轟かせよう! 天皇出席の埼玉「植樹祭」中止の声を! 秩父現地行動報告

秩父困民党蜂起の地での「植樹祭」

天皇の4大行事の一つである全国植樹祭が5月25日(日)埼玉県の秩父ミューズパークで行われた。埼玉「植樹祭」開催予定を知った私たちは、

①「植樹祭」が天皇・皇后の全国巡行のための行事であり、各地で天皇賛美・翼賛体制をつくりだすものであること。
②天皇・皇后のもとに国民統合するための装置であること。
③「明治」天皇制国家の富国強兵政策の中で生糸価格の大暴落と共に農民への強収奪に対して、「天朝さまに敵対するから加勢しろ」と1万余の農民が起ち上がった秩父困民党蜂起の地であること。

これらを踏まえて、そこで天皇行事をやることを許さない!と闘いを準備することにした。

その後、私たちは、《もうやめよう!「植樹祭」埼玉実行委員会》を結成し、学習会や「植樹祭」当日の反対デモを準備してきた。

4月6日には、秩父困民党の蜂起の実態を学ぶ学習集会を開催し、4月27日には秩父現地で困民党の蜂起の足跡をたどった。

「植樹祭」反対団体には、公園も空いている公共施設も貸し出さない秩父市

参加者を取り巻く警察とその向こうに右翼

5月25日に天皇出席の埼玉「植樹祭」反対の集会・デモを追求した。しかし秩父市
は、「植樹祭」反対集会への会場貸し出しを後付けの屁理屈を並べて拒否した。

結局私たちは、5月25日に天皇出席の埼玉「植樹祭」に反対するデモを行うため、西武秩父駅前に13時半に集合した。駅周辺にはデモを潰そうとする暴力右翼集団がうろつき、埼玉県警の機動隊や公安警察も多数展開していた。デモ参加者は機動隊で囲まれた中に押し込まれ、その中で前段集会を行わざるを得なかった。

埼玉県警・暴力右翼集団によるすさまじいデモ妨害

なかなかデモに出発できない

集会中も右翼はデモ参加者にマイクで暴言を繰り返し、何度も殴りかかろうと襲いかかってきたが、その中でも屈せずに前段集会を行った。

実行委員会から右翼の妨害をはね返し、秩父困民党蜂起の闘いを継承して闘いぬこうという主催者あいさつをおこなった。続いて大阪・関西・神奈川・多摩・茨城・東京から参加した仲間たちから、各地での天皇行事との闘いの報告や右翼の差別・排外主義を弾劾する力強いアピールが行われた。時間の関係であいさつを省かざるをえなかったが、静岡や府中からも複数の参加者がいた。

集会中や解散地・解散後も埼玉県警は、右翼からの事実無根の訴えを理由に行動参加者への事情聴取を強要し、闘争破壊を行ってきた。

デモ出発予定時刻の14時10分になっても右翼の攻撃を利用して、警察はデモ隊の出発を止め続けた。集合地点から直ぐそこの駅前通りのデモ出発点にたどり着いたのが14時半過ぎ、3列縦隊のデモを行う予定だった(公安条例による規制)が、埼玉県警は右翼の殴り込みを放置してデモ隊を1列にし、わずかしか進ませない状態が続いた。

1884年の秩父蜂起の時、「革命本部」にした《埼玉県庁秩父地方庁舎:現在名》前(デモコースの1/5ほど)に来たときには、植樹祭の式典が終わる15時に迫っていた。

妨害・暴力に屈せず、天皇出席の「植樹祭」反対!デモを貫徹

残り10分程度という所でやっと右翼から解放されたが、警察はごまんといた

右翼の殴り込みでデモ隊のマイクが壊されたり、プラカードを取られたり・ぐちゃぐちゃにされた。公安条例でデモ隊を規制するために押しつけた条件は4列縦隊でしたが、警察はそれさえも守らず、暴力右翼の殴り込みなど違法な行動に対しては、場当たり的な攻防を繰り返すだけで、排除することなく放置し続けた。

さらにデモ参加者へは「圧縮!」の号令に横から後ろから詰めてきたり、抗議の声をかき消すほどの大声で「歩いて歩いて」と号令をかけたり、右翼の妨害を利用してデモ隊の表現の自由を圧殺するひどいものだった。

埼玉県警は右翼と共に、天皇出席の「植樹祭」への抗議の声が秩父市民に届くことを徹底して弾圧し続けた。

「植樹祭」の式典が終わり、天皇が会場から去ったずっと後の16時ごろになって、警察はやっと右翼を排除してデモ隊は通常の隊形で歩くことができた。1時間あれば終わるデモが2時間半かかった。

車椅子での参加者も含めデモ参加者(約40名)は、警察の不当規制と嫌がらせ、右翼の暴力を跳ね返し、天皇出席の「植樹祭」反対の声を秩父の街に響かせ、デモを貫徹した。

日本政府・自衛隊が新たな戦争に突き進んでいる今、天皇制との闘いはこれまでより厳しくなることを実感した。しかし、天皇行事反対の現地直接行動を闘いつづけることが重要だと改めて確信した。

(もうやめよう!「植樹祭」埼玉実行委・吉田)

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