現地活動年表

  活動内容
1987 サヘルの会設立(1月)。マリへの現地調査隊派遣(6~7月)、トンブクトゥ州ティンナイシャ村を訪問。
1988 NGOの活動に必要な書類申請をマリ政府へ(1月)。トンブクトゥ州のファギビンヌ湖北岸・ティンナイシャ村で活動開始(2月)。バマコ事務所、トンブクトゥ連絡所を開設。
1989 ファギビンヌ湖北岸、ズエラ、ティンナファラジ、南岸ムブナと活動を展開。
東京との連絡のため訪れるトンブクトゥ周辺でも苗木配布。
1990 ティンナイシャ村では2kmの植林帯が完成(2月)。ムブナ周辺の村に活動を広げる。
ファギビンヌ湖への水の入り口であるビンタグングに新規苗畑開設。
1991 トンブクトゥ州で活動継続。民族運動がくすぶり武力衝突。一時日本人スタッフがグンダムで反政府軍に拘束されるが、無事解放(5月)。危険回避のため、日本人はバマコへ、現地スタッフ・ワーカーはムブナへ移動。ティンナイシャでは夜間にワーカーが苗木管理。
(数日間の民衆蜂起の後、3月26日クーデターでトラオレ大統領失脚。トゥーレ臨時政権発足。)
1992 トンブクトゥ及び周辺の村で植林協力活動。南岸ムブナ村の活動はマリ人現地スタッフのみで継続。日本人スタッフがトンブクトゥを引き上げ(12月)。モプチ州周辺で新たなプロジェクト調査(3月)。ニナグー村で活動開始(10月)。 (4月に平和協定調印がなされるが、治安は不安定。大統領選挙・アルファ・ウマル・コナレ大統領就任、クーデター後の民政移管完了)
1993 マリ人スタッフがムブナで苗木や野菜苗の配布活動。トンブクトゥと近郊で植樹支援(5月より)。ムブナのスタッフが治安悪化のためグンダムへ。モプチ州ではニナグー、サンベレで苗木、菜園、井戸掘り開始。
1994 (1月通貨・シェーファー・フラン(F.CFA)がフランス・フランに対して50%切り下げ)
モプチではニナグー、サンベレ、パパラ、サールデーレで苗木の講習会、菜園、井戸掘り、識字教育支援、穀物銀行、グループ活動支援などを展開。治安悪化のためトンブクトゥ州での活動を中断(10月)。周辺国の情報収集活動(9~11月)。
1995 ニナグー、パパラ、ジャンウェリで菜園、植林、井戸掘り、識字教育支援、穀物銀行、グループ支援などを進める。トンブクトゥ州の活動は組織的には行えず、個人がムブナを訪問。
1996 ムブナの個人的な2度目の訪問。トンブクトゥの現地調査のために日本人スタッフの派遣(5~6月)。ティンナイシャ村では植林帯が大きく生育して、家などの資材として帰還難民により伐採利用される。モプチ州では、防風・防砂林の植栽、菜園、牛犂・ロバ犂の導入、女性グループ支援、識字教育支援、井戸掘り等を実施。
1997 モプチ州での活動は男性グループ支援、編み物教室の活動を新たに加え継続してきたが、現場や支援体制の問題から中断(9月)。トンブクトゥ州で活動を再開(9月)。
1998 トンブクトゥ事務所を再開設(2月)。「アフリカに毛布を送る運動」の委託によりトアレグ帰還難民に毛布配布(1・2月、12月)。トンブクトゥの町周辺を中心に多くの村、地区で「1村10本100カ村運動」を展開。ファギビンヌでは、ムブナ・ケーズ砂丘への植林を開始(11月)。武装集団に自動車を強奪される(12月)。モプチ州ジャンウェリ村で活動を再開(10月)、苗木づくり、菜園作り、井戸掘りなどを実施。
1999 トンブクトゥでは1村10本100カ村運動を継続。ムブナスタッフをトンブクトゥのテーシャック村へ派遣し、苗木づくりと植林を実施。モプチ州では日干しレンガの家完成(4月)。野菜苗・果樹苗の配布、植林、井戸掘削などを実施。
サヘルの会が任意団体から、特定非営利活動法人サヘルの森となる(11月)。
2000 トンブクトゥですり鉢井戸補修、砂丘の村への植林継続、住民への植林研修、固結した土壌への試験植栽を実施。ムブナでは砂丘固定植林が行われ、また、近隣の村へ苗木配布、大きくなった森林整備等も実施。モプチ州ではニナグーやジャンウェリ村で井戸補修、菜園、果樹・有用樹、苗木の配布等を実施、8月でプロジェクトを終了。
2001 ムブナでは引き続き、植林と10カ村以上の苗木配布を実施(8月まで)。トンブクトゥの町周辺で植林、苗木配布、コロの伝統的井戸の補修、テーシャック井戸の建設、学校建設の資材提供等を実施(9月まで)。9月にトンブクトゥ事務所を閉鎖。マリ人スタッフの雇用終了、プロジェクトは一旦中断。
2002 トンブクトゥ州ティンナイシャを中心とした活動地の現況調査と、森の利用の一つとして、炭焼の実証実験を実施。在日マリ大使館開設(6月)
2003 セグー州トミニアンやトンブクトゥ州ティンテールで、「森と生きる為のワークショップ-植林と炭焼き」を開始
2004 森と生きる為のワークショップとして、セグー州トミニアン周辺の村で荒廃地植林試験、植林ワークショップを開催。また、トンブクトゥ周辺で苗木配布、井戸補修を実施。政府による伐採禁止令が発令(8月~翌1月)。
