サヘルの「森」 ~ティンナイシャ村及びその周辺にできた森~

1988年からティンナイシャ村で、本格的な活動を始めましたが、
水の確保が季節的流入のニジェール川からの水や雨期の雨だけがたよりなので、
中長期的な視点からの植林活動に力を入れていくこととしました。
まずは、小さな苗畑での苗木作り。飲み水にもこと欠く地域なので、苗木にまく水も大切です。
少し大きくなった苗木を、ファギビンヌ湖の旧湖底に植えていきました。

ティンナイシャ村の木が育ってきたら、次にとなりのティンナファラジ村へと、少しずつ広げてゆきました。
トンブクトウ州は遊牧民の地域で、村も点在してあるので、それぞれの村に小規模な林を沢山作って、
緑のネットワークを作ることを目指し、「小規模多拠点方式」を採用したのです。
植林開始の時期が違うことで、植えたばかり!ちょっと育った!もう少しで木陰が出来る!など、
様々な段階があちこちで見られ、村人たちの意欲もわいてきたようです。

 

もともとその地域にある樹種のほかに、生長の早い外来種や村人たちが欲しがる有用樹なども、混ぜて苗木を作りました。
また、水やりの手間や水の節約なども考えて、女性たちが作っている菜園の周りに植えていくようになりました。
2〜3年で、ティンナイシャ村では幅100m長さ2kmの立派な林ができ、
ファギビンヌ湖畔のいくつかの村でも、苗畑や植林等がスタートしました。
残念なことに1991年に内紛により、日本人はティンナイシャ村から撤退。
ファギビンヌ湖南岸に移動したマリ人スタッフにより、苗木の育成や植林活動が続けられました。

その後、再度の北部での武力衝突がありながらも、
日本人スタッフのトンブクトゥへの短期派遣とムブナ村在住のマリ人スタッフによって、
「1村10本100ケ村」(小規模多拠点の第2段階)の活動と、
ムブナ村での砂丘への植林活動が、2001年まで続けられました。
ティンナイシャ村での林は、家畜により実が食べられ、移動先でのフンに混じって種がばらまかれ、
そこから発芽するという天然更新がなされることになり、最大時には幅5km長さ10kmの三角形の森になりましたが、
その後湖底地下メタンガスの自然発火で、かなり消滅したようです。
林や森が出来ることにより、虫や鳥や小動物が発生し生態系が変化しました。
植林した木が大きくなると、それらを炭や建築の材料、家畜のエサにするなど、
もともとの自然林への負荷が少なくなったことで自然林の回復が見られました。

菜園の周りや家の敷地に木を植えることで、野菜や人に木陰を作り砂嵐や砂漠の強い日差しから守ってくれます。
ティンナイシャ村で村人たちと共に生活しながら植林活動をしたことは、現地に森を作ったという成果だけではなく、
「身体で考える植林活動」を標榜するサヘルの森にとっても、大きな財産を残したと思います。