土方美雄
靖国神社の「過去」~戦後、その公的復権への動き~ その10
その時々の、時代の雰囲気を知っていただくため、しばらく、新聞記事から抜粋が、続きます。すべて、三人の共著者(野毛、戸村、土方)が、選別の上、『検証国家儀礼』に、収録したものです。同書が、現在、入手困難のため、以下に再録します。
靖国参拝の福田首相「総理」の肩書記帳(『朝日』、78年8月16日)
法務局見解を逸脱/事実上の「公人」の行動
福田首相は15日の靖国神社参拝について、「私人」の資格で行ったことを力説しているが、参拝の記帳に「内閣総理大臣福田赳夫」と官職名の肩書をつけたことが明らかになった。また、この日参拝し、記帳した安倍官房長官、中川農林水産相、稲村総理府総務長官の三閣僚も全員、大臣の肩書を記した。官職名をつけての記帳だけではただちに「公人」としての参拝とはならないとの法律論もあるが、この日の首相の参拝は肩書記帳のほかにも、①首相専用車を使用した②首相に安倍官房長官、森官房副長官、越智総務副長官が随行した–など、内閣法制局がこれまでの国会答弁で明らかにしてきた「私人としての参拝」の要件にそぐわない点が多い。さらに靖国神社によると、福田首相にとどまらず、戦後ほとんどの首相が「内閣総理大臣」と記帳していたという。これまでも「私人」と「公人」の区別に疑問を投げかけてきた社会党など野党側は、こうした事実によって、宗教活動への国の関与を禁止した憲法第20条違反が明らかになったとして、17日の参院内閣委員会をはじめ国会で徹底追及の構えをみせている。
三木首相除き歴代慣例だった
靖国神社側の話によると、終戦記念日のこの日参拝したのは8閣僚。記帳した首相と3閣僚のうち、稲村総務長官と中川農林水産相は単独で参拝した。加藤自治相、服部郵政相、荒船行管庁長官、熊谷科学技術庁長官の4人は、午後2時半から行われた「英霊にこたえる会」(石田和外会長)主催の全国戦没者慰霊祭に来賓として出席し、参拝したが、記帳はしなかったという。
福田首相は同日夕、記者団の質問に答え「内角総理大臣福田赳夫、と書いた」の記帳の事実を認めるとともに、「いつもそうしている」と述べ、去年4月と今年4月の同神社春季例大祭のときにも「内閣総理大臣」の肩書つきで記帳したことを明らかにした。靖国神社側の説明では「三木首相を除いて(総理大臣の)肩書をつけていた。佐藤首相はつけないこともあった」という。首相の靖国参拝は春秋の例大祭などに吉田茂氏以来(石橋湛山氏を除く)続けられている。戦後30年目の終戦記念日にはじめて参拝した三木氏は「私人」を強調するために、記帳の際肩書を書かなかったらしいが、吉田氏はじめその他の歴代首相は「総理大臣」の肩書をつけての記帳が慣例になってきたようだ。「私人としての参拝」といいながら事実上「公人」として参拝してきたといえよう。
これに対して内閣法制局がこれまで国会答弁で示してきた神社参拝に関する見解は「神社、仏閣への参拝は原則として個人の宗教心の現れであり、憲法20条三項の宗教的活動にはあたらないが、公の資格で参拝するのは同項に触れる」として、首相はもとより閣僚、一般公務員も参拝は「私人として行う」ことにしてきた。
さらに「公の資格」とは何か、について「もともと内心の問題であり、本人の心次第であるため、外形的な要件を総合的に判断すべきである」とし、とくに①公用車を使用しない②玉ぐし料を国費から出さない③記帳には公職の肩書をつけない④なるべく閣僚など公職者が随行しない–などをあげている。首相のこの日の行動は、この「私人資格」のうち三点まで、「違反」したことになる。
福田首相は今度の靖国参拝を決めた7月26日、その資格が「私人」か「公人」かについて「どちらでもよい。総理が行くのだ」と記者団に答えた。
しかし、その後、内閣官房で検討した結果「憲法違反の疑いが出るのはまずい」と判断、「私人」に切り替えたが、内閣法制局の指摘する「私人」としての外的要件は無視する形となった。
党内タカ派の突き上げで、終戦記念日にはじめて参拝した三木首相は「私人」を強調した靖国神社に向かう直前に首相専用車から自民党総裁専用車に乗りかえ、記帳にも肩書を除き、随行もつけなかった。このため、自民党内からは「私人としての参拝はおかしい」などの不満がくすぶったこともある。福田首相はこれまでも肩書の記帳がひそかに慣習となってることなどに力を得て、参拝決定時から「公人」を意識していたものとみられる。
以下、次号へ。