やじうま日誌 2023年6月

【6月1日】
「天皇の密使」◆天皇の沖縄訪問が初めて実現した30年前、在位中の明仁が美智子と共に、毎年各都道府県持ち回りで開く植樹祭に出席し、明仁による「戦没者遺族」への異例ずくめの「お言葉」があったが、水面下で奔走したのが天皇の「密使」といわれた末次一郎だったと、共同通信が報道。「1993年4月23日、上皇さまが平和祈念堂で、待ち構える遺族約150人の前で話し始めた。/『住民を巻き込む地上戦が行われ20万の人々が犠牲となったことに対し言葉に尽くせぬものを感じます』『平和を保っていくためには一人一人の平和への希求とそのために努力を払っていくことを、日々積み重ねていくことが必要と思います』/マイクもメモもない、通常あり得ない形だが、宮内庁サイトには『特別ごあいさつ」』として他の重要行事のお言葉と同様に掲載。本人の思いの強さがにじむ『平成の沖縄メッセージ』(側近)だ。(略)前年の史上初の天皇訪中でも、末次氏は上皇さまの考えを確認し反発する右派の説得に当たった。2001年に死去。以来、皇室に末次氏のような密使は見当たらない」。
「津波ビオラ」◆東日本大震災の被災地、岩手県陸前高田市で4日に開かれる全国植樹祭で、津波で倒壊した家屋や「奇跡の一本松」を部材に使った弦楽器の四重奏が披露される、と共同通信が報道。「このうち、ビオラは天皇陛下が2013年に演奏された。陛下は式典に出席し、再会する。製作者は『被災者の思い出が詰まった楽器の音色を、一緒に味わってほしい』と語る。/ビオラは、弦楽器製作者の中沢宗幸さん(82)が手がけた。(略)同じように製作したバイオリンは13年1月、上皇后美智子さまと親交のあるバイオリニストが演奏会で使用した。鑑賞した美智子さまは『音楽は人の心に寄り添う力がありますね。人は忘れやすいので、ゆっくり時間をかけて多くの方に聴いていただいてください』と、中沢さんに語りかけたという。/中沢さんは、ビオラが趣味の陛下に弾いてほしいと打ち明け、13年7月、学習院OB管弦楽団の定期演奏会で実現した」。
斉明天皇◆和歌山県白浜町の山神社(温泉神社)で、温泉の恵みに感謝する「献湯祭」が営まれる。白浜温泉は道後温泉(松山市)、有馬温泉(神戸市)と共に「日本三古湯」に挙げられ、日本書紀には有間皇子から白浜温泉の素晴らしさを聞いた斉明天皇が658年に訪れたと記されていると報道。
【6月2日】
秋篠宮、紀子◆第34回全国「みどりの愛護」のつどいの式典出席のため、北九州市を訪問。TOTOミュージアムなどを視察。市内最大の公園の響灘緑地を訪れ、チョウのオオゴマダラやナマズを観察。3日に式典に出席し、午後に帰京する。
久子、承子◆中東ヨルダンのフセイン皇太子とサウジアラビア人女性建築家ラジワ・サイフさんの結婚式が、ヨルダンの首都アンマンの宮殿で行われる。国営ペトラ通信などが伝える。英国のウィリアム皇太子夫妻を含む各国王族らが参列し、故高円宮の妻久子と長女承子も参列。
【6月3日】
徳仁、雅子◆全国植樹祭の式典出席などのため、羽田発の特別機で岩手県入り。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた陸前高田市にある高田松原津波復興祈念公園にある「海を望む場」供花。大震災の被災地訪問は即位後初めてと報道。津波に耐えた復興のシンボル「奇跡の一本松」や、被害の実相と教訓を学ぶ東日本大震災津波伝承館を視察。伝承館で、被災者の女性ら3人と懇談。宮内庁を通じて「引き続き、被災地に心を寄せていきたいという思いを新たにしています」との感想を公表。
