反靖国~その過去・現在・未来~(24)

土方美雄

初めてのヤスクニ・レポート その1

鈴木首相が、公私の区別をいわずに、8月15日に靖国神社に参拝した1982年、私は初めてのヤスクニ・レポートを書き、それが『現代の眼』11月号に、掲載された。その前年の1981年、私は高橋寿臣らと、「靖国問題研究会」(靖問研)を、結成した。その経緯に関しては、すでに、この連載の第一回目で、詳述した。靖問研は『ヤスクニを撃つ!』という機関紙を、隔月で出してはいたが、裏表たった2頁という、その紙面では、詳しいヤスクニ・レポートを書くことは難しく、書きためた原稿を掲載出来る場を、探していた。思い立って、当時の私の愛読誌であった『現代の眼』の編集部に、それを持ち込むことにした。もちろん、『現代の眼』の編集部に、知り合いなど、誰もいなかったので、いきなり、アポもなくやって来て、手書きの、こきたない原稿を読んで下さい、出来たら、『現代の眼』に掲載して下さいという、無名の若造に、同編集部は、さぞや、びっくりしただろうが、ちゃんと、その場で読んで下さり、11月号になら、載せましょうと、いって下さったことに、深く、感謝している。こうして、私は初めてのヤスクニ・レポートを、書いたのである。その後、発表の場を変えながらも、定期的に、私のヤスクニ・レポートは、書き続けられることになった。

以下は、その記念すべき、第1回目のヤスクニ・レポートである。

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沖縄で住民を殺したヤツも死ねば・・

沖縄県立沖縄史料編集所主任専門員の大城将保氏が、1982年8月30日付の『朝日新聞』で、記者のインタビユーに答え、次のように語っていたのが印象に残っている。

住民殺害がなぜ教科書から削除されなければならなかったか、よくわかる気がします。

日本への復帰後、本島南部の戦跡に旧軍戦友会などの手でたくさんの慰霊塔が建てられました。それらの碑文の多くは部隊の勇戦をたたえるもので、住民の惨害にはほとんど触れていません。軍に協力し、戦闘に散ったひめゆり部隊や陸海軍司令官の自決ぶりは観光バスの案内や本などでよく語られても、目前で赤ん坊を絞め殺された母のことは本土でどれだけ知られているでしょうか。

真の悲惨さが伝えられず、沖縄戦が日本軍の敢闘ぶり、悲壮さだけで語り継がれる。これは沖縄の靖国神社化です。日本軍の住民殺害の記述が文部省に許されなかったのは、その靖国化の重要な一環だと考えています

これは教科書検定で日本軍の沖縄戦での住民虐殺の記述が、「殺された住民の数が確かでない」「記述の根拠である沖縄県史は第一級の資料ではない」などというまったくふざけきった理由で削除されたことに対する意見を求められての、同氏の回答であるが、と同時に、それは靖国神社の本質に対するする同指摘ともなっている。

靖国神社は1869年に東京招魂社として創建(1879年に靖国神社と改称、別格官幣社待遇に)されて以来、一貫して陸海軍の管轄下におかれ、戦争のたびにその戦没者を「英霊」として合祀し続け、発展してきた。いわば天皇と神社と軍隊とが一体となった独自の軍事=宗教施設として、民衆に天皇崇拝と、侵略戦争を正当化する排外主義イデオロギーとを植えつけてきた元凶に他ならない。

今日、その公的復権が公然とたくらまれている。それは単に過去の非人間的な侵略戦争を「偉業」「聖戦」と美化するにとどまらず、必ずや、新たな戦没者=「英霊」を生み出していくイデオロギー的基盤となるに違いない。教科書問題も、靖国問題もそのルーツは同一である。

教科書問題が山場に達するなか、第1回目の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」となる8月15日がやってきた。私たちはこの「日」が、その美名とは裏腹に、靖国神社の首相・閣僚等の公式参拝既成事実化への大きな突破口となるものであることを指摘してきた。

事実、7月15日に鈴木首相は従来の「私人としての立場で参拝」とのタテマエすらかなぐり捨て、「参拝は心の問題で、公人としての参拝か、私人としての参拝かという質問は意味がない」「答えは遠慮させてもらうということに尽き、答えないことに意味がある」と、事実上の公式参拝発言を行った。翌16日の閣議ではほとんどの閣僚が首相の方針に従うかまえをみせ、初村労相に至っては、「私としては公人の資格で参拝するつもり。玉串料についても多額のカネならともかく、10万とか20万ほどの常識的な額なら公費を使ってもいいのではないか」とまでいいきったのだ。

いうまでもなく、靖国神社への首相・閣僚等の公式参拝は同神社国営化への第一歩である。1974年、靖国法案は宗教者をはじめとする広範な民衆の闘いの前に廃案となり、以降、靖国推進勢力は76年に「英霊にこたえる会」を結成、それを母体に地方自治体への「公式参拝推進」決議の採択要請という、いわば「下からの国民運動」への路線的変換を行うのである(同決議は現在、37県と1500をこえる市町村議会で採択されている)。

80年の総選挙における自民党の圧勝は推進勢力を一気に活性化させ、81年4月の春季例大祭から始まった「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(竹下登会長、自民党国会議員311名で結成)による集団参拝、および首相、閣僚らの参拝は回を追うごとにエスカレートする様相を呈している。

今回、8・15に鈴木首相以下が公私の区別をあえていわず、集団参拝することはもはや公式参拝以外の何者でもない。

以下、続く。

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