反天皇制課題も含め、私ができることは少なくなってきている。それでも時々は、呼びかけられている集会や街頭行動にいそいそとでかけることもある。出かける集まりは大体において、沖縄の基地問題や日本の軍拡問題、日本の植民地政策や戦争への責任の問題、たまに国会や政府への抗議行動と、限られてしまっている。
課題はいつも大きな力によって現在進行形で動かされていて、語られる話からは、どの課題も深刻な事態にあることが伝わってくる。そのようなスピーチが続くなか、沖縄の基地問題でAさんがスピーチに立たれることがよくある。そして私は必ずのように、Aさんの怒りに心がざわつき動かされるのだった。
Aさんはいつも以下のようなことを語られる。「琉球処分」以降、沖縄がいかに日本政府に蹂躙され続けてきたのか、沖縄の米軍基地がいかに沖縄の人々の生活を脅かし続けてきたのか、81年前の敗戦でやっと終ったあの大戦で沖縄の人々がどれだけの辛酸を舐めさせられてきたのか、そして戦争が終わっても沖縄に平和はない、それどころか基地も基地犯罪も増え続けている、と。語り尽くしても足りないとばかりに語られる。
そして天皇(制)批判がある。天皇の戦争責任、1947年の米国に沖縄を売り渡した、いわゆる天皇メッセージ、敗戦後ずっと米軍の占領下にあり続けていることなどだ。反天の集まり以外で天皇制批判を聞くことはわずかだが、Aさんは必ず天皇制批判を語る。
どれも私たちがよく知る話であると思う。しかしAさんの話にはいつだって心がざわつくし、心が痛むのだ。なぜだろう、このかん、そのことを考えていた。
私はAさんの憤りをいつも新鮮に受け止めていた。「新鮮」という表現には語弊があるように思うが、他に思いつく言葉がない。いつも新たな怒りを感じていたのだ。それは翻せば、Aさんの怒りがいつも現在のものとしてある、ということなのだ。過去から続く今現在のこの社会のありように対する怒りなのだ。
どれだけ訴えればこの社会は理解できるのだ、どれだけ闘えばこの社会は変われるのだ、という怒りでもある。そしてその声は、Aさん一人のものではないだろう。アジアのいたるところ、日本が侵略し、占領し、植民地政策のためになした、取り返しのつかない暴虐の数々を行ったいたるところに、Aさんがおられるに違いない。その声を聞いて生きてきた人がたくさんいるに違いない。
侵略と植民地支配の歴史の延長でしかないこの社会に生きる私たちは、沖縄の人たちと、在日の人たちと、アジアの人たちと、どうしたらともに生きていけるというのだろうか。
ヌルヌルと戦後をすり抜け、世界の覇権国家のごとく成り上がったこの社会の主権者たる者は、日本の近現代史を自ら検証し直し、苦痛を伴う常に新しく湧き出る怒りを抱き続けている人々と、どうすればともに生きていけるのか、日々の生活の中で考え続けていくしかないのだろう。少なくともそのことに怠慢であってはならないし、手放すわけにはいかないと思うのだった…。
この歳になってもまだ、こんなことを集会や街頭行動で痛感したりする日々である。
(橙)