徳仁、雅子「結婚30年」◆共同通信が特集「両陛下、結婚30年」を配信し、徳仁、雅子は9日、結婚から30年を迎え、「喜び、悲しみを分かちながら共に歩んだ道のりは、人生の半分ほどが重なり合う」と報道。「『心から感謝している』。互いに同じ言葉を贈る。愛情を持って育てた長女愛子さまは、成年皇族として両陛下を支える。家族への「信頼と尊敬の気持ち」を大切にし、令和の皇室を形作っていく」。/共同通信が配信した「両陛下、結婚30年」のサイド記事で、愛子は大学4年生となり、学業に励みつつ、成年皇族としての経験を重ねていると報道。「両陛下は成長を喜び、親身に相談に乗る。愛子さまは2022年の記者会見で『一つ一つのお務めを大切にしながら、少しでも両陛下のお力になれますよう、私のできる限り、精いっぱい務めさせていただきたい』と語った」。/共同通信が配信した「両陛下、結婚30年」のサイド記事で、徳仁、雅子とテニスを通じて長年、「親交」がある元プロテニス選手の佐藤直子は、プレーを楽しむ「普段着」の2人に接してきたと報道。「皇后さまに優しく細やかな心配りをする陛下の姿が印象的という」。
秋篠宮、紀子◆北九州市の北九州ソレイユホールで開かれた第34回全国「みどりの愛護」のつどいの式典に出席。秋篠宮が「相互に交流を深め、緑を守り育てる心をさらに高められることを願っております」とあいさつ。市中心部の勝山公園でシダレザクラを植樹。明治時代の建物などが残る旧安川邸を見学。
久子、承子◆フセイン皇太子の結婚式に参列するため訪問していたヨルダンから民間機で帰国。
【6月4日】
徳仁、雅子◆岩手県陸前高田市にある高田松原津波復興祈念公園で第73回全国植樹祭の式典に出席。徳仁があいさつで、東日本大震災に触れ「震災を乗り越えて、植樹祭が開催されることは誠に意義深く、復興に向けた地域の人々のこれまでのたゆみない努力に深く敬意を表します」。会場で、徳仁が南部アカマツ、雅子がベニヤマボウシなどの苗木を植樹。これに先立ち、震災後にオープンした岩手県大船渡市の復興商店街「キャッセン大船渡」を視察。一連の日程を終え、特別機で帰京。
百合子◆故三笠宮の妻百合子が、百寿となる100歳の誕生日を迎えたとして、宮内庁を通じて感想を公表し「孫やひ孫の成長をとても楽しみとしております。これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたい」。
【6月5日】
徳仁◆東京都千代田区の紀尾井ホールを訪れ、ビオラを基調とするコンサート「ヴィオラスペース2023」を鑑賞。
【6月6日】
佳子◆東京都港区の明治記念館を訪れ、第70回産経児童出版文化賞の贈賞式に出席。
ヘンリー英王子◆盗聴などの「違法な手段」で個人情報を収集されたとして英大衆紙を訴えた訴訟で、ロンドンの裁判所に出廷し証言。英BBC放送などが報じる。ヘンリー王子は王位継承順位5位で、英王室の高位メンバーが裁判で証言台に立つのは異例といい、1891年には、後に国王エドワード7世となった当時の皇太子が誹謗中傷事件を巡り証人となったケースがあると報道。5日、証言する予定だったが、法廷に姿を現さず。4日が長女リリベットの2歳の誕生日で、王子は米国での誕生パーティー出席を優先し、6日に出廷するとの観測があると、BBC放送などが報じていた。
「梅の日」◆「梅の日」に当たるとして、和歌山県田辺市にある世界遺産・熊野本宮大社で産地の発展を祈る式典が開かれる。田辺市などでつくる「紀州梅の会」が主催。「梅の日」は、室町時代の1545年6月6日に京都の賀茂神社に後奈良天皇が梅を奉納し、五穀豊穣を祈ったところ雨が降ったとの故事にちなみ、紀州梅の会が制定したと報道。
