9月27日、水戸地裁で行われた茨城育樹祭ビラ弾圧勾留理由の開示をもとめる裁判を傍聴してきた。実際はほとんど傍聴できていない。何故そんなことになったのか、思うところはたくさんある。水戸地裁への、あるいはこの国の司法やこの国自体への、心の底から感じた不信感・憤り、等々。その少しを書き残すことにした。
*茨城育樹祭とそれに反対する人たちの行動、そして、その反対行動を呼びかけた人たちのうち2人が1年も後になって先月9月11日に令状逮捕されたこと、それら一連の事実経緯については、すでに本サイトでも、抗議声明等々の救援会が発信してきた臨場感あふれる文書を転載・紹介しているのでそちらを参照していただきたい。
傍聴席は20席。当該本人と久しぶりに対面し、激励できる公判を傍聴するために集まった支援の人たちは35人。よって抽選となった。勾留されている2人が同じ法廷に入るわけではなく、事実上二つの開示公判が開かれることになる。というわけで、抽選も2回分。くじ運が良いわけではない私は2回とも当たり。私の当分のくじ運はここで使い果たしたかもしれないと思いつつ、嬉しかった。しかし事情説明はしないが、私は1回目のみを傍聴することに。
傍聴人が全員席につくと、裁判官たちが入ってくる。敬意を表し起立する者はあまりいない。大学構内に立ち入ったことを「建造物侵入」とし、20日近くもの勾留を認める裁判官に、形だけであっても敬意など払えないのだ。裁判官は法廷内で声を出すな、拍手をするな等々の細かな制約を伝えてくる。声を出したり拍手することがなぜ問題であるのか、納得のいく説明はない。そして待つことわずか、囚われの人が入廷。みんな拍手で迎えるも、裁判官はそれをも制止する。
被疑者となった友人は、腰縄と手錠で文字通りの囚われの人の姿だった。なんてひどい仕打ちであることか。「見せしめ」。その言葉しか浮かばない。大学構内を散策したというだけで、こんな仕打ちはない。怒りだけが込み上げてくる。
弁護士が裁判官に、勾留理由について質問を始める。その一つ一つのほとんどに、それに答える必要はない、それには答えられない、を連発。まもなく、そういった裁判官の態度に抗議する傍聴人3人が、裁判官の「退廷」の一言で法廷から放り出され、あまりの暴挙にさらに抗議の声が上がる。
そしてまた、不毛とも思える問答が始まる。勾留理由開示を請求する公判なのに、何一つまともに答えない。思わずボソッと「何のための裁判なんだ」と、心の声が外に出た。そこでまた「退廷」の一言が上がり、私も引きずり出される。「今の発言は誰ですか?」という裁判官の言葉が忘れられない。
たしかに裁判官は声を出すなと注意していたが、それに反したことへの「罰」なのか、まともな理由もなく勾留していることへの指摘に対する報復なのか、私の傍聴する権利は力づくで奪い取られた。
私は「嫌です、傍聴します」と退廷を拒否し、法廷を引きずり出される時にはみっともなくも「いやー!」「やめてー!」と必死で抵抗した。たった一言の裁判官への疑問が、私の傍聴の権利を剥奪することを簡単に認めるわけにはいかなかったし、自らの足で法廷を退出する気にも到底なれない。裁判官の態度が、裁判官としての職務義務を放棄し、それを指摘するものへの強権的な暴挙であることを、示したかった。
私の腕は鷲づかみされ、法廷の外に出てもその手は私を離さない。鷲づかみの主の顔が目の前にあった。おそらく私も普通の表情ではなかったに違いないが、目の前のその顔は、鬼のような形相だった。痛いから離してくれと繰り返し、鬼の形相の女性は我にかえったようにその手を離した。
法廷の方を振り返ると、法廷の前には赤く指の跡が残るほど私の腕をつかみ引きずり出した女性がいて、腕にpoliceの腕章をつけていた。そして、その腕章をつけた者少なくとも4〜5人がたむろしていた。後で問いただしたところ、警察は裁判官の依頼で待機していたとハッキリ答えた。
司法が警察権力や行政権力とつるむことは許されない。なぜ裁判所は警察を呼んだのか。事件にしたこと自体が事件となるような、小さすぎる事件の法廷だ。だからこそなのだな。
行政権力への忖度判決は日常茶飯事であるし、冤罪事件も蔓延している。この裁判の前日には、袴田巌さんの再審で無罪判決がなされたばかりだ。人ひとりの人生を台無しにした検察・裁判所の罪は大きすぎる。しかも、検察官も裁判所もその取り返しのつかない間違いの責任をどのようにも取るつもりはなさそうだ。
今回の弾圧はレベルも次元も違いすぎるが、本質的にはよく似ている。
微罪にもならない理由で人を勾留し、人権無視の生活を強要し、押収といって私物を持ち去り、そして友人・知人・親類の前に腰縄と手錠姿を晒させる。裁判所は、少なくとも私たちの味方ではないということだ。ちなみにこの公判では、結局傍聴人20人のうち、3分の1を超える7人が退廷させられた。次の公判でも5分の1を占める4人が退廷。当該の陳述に拍手を送ったというだけで退廷させられた人も数人いた。
いったいこの国の司法はどうなっているのか。権力を誇示し行使し、人々を屈服させるこの国の司法に、希望など感じられない。
ついでに付記しておくと、法廷に入る前は荷物を預けさせられ、一人ひとり金属探知機をつかった身体検査が強制的に行われた。この裁判の傍聴者は犯罪者予備軍扱いである。しかも、被験者からの抗議の声を無視して、女性に対する男性職員による検査が強引に行われた(弁護士の一言で最後の1人に対して女性が担当したという事実も、笑うに笑えない醜態であった)。人の声を聞かぬ、対話を拒否し、暴力的に業務遂行のみを考える裁判所。非人道的な代用監獄にいとも簡単に人を放り込む裁判所。この国に希望を感じさせないところである。
人を裁き勾留・拘留する権限をもつ者には、その職に就く前に、名前・身分を隠した上で覆面被疑者・被告人となり、代用監獄・拘置所、刑務所等々を20日ほどでも経験する研修を義務付けた方がよい。人を人と思わぬ扱いを体験するべきだ。自分の押印やサインがいとも簡単に人を囚われの身とさせること、その重みを知らない者に押印やサインの資格を与えてはならない、とつくづく思うのだった。 D子