2005 森と生きる為のワークショップとして、トミニアンで炭焼、荒廃地植林試験、トンブクトゥ、バマコ北部で植林と苗木配布を実施。トンブクトゥ郊外の村で井戸補修。
2006 トンブクトゥ州ゴッシ地域でグリーンベルト造成の植林、苗木配布など、もったいない基金による活動が始まる。バマコ北部、トミニアンでも植林、苗木配布、荒廃地植林試験を継続。
2007 もったいない基金による活動の継続。ゴッシでの植林と苗木配布継続。トンブクトゥで井戸補修(砂あげ、井戸の底枠)と苗木配布。トミニアン荒廃地植林試験の継続。クリコロ州ファナ周辺の村で苗木配布と荒廃地試験。
2008 もったいない基金による活動の継続。活動拠点としての地域苗畑の発掘と育成、農村の森づくり・学校の森づくり支援、ゴッシでの植林と苗木配布継続、渡し舟の修理協力。
トンブクトゥで井戸補修(砂あげ、井戸の底枠)と苗木配布。クリコロ州ファナ周辺の村で苗木配布と荒廃地試験。在マリ日本大使館開設。みどりのポスト事業形成調査。
2009 バマコ北部、ファナ、モプチなどで苗木づくり・苗木配布とその後の状況を少しずつ把握。荒廃地での物質循環の回復-水を植える(荒廃地試験植林)。マリ北部の治安悪化により、トンブクトゥ、ゴッシでの活動自粛
2010 地域資源の再生を目指して、バマコ北部、ファナ、モプチ、ジャラッサグーなどで植林活動のネットワーク化(地域苗畑での苗木生産、地域苗畑とのつながり、)地域生活資源の再生(苗木配布と植林ワークショップ、配布後のフォローアップ)、荒廃地での物質循環の回復を目指して。
(9/22マリ独立50周年。青年海外協力隊マリ派遣開始(9月))
2011 地域資源の再生を目指して、バマコ北部、ファナ、モプチ、ジャラッサグーなどで、地域苗畑と協力しながら、苗木配布、生育の検証、学校林協力、荒廃地試験植林を進める。
2012 サヘルの森(会)砂漠化防止活動25周年(1月)バマコ北部・ファナ・モプチ・ジャラッサグーの4ケ所で、苗木の配布や植林の管理などを行ったが(1~2月)、軍部による首都クーデター(3月)後は、現地スタッフのみによる活動継続。政情はさらに不安定になり、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)の経済制裁と、北部武装勢力との内紛(4月)に展開。アルカイダ系の武装勢力が北部から、モプチなどの中部にも南下(11月)日本人スタッフの年内派遣は中止となり、AU(アフリカ連合)による軍事介入(12月)そんな中でも、現地スタッフにより、ファナを中心に苗木配布・学校植林支援・荒廃地試験植林などを進める。
2013 内紛は更に深刻化し、マリ政府はフランス・国連に支援を要請し(1月)、フランス軍の派遣により北部3州の州都を奪還し(2月)、徐々に大きな戦闘はなくなり(4月)、やがて国連の平和維持活動も開始された(7月)。クーデターで不在になっていた大統領の選挙も行われ、新しくケイタ新大統領が誕生し(8月)、国民議会選挙も行われ(12月)、新しい政治体制がスタートした。この1年も、政情が不安定なため、日本人スタッフの派遣は見送り、現地スタッフにより、昨年と同じような活動が行われた。
2014 北部の一部地域で、アルカイダ系との散発的なトラブルはあるものの、MNLA(アザワド解放民族運動)等と、平和交渉も始まり、全体的に安定方向に進んだ。フランス軍も戦力を減らし、国連平和維持活動やマリ軍による治安対策に移行していった。日本人スタッフの派遣も6~8月、9~11月と再開され、不在時の植林活動・地域苗畑の様子・学校植林管理・試験植林地等を見て回り、補足的な活動を行いながら、今後の本格的な活動計画のための情報収集なども行った。西アフリカ地域でのエボラ出血熱が流行するも、マリでは8名の感染者(うち2名回復)で終息した。12月から2015年2月に日本人ボランティアスタッフを現地に派遣。
2015 昨年末から派遣されている(~2月)日本人ボランティアスタッフと現地スタッフで、ファナ・バマコ北部・バマコ南部地域での活動を続ける。村での苗木配布や保護柵補修に加えて、学校林の育成にも力を入れる。荒廃地での植林技術向上に向け、ファナ試験地でのアリ塚植林に力を入れる。5月~7月、8月~10月にも日本人技術者を現場に派遣した。11月首都・バマコでホテル襲撃事件発生。11月以降は、現地スタッフを中心に活動を続ける。
2016 比較的安全であるマリ南部の活動地(ファナ、バマコ北部、バマコ南部)に日本人スタッフを派遣(5月~7月、8月~10月)した。日本人不在時はマリ人スタッフが中心となって現場の活動を進める。育苗技術の研修普及にも力を入れた。高い技術を持ち実践している地域苗畑主のところで研修を行った。この研修は将来的に村の里山再生の取組の牽引役となってもらうため、苗木生産技術や里山の土地活用例を学び、自身の村で里山再生に取り組んでいくためのもので、合計3回の研修が実施された。