【6月7日】
サウジ◆ブリンケン米国務長官が、サウジアラビア西部ジッダを訪れる。同国の実権を握るムハンマド皇太子と会談し、関係強化のためにサウジ国内の人権状況を改善させる重要性を強調。経済協力や中東地域の安全保障に関しても協議したと報道。国務省が発表。サウジは近年、中国との関係を深め、ライバルのイランとは中国の仲介で和解しており、中東での存在感低下と中国の影響力拡大に危機感を強めるバイデン米政権が、ブリンケンの訪問で関係の再構築を図ったと報道。
【6月8日】
サウジ◆ロシア大統領府が、プーチン大統領とサウジアラビアのムハンマド皇太子が電話会談し、原油などエネルギー分野での協力を協議したと発表。
【6月9日】
徳仁、雅子、秋篠宮◆徳仁、雅子が17~23日の6泊7日の日程で、「国賓」としてインドネシアを「公式訪問」することが閣議で決定。「友好親善目的」では即位後初の外国訪問となり、滞在中、歓迎行事などに臨み、ジョコ大統領夫妻主催の昼食会で徳仁があいさつをすると報道。閣議では、徳仁の訪問中、国事行為の臨時代行を皇嗣秋篠宮が務めることも決定。
徳仁、雅子◆結婚から30年を迎えたとして、宮内庁を通じて感想を文書で公表し「多くの人々と出会って話を聞き、時には言葉にならない心の声に耳を傾けながら、困難な状況に置かれた人々をはじめ、さまざまな状況にある人たちに心を寄せていきたい」。
徳仁、雅子「結婚30年」◆岸田文雄首相が、皇居で「天皇皇后両陛下御結婚満30年祝賀」の記帳。
衆院解散◆松野博一・官房長官が記者会見で、徳仁、雅子が外国訪問中に、国事行為である衆院解散を臨時で代行できるかどうか問われ、可能との認識を示す。国事行為を摂政となる順位に当たる皇族に委任して臨時に代行させることができると関連法で規定されていると説明。「臨時に代行させる国事行為に制限はない」。「現行憲法下で天皇陛下の外国訪問の間に解散された例はないと承知している」。
サウジ◆米紙ワシントン・ポスト電子版が、米政府が前年10月に石油輸出国機構(OPEC)プラスの大幅減産決定を受け、OPEC盟主サウジとの関係を見直す意向を表明した後、サウジのムハンマド皇太子が、実行すれば報復すると水面下で示唆していたと報じる。流出した米機密文書を基に伝えたと報道。
【6月10日】
「漏刻祭」◆日本で初めて時刻制度を導入したとされる天智天皇を祭る近江神宮(大津市)で、「時の記念日」に時計業界の発展を祈る恒例の「漏刻祭」が開かれる。王朝装束をまとった時計業界の関係者や、びわ湖大津観光大使らが、国内時計メーカー8社の新製品を「奉納」。約150人が参加。近江神宮によると、時の記念日は、671年に天智天皇が近江大津宮に漏刻(水時計)を設置したという日本書紀の記述に基づき、1920年に制定された。
衆院解散◆国民民主党の玉木雄一郎代表が衆院解散に関し、徳仁、雅子が17~23日にインドネシアを訪問することを踏まえ「6月16日解散も念頭に置いて準備を加速したい」。富山市で記者団の質問に答え。徳仁の外国訪問中の解散について「憲法に定める手続きをきちんと行うという意味では陛下がいらっしゃったときの方が望ましい」。
【6月12日】
徳仁、雅子◆東京・上野の日本学士院会館を訪れ、学術上の優れた業績を顕彰する日本学士院賞の第113回授賞式に出席。日本学士院賞に日本経済史の岩橋勝・松山大名誉教授ら11人が選ばれ、QRコードの開発に長年取り組んできた電子工学の原昌宏・デンソーウェーブ主席技師は恩賜賞も受賞。式後、徳仁、雅子が会館で原技師からQRコードの開発経緯や特徴について説明を受け、原技師が利用したことがあるかどうかを尋ねると、徳仁「もちろん使っています」。
