反靖国~その過去・現在・未来~(11)

土方美雄

靖国神社の「過去」~戦後、その公的復権への動き~ その1

新しい章のはじめに、参考文献として、これまでに紹介した本以外に、もう一冊、新たな本を、紹介させていただきたい。それは、戸村政博・野毛一起・土方美雄共著の『検証国家儀礼1945~1995』(作品社)である。でも、残念ながら、すでに、絶版である。私の手元にも、ストックがないので、申し訳ないが、古書店か、図書館ででも、探していただくしか、ない。特に、参照すべき章は、「第章 靖国問題の〈非宗教化〉と〈宗教化〉」である。担当執筆者は、日本基督教団牧師の、故戸村政博さん。私のもっとも、敬愛する反靖国運動の担い手のお一人で、同書は、もともと、戸村・野毛のお二人と、別の方の共著となるハズだったが、その別の方が多忙で、私が「代打」として起用されたと、風の噂で、聞いている。ともあれ、代打であれ、何であれ、敬愛する戸村さんと、一緒に仕事をする貴重な機会を得たことを、今でも、心から、感謝している。

戸村さんは、同書のあとがき「結びにかえて」の中で、次のように、記している。

戸村政博、野毛一起、土方美雄『検証 国家儀礼 1945~1990』(作品社、1990年)

「本書は、野毛、土方、戸村の三人の共同作業による。天皇代替わりの季節にあって、国家儀礼の仕組みを読み解くべく昨年(1989)より会議を重ね、作業を進めてきたものである。/それぞれの論稿は若干のニュアンスは異るが、国家が企画する宗教的儀式が、日本国憲法のハードルを超えるために〈非宗教化〉され、〈非宗教化〉されつつも、宗教性の根を残し(たとえば、靖国神社法案では、宗教法人靖国神社、『公式参拝』では参拝の行為)た形で儀式にバトン・タッチされ、やがて白昼堂々と国家的宗教儀式が『合憲』の認知を得て続行される——このような事態こそ、天皇制の下における国家儀礼のパラドクスであり、『平成』の時代を規定する基本的特徴となるのではあるまいか。概略的に云えば、こういうことが、本書が全体として提示しようとする論旨であるといってよいだろう」。

「明治の『神社非宗教』は、神社を『宗教』の外に置くことによって、〈超宗教〉として機能させた。政府が靖国神社の『公式参拝』について『宗教色を薄め』たり、宮内庁が大嘗祭について『落としどころ(法的な位置づけ)をどこにするか』と考えることによって、(……)天皇制のもつ宗教的な民衆統合力が軽減されるわけではない。われわれが指摘したいと思うことは、そのような『薄め』方、『落とし』方によって取り残される部分が、国家儀礼という運搬具に乗せられて、却ってその宗教性による国家の統合力が強化されるというパラドクスなのである。いずれにしても、政府は、天皇代替わりの儀式を通して、この逆説の手法に自信を深めつつあるように思われる」。

ちなみに、同書の「第章 戦後国家儀礼の〈断絶〉と〈連続〉」は、野毛さんが、「第章 「大喪」「即位の礼・大嘗祭」の〈世俗化〉と〈神道化〉」は、私が、それぞれ、担当している。

内、戸村さんの「第章 靖国問題の〈非宗教化〉と〈宗教化〉」については、絶版書であることを踏まえて、以下の拙稿の中でも、出来得る限り、詳しく、紹介していくことにしたい。

ということで、ここより、本文です。私は、拙著『靖国神社 国家神道は甦るか!』(社会評論社)の中で、以下のように、書いた。

「靖国神社は国家と切り離された一宗教法人となることで、戦後も延命した。しかし、1950年の朝鮮戦争以降の、いわゆる『逆コース』の中で、その名誉回復=公的な復権を求める運動が、主に日本遺族厚生連盟(のちの日本遺族会)の手によって取り組まれるようになった。/しかし、それが重大な政治問題化したのは、1969年に靖国神社国営化法案が国会に上程されてからのことである。/この時期はちょうど、65年の日韓条約締結を画期として、さらにはアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争への積極的加担を通して、日本帝国主義がアジアへの本格的な再侵略に乗り出した時期にあたる。侵略に向けた国内体制の再編・強化の精神的支柱として、天皇制・天皇制イデオロギーの攻撃的全面化がたくらまれ、69年には『建国記念の日』という名前で、紀元節が復活した。靖国神社の完全な公的復権=国営化は、その次のターゲットとされた」。

何だか、党派色剥き出しの文章で、今、読み返すと、とても、恥ずかしい。

ともあれ、戦後、1945年12月、陸軍省、海軍省が廃止され、靖国神社は、第一・第二復員省の所轄となった。

連合国総司令部(GHQ)は、同月、覚え書き「国家神道、神社神道に対する政府の保障、支援、保全、監督並に弘布の廃止に関する件」を発し、これがいわゆる「神道指令」と呼ばれるものである。それは、国家神道の廃止を中心とし、徹底的な政治と宗教の分離を、命じるものであった。

これを受けて、政府は、宗教と戦争への動員を目的につくられた、宗教団体法を廃止し、宗教法人令を新たに、公布した。宗教団体が自主的な届け出によって、宗教法人になることが出来ると定めたもので、その後、改訂され、神社もまた、その対象になった。つまり、靖国神社を含め、すべての神社は、神社=非宗教のタテマエをかなぐり捨て、一宗教法人となることで、戦後、その延命を図ったのである。

その際、多くの神社は、民間団体として設立された、神社本庁に所属したが、靖国神社は東京都知事に届け出を行い、神社本庁には属することなく、東京都の単立宗教法人となった。

こうして、一宗教法人として、一切の国家的・公的性格を失った靖国神社だったが、しかし、靖国神社は、密かに、第一・第二復員省(のちの、復員省→引揚援護省→厚生省)や宮内省(のちの、宮内府→宮内庁)と協力して、戦没者の、個別の合祀手続きを、進めていたのである。

以下、続く。

 

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