天皇の政治行為としてのインドネシア訪問

鉄火場宏

徳仁天皇が、即位後初めての「国際親善」として6月17日〜23日にインドネシアを訪問した。インドネシアでは、国賓として迎えられている。

天皇の国事行為は、憲法によって厳密に箍(たが)が嵌められている。憲法では、「天皇は、日本国憲法の定める国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」(憲法第4条第1項)と定められ、もちろん外国訪問(天皇外交)など許されてはいない。そこで、「公的行為」という概念を編み出し、憲法「解釈」を拡大して行われているのである。それは、外国訪問だけでなく植樹祭や国民体育大会への参加や被災地へ行くことなど「象徴としての職務」(明仁)はすべからく同様である。

そして天皇の存在意義は、この「象徴としての職務」という政治行為にこそある。
以下に、今回のインドネシア訪問で「発揮」された天皇の政治行為を見てみる。

■国家元首としての歓待
すでに慣例となってしまっていて、特に今回のインドネシアだけではないのだが、天皇は「日本の元首」として迎えられた。改めて言うことでもないが、天皇の地位は憲法では「国民統合の象徴」と規定されているだけで、「国家元首」という定めはない。しかし、各国の扱いも日本政府の姿勢も、天皇を元首として扱う既成事実が繰り返されている。

接受国側とすれば、他国の「国家元首」を迎えることは国内的にも対外的にも大きな意味を持ち、政治的なひとつの成果としてアピールできる。

今回のインドネシア訪問では、ジョコ大統領は、YouTube動画など天皇との交流をリアルタイムに配信して、その関係性の良さと大統領自身のホストとしての有能性を自国民にアピールしている。さらに、天皇は、首相や大統領といった政治家(つまり政治的交渉の相手)ではなく、単に「象徴」とされているだけなので、「おもてなし」パフォーマンスを存分に展開するだけでいいのだ。

賓客として持ち上げる側も持ち上げられる側も、政治的駆け引きによるロスが起こりえない、確実な「政治的」成果が得られるのである。

■経済援助・支援の賛美
今回の現地での天皇の訪問先の多くは、日本の経済援助による施設(地下鉄や貯水ポンプ場など)である。

これらの施設を訪問すること自体が、日本の経済協力(インドネシア支援)を強くアピールすることになるのだが、それは同時に、スハルト独裁政権を支えた過去の経済援助や、現在も地元住民に対する様々な問題を惹起している支援の負の側面を隠蔽することにつながっている。

スハルト時代で悪名高いのは日本のODAによるアサハンダム建設である。地元住民の強制的退去をともなって進められたダム建設は、それ自体日本企業が主要に受注し、かつ、ダム建設後に産み出された電気の99%は、アルミ工場(日本の商社が出資)で使用され、生産された廉価なアルミは日本へ輸出された。90年代でも、コトパンジャン・ダムの建設をめぐり地元住民が環境破壊と強制移住の問題を訴えるなど、数々の問題を生み出している。そして現在でも、チレボン火力発電(https://www.youtube.com/watch?v=J5R1klOpeFs)やインドラマユ⽯炭⽕⼒発電事業・拡張計画(https://youtu.be/R3ccOnxMmmk)など、日本による経済支援で進められる火力発電所事業に対しして地元の住民から抗議の声が上がっている。

つまるところは日本の政財界とインドネシアの政財界の利権が基本である経済協力の「成果」の賛美演出なのである。

■占領の記憶の改竄
天皇は、カリバタ英雄墓地を訪問して献花をした。ここには、明仁天皇、秋篠宮、小泉首相や安倍首相も訪れて献花している。その都度、「戦後のインドネシアの独立運動に参加し命を落としたとされる残留日本兵(現在は28名)も埋葬されている」と喧伝されている。アジア太平洋戦争が、「アジア解放のための戦争」であったと、どうしても宣伝したい日本政府としてはそこだけを強調する。

日本のインドネシア占領政策がそもそも、解放なのではなく、日本の直接の領土とすることが目的であって、独立運動をさせないという基本方針であった。1943年5月31日の御前会議での決定「大東亞政略指導大綱」には、「「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給地トシテ極力コレカ開発並ヒニ民心把握ニ努ム」とある。しかもこれには、「当分発表セス」との但し書きが附されている。敗戦色が濃くなった時点では、現地の協力を得るために「独立」も匂わせているが、基本姿勢はこれである。また、敗戦直後には、ポツダム宣言を受諾した天皇に害が及ばぬように、連合軍の指示通り、独立軍への武器の引き渡しを拒否している。ジャワ島では、引き渡しをめぐって独立軍との日本軍の間で戦闘が行われ、インドネシア側に1000から2000名の死者がでたといわれる「スマラン事件」も起こっている。

また、占領期の出来事として、イスラム教徒である住民が、宮城遙拝の強制に抗して蜂起し弾圧されたシンガパルナ事件(首謀者で処刑されたゼナル・ムストファ(K.H. Zainal Mustafa)は国民の英雄とされている)や、反日隠謀をくわだてたという嫌疑で、軍事裁判で47名、裁判なしで1000名以上を処刑したポンティアナク事件などがある。こうした事件は、インドネシアの歴史教科書に記載されているものでもあるが、日本の報道では、まったくふれられない。

占領期を通じて、徴用されたロームシャ(労務者)はインドネシア側の統計では400万人以上、「慰安所」も40カ所近くが確認されている。

都合のより断片のみに焦点を当てることによって、日本の侵略戦争・占領支配の実相が隠蔽される。具体的な強制・弾圧・虐殺といった歴史の事実が、「
難しい時期がありました
」(徳仁訪問前記者会見)というあいまいな一言に収斂させられてしまうのである。

今回のインドネシア訪問に際して、「朝日新聞」は、6月24日の社説「天皇外国訪問 政府の姿勢が試される」で、「天皇に国政に関する権能はないが、いつ、どの国を訪問するかは、しばしば大きな政治的意味を持つ。国内で外国の賓客を迎える場合も同様だ。/「国益」をかかげて外交の手段として天皇や皇族を利用し、皇室のあり方に疑念を持たれるようなことがあれば、憲法の趣旨に反するうえに、培われてきた皇室に対する国民の信頼・支持にも悪い影響が及ぶ」と主張している。

「朝日新聞」のこの主張は、まったく転倒したものである。天皇の外国訪問は、「「国益」をかかげて外交の手段として天皇や皇族を利用」するためにだけ行われているのだ。「政府の姿勢」は常にそこにこそある。また、明仁以降の天皇は、それこそが自らの使命(「象徴としての職務」)として自認しているのだ。「朝日新聞」は、「皇室に対する国民の信頼・支持」という誤った認識(=皇室と国民の間にある欺瞞の関係)に「悪い影響が及ぶ」、つまり、事実が暴露されることがないようにしろ、と主張していることに他ならない。

「象徴としての職務」の政治性こそ、常に問題とされなければならない。
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