常陸宮◆東京都港区のホテルを訪れ、総裁を務める発明協会の全国発明表彰式に出席。
【6月13日】
秋篠宮◆東京都江東区の日本科学未来館を訪れ、水循環の健全化に貢献した個人や団体に贈られる第25回日本水大賞の表彰式に出席。秋篠宮は、日本水大賞委員会の名誉総裁を務めている。
【6月14日】
徳仁、雅子、明仁、美智子◆徳仁、雅子が、インドネシアを「国賓」として17日から「公式訪問」するのを前に、東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所を訪れ、明仁、美智子にあいさつ。
「表現の不自由展」◆2019年の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」で、昭和天皇の肖像を使った創作物が燃やされるような映像作品が展示され精神的苦痛を受けたとして、大阪市の主婦らが、愛知県や芸術監督だったジャーナリストの津田大介らに150万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で名古屋地裁(佐野信・裁判長)が、主婦らの請求を棄却。佐野裁判長が判決理由で「誇りを傷つけられ、嫌悪感や憤りを抱いたとしても、損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとは言えない」。
「君が代」◆大阪府吹田市教育委員会が3月、全ての市立小中学校を対象に、児童生徒が「君が代」の歌詞を暗記しているかどうかを一斉調査していたことが、市教委への取材で分かる。教職員組合が市教委に抗議文や要望書を提出。市教委によると、3月9日、小中54校の校長に「卒業式・入学式について」という文書を通知し、国歌と校歌の歌詞の暗記状況を調査するよう依頼した。回答用紙には各学年の在籍者数と暗記している児童生徒数を記入する欄があり、即日報告するよう求めていた。
【6月15日】
徳仁◆17日からのインドネシア「公式訪問」を前に、皇居・宮殿「石橋の間」で記者会見。第二次世界大戦において世界各国で多くの犠牲が生じたことを「大変痛ましく思う」。インドネシアとの関係でも「難しい時期があった」。太平洋戦争中に日本が同国を占領下に置いたことに触れ「亡くなられた方々を忘れず、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切だ」。「今回の訪問で友好親善がさらに深まることを願う」。「相互理解の非常に良い機会で、国際親善推進のため、皇室が果たすべき役割の中でも重要な柱の一つ」。
「皇室外交」◆徳仁、雅子が17日からインドネシアを訪問するのを前に、外務省で皇室の外国訪問を担う儀典長やインドネシア公使を務めた中村順一に意義を聞いたと、共同通信が報道。「訪問先としてアジアの国、中でもインドネシアを選ばれたのは最高の選択だと思う。日本がアジアの一員であると示すことになるし、戦後の両国関係、1991年の上皇ご夫妻の訪問も踏まえ、親善の歴史を確認し、いっそう深める旅になると思う」。
秋篠宮、紀子◆東京・上野の東京国立博物館を訪れ、古代メキシコ文明を紹介する特別展を鑑賞。
「韓国とのゆかり」◆朝鮮半島の古代国家、百済が都を置いた韓国・忠清南道の扶余郡などが、日本とゆかりがある百済の王、武寧王の没後1500年に当たるとして、観光PRを積極化しており、秋には隣接する公州市と共に大規模な文化祭を開催予定で、日本人ガイドも活躍中と、共同通信が報道。「武寧王は、その子孫が桓武天皇の生母とされることに、在位中の上皇さまが『韓国とのゆかりを感じています』と発言されたことでも知られる」。
