、分散して暮らしていた人々の定住化が進み、
また人口が増加しているため地域の植生への負荷は大きくなっています。
それに対してモプチ以南の地域ではニジェール川の氾濫原では水田耕作や野菜栽培が行われ、
集落が立地する場所も土壌は比較的肥沃で周辺には大きな有用樹が点在する
ソルガムやミレットの畑がえんえんと広がっています。
都市や集落から離れるとまとまった森林もありますが、
都市の拡大とともに周辺の森林が姿を消していく速さはむしろトンブクトゥ地域よりも深刻かもしれません。
マリでは一般家庭のほとんどが今でも薪炭材をエネルギー源としています。
電気などが開通している都市なども例外ではなく
煮炊きには薪炭材が使われています。
都市近郊では市場や幹線道路沿いの村に薪炭材が集まり、
トラックなどの運搬手段で都市へと運び込まれます。
近年は今まで手をつけなかった細い灌木まで市場に出回るようになりました。
人口の増加と都市への集中が原因で近郊農村では樹木の生長以上に伐採され、
低木林化、疎林化、裸地化が進んでいます。
同様に人口の増加に対応するために耕作条件の悪い場所を開拓して畑に変えたり、
土壌が痩せるのを防ぐために従来一定期間休耕されてきた畑に、
連続して作付ける傾向が強くなっています。
それらの畑は数年の内に土壌が栄養分を失うため収量が減少し、
表土の流出や風食などもあって最後には放棄されてしまうことが多く、
わずかに植生が回復する場所もありますがほとんどは荒廃地となっています。
人口の増加は家畜が増えて過放牧の要因となったり、
薪炭材、建築材の確保のために植生を劣化させる原因となり荒廃地が広がりつつあります。