今年(2023年)の8月6日に広島を訪れた友人から「平和記念式典に関するアンケート調査」のPDFファイルが送られてきた。「大事な問題だと思うので」というコメント付きだった。そのアンケートは広島市主催の平和式典出席者に配られたもので、参加した知人から提供されたという。いったいどんな「大事な問題」だったのか…。
8.6広島では市主催の記念式典以外にも沢山のさまざまな立場の人たちが集会やデモを行う。このアンケートのリード文によれば、広島市はそういった集会やデモの主催者に対して、式典挙行中の08:00〜09:00には拡声器の音量を下げるよう要請してきていたという。要請は「話し合いによる解決を目指し」てのことで、要請の理由は「式典を厳粛な環境の中で行うため」とある。アンケートは選択回答形式の6問でおおむね以下の通りだ。
「問1」拡声器の音が聞こえたかどうか、「問2」聞こえた場合はその時間帯、「問3」それをどう思うか、「問4」聞こえなかった人も含め、拡声器の音量を下げることの要請についてどう思うか、「問5」適切と回答した人にその理由を、「問6」適切でないと答えた人にその理由を。
6問全ての選択回答を挙げると長くなるので、気になった問5〜6の回答項目を紹介する。
問5の回答選択肢(要請を適切と答えた人にその理由)
1要請することに問題があると思えないから
2話し合いによる解決が最善の方法だと思うから
3表現の自由を制約するような対応(例えば拡声器の音量を規制する条例の制定等)は行うべきでないと思うから
4その他
問6の回答選択肢(要請を適切でないと答えた人にその理由を)
1要請することは、表現の自由を制約することにつながると思うから
2要請だけでは改善できないので要請以外の対応(例えば拡声器の音量を規制する条例の制定等)を行うべきだと思うから
3式典の挙行中に拡声器からの音が聞こえていても特に問題があると思えないから
4その他
気になったのは「要請」にとどまらず、規制「条例」にまで踏み込んだ言及があるからだ。
・「要請」を適当と考える理由の選択回答の一つが「表現の自由を制約するような対応(例えば拡声器の音量を規制する条例の制定等)は行うべきでないと思うから」。
・適当でないと考える理由選択解答の一つが「要請だけでは改善できないので要請以外の対応(例えば拡声器の音量を規制する条例の制定等)を行うべきだと思うから」。
この二つの選択で、「要請」と、さらには「条例による規制」を「是」とする参加者の意思を表現できる。アンケートの意図は、これまで何度か試みたが効果がなかった要請が、実は記念式典参加者の意志でもあることを数で示す、ということにあったのではないか。しかも、ここでは規制する条例まで出てくる。
これでは、「表現の不自由」につながる流れである。「表現の自由」とは表現者の自由、表現者の「存在の自由」でもある。それが侵犯される可能性をつくりだすのだ。
たとえば、天皇制に反対する集会やデモは、とにかく開催の不自由に見舞われている。反天皇制というだけで右翼ががなり立ててくることが多く、あたりは騒然となり、警察もやってくる。だから、近所の人から集会をやめてくれと訴えられたことさえある。騒いでいるのは右翼であり、過剰警備もその右翼が原因だ。しかし、その責任は集会主催者に負わされる。集会をやらなければ右翼は来ない、という論理だ。また、天皇記念日に行う集会は会場を借りることが困難な事態となっている。主催者にとっては「集会の不自由」であり、「デモの不自由」である。同時にそれは、主催者・参加者の「思想・信条の不自由」であり、それを表現すること・人の不自由だ。
地域の人から、商店街から苦情が来ている。みなさんが迷惑している。これが反天皇制の声を排除することを正当化している。そしてそれに従わない人たちには規制が入るし、警察は「警告」を発し、逮捕をちらつかせてくる。ここまでくると弾圧の域であり、それは反天皇制運動の日常的な光景でもある。もちろん「反天皇制のデモは禁止」といった条例があるわけではないが、この有様なのだ。
だから規制条例を選択回答に組み込んだ広島市のアンケートはとても気になった。少なくとも「表現の不自由」を意図するアンケートである。規制条例は「表現弾圧」ともなりかねない。
ちなみに、市は昨年6月施行の市平和推進基本条例で式典を「厳粛の中で行う」と規定している。また「悪影響」「要請は適切」と回答した人は7割を超え、昨年より増えた。(『中国新聞』2023/10/05)
アンケート一枚の話、広島市民でもなく広島市の動向もよく知らない私ではあるが、「表現の不自由」「存在の不自由」、要請、条例、規制、不自由…、排除、弾圧…、につながるような流れについて、無関心ではいられない。(橙)