【6月17日】
徳仁、雅子、秋篠宮、紀子◆徳仁、雅子が「国賓」としてインドネシアを「公式訪問」。「国際親善目的」の外国訪問は即位後初めて、雅子とそろって臨むのは2002年12月以来、20年6カ月ぶりで、秋篠宮、紀子や岸田文雄首相らに見送られ、羽田空港から政府専用機で出発。午後に首都ジャカルタ郊外のスカルノ・ハッタ国際空港に到着。宿泊先の「ケンピンスキーホテル」で、日本人学校の子どもたちが「国旗」を振って歓迎したと報道。雅子は体調を見ながら、個々の行事に臨むかどうかを判断するという。
徳仁◆宮内庁が、インドネシア訪問中の徳仁の日程について、19日に予定されたジョコ大統領夫妻主催の昼食会で、徳仁があいさつを述べる機会がなくなったと明らかに。大統領側から「より和やかで打ち解けた雰囲気で話したい」との意向が示され、尊重したと説明。同行している宮内庁の伊原純一・式部官長によると、徳仁は昼食会の席で、ジョコ大統領とあいさつを交わす方向で準備を進めていたと報道。
「見送り」◆岸田文雄首相が妻と共に羽田空港で、インドネシアを訪問する徳仁、雅子を見送る。
【6月18日】
徳仁、雅子◆徳仁が、日本の支援で整備されたジャカルタ都市高速鉄道(MRT)の車両基地を視察。午後、ジャカルタの洪水被害を防ぐプルイット排水機場を訪れる。雅子は19日にある歓迎行事などに向けて体調を整えるため同行を見送り、滞在先のホテルで過ごす。
「女王万歳」◆バイデン米大統領が、銃規制に関する集会で演説した際、唐突に「女王陛下万歳!」と叫んで波紋が広がっていると報道。「英国でエリザベス女王(昨年9月に死去)をたたえる際に使われた言葉だが、王室のない米国ではなじみがない。バイデン氏は言い間違いが多く、高齢による衰えへの懸念に拍車がかかりそうだ」。
古事記◆古事記で「あの世」と「この世」の境界として描かれる、松江市東出雲町揖屋の黄泉比良坂で、亡くなった大切な人に宛てた手紙を火にくべる「たき上げ」が行われる。たき上げは東出雲ライオンズクラブが毎年6月に実施しており、この日は全国各地から「天国での暮らしはいかがですか」「とても寂しいです」などと書かれた約1700通が集まったと報道。
【6月19日】
徳仁、雅子◆首都ジャカルタ南方ボゴールにある大統領宮殿で歓迎行事などに臨む。宮殿で大統領と会見したが、徳仁から先の大戦に関する言及はなかったというと報道。歓迎行事では両国の「国歌」が演奏され、徳仁が儀仗兵による栄誉礼を受ける。徳仁、雅子が大統領夫妻と記念撮影後、宮殿の庭で植樹。大統領が運転するカートで宮殿に隣接する植物園を巡る。徳仁がジョコ大統領と言葉を交わし「若い人々の交流により、両国間の友好親善が一層発展することを心から願う」。雅子が大統領夫人から民族衣装「バティック」の制作過程の紹介を受ける。歓迎行事後、徳仁が大統領と共に報道陣の前に姿を見せ「(インドネシアの)多様性に満ちた社会、文化について理解を深め、友好親善の増進に尽くしてこられた方々の歴史にも思いをはせたい」。宮内庁によると、会見で徳仁が、ジョコ大統領が先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の拡大会合に出席した際、原爆資料館を訪れ供花したことに感謝を述べ、大統領は「原爆の悲惨さを改めて感じた。広島、長崎は平和の象徴であって、核のない世界が実現することを願っている」と話したという。夜、徳仁、雅子が滞在先のホテルで日本ゆかりのインドネシア人と面会。太平洋戦争終結後にとどまって独立戦争に参加した元日本軍残留兵の子孫も参加。
