プーチンは誤算? でも裕仁は想定通りを喜んだ

 力によって現状を変える。
 それを平和のためと強弁する。
 国際的な非難や経済制裁を受けても開き直り、むしろ資源確保に奔る。
 民間人、子どもも女性も殺戮する。
 病院を破壊する。医者も患者も殺す。
 占領したら自国の領土とするか傀儡政権を打ち立てる。

 ロシアのウクライナ侵攻のことだけではない。
 侵略戦争では、必ず起こることだといっていい。

1941年12月8日午前1時半、真珠湾攻撃開始よりも早く、マレー半島で日本軍による戦いの火蓋が切られた。宣戦布告前の奇襲作戦であり、シンガポールを含むマレー半島全域の占領が目標であった。55日間でマレー半島を一気に南下する電撃戦を展開し、翌年2月8日にはシンガポール島への上陸作戦が敢行された。イギリス軍の抵抗にあったが1週間でシンガポールを陥落させた。その過程で日本軍は、ブキテマにおいて女性や子どもを含む数百人の村民の虐殺やアレクサンドラ陸軍病院で医師や患者200〜400名もの殺戮など、数々の蛮行を繰り返した。「子どもも女も、皆、殺せ」という命令も出されたという。

さらに占領後の数週間の間には、日本軍に敵対するものを一掃するとして、シンガポール側の調査では5万人(日本が認めたものだけでも5000人)もの無抵抗の人びとが殺害(粛正)されている。

内大臣木戸幸一の日記には、シンガポールの陥落に際して昭和天皇に「祝辞」を述べた際の記述に、「陛下にはシンガポールの陥落を聴(きこ)し召され天機(てんき=天皇の機嫌)殊(こと)の外(ほか)麗しく、次々に赫赫(かくかく)たる戦果の挙がるについても、(略)最初に充分研究したからだとつくづく思うと仰(おう)せり」とある。昭和天皇は上機嫌で、事前の研究によって想定通りに「戦果」があがったことを喜んでいるのだ。

ロシアのウクライナ侵攻後の3月10日に、77年前のこの日に起こった東京大空襲の記憶を継承するという文脈でTVインタビューに「今ウクライナで起こっていることが、東京でも起こっていたことを忘れないで欲しい」と訴えている人がいた。被害の記憶も重要だが、むしろ忘れるべきではないのは、ロシアよりも何十倍・何百倍もの規模となる侵略戦争を、かつての日本が行ったことである。
[参考]林博史『シンガポール華僑粛正』(高文研)
(Alleycat)

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