「お言葉」◆即位後初の「国際親善」の舞台となったインドネシア訪問で、徳仁が「お言葉」を述べる機会は巡ってこなかったと、共同通信が報道。「『打ち解けた雰囲気』を重視するジョコ大統領側の意向とされるが、戦後生まれの天皇として、先の大戦に対する認識を広く表明する場が失われた形だ。上皇さまを継承し、平和の思いをいかに示すか。模索が続く」。
久子◆名誉総裁を務める環境保護団体「バードライフ・インターナショナル」の創立100周年記念祝賀会などに出席するため、フィンランドに向けて羽田空港から民間機で出発。23日に英国に移り、27日に帰国すると報道。
後醍醐天皇◆1333年の当日、足利高氏(後に尊氏)が鎌倉幕府の出先機関である京都六波羅探題を攻め滅ぼす。配流先の隠岐島を脱出し倒幕の兵を挙げた後醍醐天皇に呼応。間もなく幕府は滅亡し、後醍醐天皇が建武の新政を始めたと報道。
「天寿国繍帳」◆国内最古の刺しゅうとされる中宮寺(奈良県斑鳩町)の国宝「天寿国繍帳」の図柄を復元した衣服が奉納され、同寺で9月30日まで一般公開されている、と共同通信が報道。「平安時代から続く京都の伝統工芸「京繍」の第一人者である長艸敏明さんが制作した。奉納に先立ち、5月に私的旅行で寺を訪問した上皇ご夫妻も鑑賞されたという。/天寿国繍帳は、聖徳太子の死を悼んで死後の仏の世界を描いた7世紀の刺しゅう。寺に伝わる聖徳太子二歳像にまとわせる衣服の新調を機に、奈良国立博物館(奈良市)の監修のもと、古代の技法や色調を再現し、約20年前から繍帳の復元研究に取り組んでいる長艸氏が他の染色作家らと共に仕立てた」。
【6月20日】
徳仁、雅子◆インドネシアの独立に功績があった政治家や市民らが眠る「カリバタ英雄墓地」を訪れ、「英霊碑」に供花。ジャカルタ東部にあるダルマ・プルサダ大を訪問し、日本語を学ぶ同国の学生ら約10人と「懇談」。プルサダ大は日本への留学経験者が中心となって1986年に設立した私立大で、在位中の明仁、美智子が91年の訪問時に視察していると報道。徳仁、雅子が、国立博物館で5世紀の治水工事を記録したとされる石碑を見学したほか、日系企業などが運営する工業団地内にある職業専門高校を訪れ、自動車整備を学ぶ生徒らと「交流」。夜、滞在先のホテルで在留邦人らと「懇談」。/インドネシアで一部の地元紙が、1面で徳仁、雅子とジョコ大統領の会見を報じ、徳仁について「政治的な力はないが、世界と友好を深めるソフト外交の象徴」などと伝えたと報道。地元紙コンパスが、首都ジャカルタ南方のボゴール植物園を徳仁、雅子と大統領夫妻が歩く写真を1面に掲載し「陛下の平和のメッセージは、日本の戦時中の罪を修復し、日本を寛容な国にするものだ」。英字紙ジャカルタ・ポストが、訪問が「グローバルサウス」と呼ばれる新興・途上国との関与の一環だとする見方を伝えたほか「日本は占領下に置いたアジアで、残虐な強制労働や性奴隷を強いたことで知られる」。訪問前の記者会見で、徳仁がインドネシアとの関係に「難しい時期があった」と述べたことを紹介した上で、戦後、アジア各国と共に国際社会の平和と繁栄のために「力を尽くしてきた」との言葉を報じる。
インドネシア残留元日本兵◆徳仁、雅子の訪問地、インドネシアの国立カリバタ英雄墓地には、第2次大戦での日本敗戦後も現地に残り、オランダからのインドネシア独立を支援した残留日本兵28人が眠ると、共同通信が報道。「『両国関係の礎をつくった人々。広く知ってほしい』。子孫たちは訪問会を開き、歴史の継承に力を尽くしている」。
【6月21日】
徳仁◆徳仁がジャカルタから政府専用機でジャワ島中部の古都ジョクジャカルタへ移る。近郊にある砂防技術事務所を訪れ、日本の支援で整備された砂防実験施設を視察。夜、ジャワ島中部の古都ジョクジャカルタにあるクラトン宮殿で、特別州知事を兼務するスルタン(イスラム王侯)主催の夕食会に出席。雅子は体調を考慮してジャカルタに残り、滞在先のホテルで過ごす。
雅子◆インドネシア訪問は、雅子にとって「皇后」の立場で初の海外親善だと、共同通信が報道。「17日に現地に入って以降、にこやかに交流を重ね、充実した日程を送られている。『体調を見ながら』という制約の中、できる限り務めを果たそうとする姿に、側近は『皇后としての決意の表れ』を感じ取る」。
「ロームシャ」◆インドネシアは第2次大戦中に日本が占領し、多くの人々が「ロームシャ(労務者)」として強制労働に駆り出されたと、共同通信が報道。「労働中に父を救って斬首された青年の名を後世に伝えたい。ロームシャの息子アブドル・ワサラカさん(78)は、強制労働の地だったニューギニア島西部の町キナムで青年の名を冠した学校の建設を目指している。/日本は天皇の名の下に戦争へ突き進んだ。『傷は癒えないが、現在の日本に憎しみはない』とアブドルさん。両陛下の訪問を好意的に受け止め『父の経験は何でも起こり得た戦時下の話。日本とは今、経済のつながりが良好だ。キナムの開発を支援してもらえればうれしい』と話した」。
【6月22日】
徳仁、雅子◆徳仁がインドネシアの古都ジョクジャカルタ郊外にある世界遺産ボロブドゥール寺院を訪れ、遺跡群を視察。同行記者団に「素晴らしい寺院がこれからも末永く、保存されることを願っています」。明仁、美智子が在位中の1991年の訪問時に足を運んだと報道。徳仁が、主要な日程を終え、感想として、日本語を学ぶ大学生らとの交流を振り返り「若い方々の相互の交流によって、両国間の親善関係がより深まることを心から願っている」。同行記者団に答え。宮内庁幹部によると、雅子は学生らの姿に「女性が男性に負けずに頑張っているのを見て、大変頼もしく思った」との感想を述べたというと報道。徳仁が、政府専用機でジャカルタに戻る。
徳仁◆インドネシア訪問の日程には、治水関連の視察が複数組み込まれたが、これは徳仁が水に関する問題への取り組みを「ライフワーク」としているためだと、共同通信が報道。「水は人類に不可欠な存在で万国共通の課題でもある。研究を20年近くサポートしてきた専門家はそこに陛下の志す天皇像をみる。『国民だけでなく、国外の恵まれない人々にも手を差し伸べたいという思いの表れではないか』」
由義寺◆奈良時代の女帝・称徳天皇と僧道鏡が建立した由義寺の塔跡(大阪府八尾市)の下層で発見された建物跡が、前身寺院・弓削寺の塔の基壇(土台)と分かり、八尾市観光・文化財課が発表。
安倍「慰霊碑」◆安倍晋三・元首相銃撃事件を受け、奈良県の自民党国会議員や関係者らでつくる有志団体が、奈良市内の私有地に安倍の「慰霊碑」設置を検討していることが、関係者への取材で分かる。市が事件現場での設置を一時検討したが反対意見もあり、見送りになっていたと報道。
【6月23日】
徳仁、雅子◆インドネシア「公式訪問」を終え、帰国。政府専用機で羽田空港に到着。宮内庁を通じて感想を文書で公表し「2人そろっての初めての東南アジアへの公式訪問で、とても思い出深いものとなった」。訪問を機に「相互理解がさらに深まり、日本とインドネシアの友好親善と協力関係が一層進展することを心から願う」。/「友好目的」としては即位後初の海外訪問となったインドネシアから帰国し、共同通信が「17日から6泊7日にわたった旅で、天皇陛下は若い世代への期待を強く示した。自身が関心を寄せる『水問題』を通じた国際親善も実践した形となった」と報道。
徳仁、雅子、愛子◆沖縄慰霊の日に当たり徳仁、雅子が、訪問していたインドネシアで黙とう。宮内庁によると、愛子が皇居・御所で黙とう。
明仁、美智子◆沖縄慰霊の日に当たり、明仁、美智子が東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所で黙とう。
「全国戦没者追悼式」◆8月15日に開催する政府主催の全国戦没者追悼式について、厚生労働省が、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、参列者の規模を最大3300人程度に縮小すると発表。開催場所は例年と同じ日本武道館(東京都千代田区)で、式次第も変更はない。
【6月26日】
「仁徳陵」◆国内最大の前方後円墳で、宮内庁が仁徳天皇陵として管理する堺市の大山古墳(5世紀中ごろ)について、宮内庁が、戦前の宮内省時代を含めて約100年ぶりに墳丘全体を詳細に測量して製図し、完成当時の姿を推定したことが分かる。試算の結果、全長は従来の486メートルより約30メートル大きい513・3メートルだった可能性があるというと報道。
【6月27日】
久子◆フィンランドと英国への訪問を終え、民間機で羽田空港に帰国。フィンランドでは、自身が撮影した鳥写真の展示会の開会式に出席。英国に移り、名誉総裁を務める環境保護団体「バードライフ・インターナショナル」の創立100周年記念祝賀会に臨んだ。
【6月28日】
徳仁、雅子、明仁、美智子◆インドネシアへの「公式訪問」を終え、東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所を訪れて明仁、美智子にあいさつ。
【6月29日】
天皇インドネシア訪問◆徳仁、雅子のインドネシア訪問が終わったが、若い世代の交流に期待する未来志向の姿勢が目立った一方、昼食会でのスピーチ交換が中止になり、徳仁の「戦争への言及」は聞かれずじまいとなったと、共同通信が評論記事を配信。「『中止は、打ち解けた雰囲気を求めるインドネシア側の意向だった』と宮内庁幹部は説明した。これに対し『日本による占領の歴史の表現に苦慮し、日本側が働きかけたのでは』との臆測も聞かれた。/しかし、これはあまりにうがった見方だろう。事実を曲げて相手国の意向に見せかけたとすれば、外交上の大問題だ。陛下が考えに考えを巡らし、表現に悩まれたのは確かだろうが、その結晶である『お言葉』を、日本側が自らなきものにしようとしたとは思えない」。
【6月30日】
佳子◆宮内庁が、秋篠宮邸の改修中に「一家」の仮住まい先だった旧「御仮寓所」に、佳子が引き続き1人で居住していると明らかに。宮邸内に「私室」を維持すると改修費が増えると見込まれ、経費削減のため、「一家」で相談して決めたというと報道。天皇代替わりに伴い、秋篠宮家を担当する職員が大幅に増員され、宮邸は事務スペース拡充などのため2020年3月から改修工事に入り、22年9月に終了。宮内庁は、「一家」が当年3月までに引っ越しするとして、旧御仮寓所は「分室」として職員の事務室や収蔵庫に利用すると説明し、佳子が住むことは公表していなかったが、秋篠宮家の側近トップ加地隆治・皇嗣職大夫が記者会見で「私的な事柄でセキュリティーに関わり、公表を控えていた」。「非常に大きな変更点で、説明すべきだと考えた」。
久子◆宮内庁が、故高円宮の妻久子がサッカーの女子ワールドカップ(W杯)で日本代表の試合観戦などのため、7月21~28日の日程でニュージーランドとオーストラリアを「非公式」に訪問すると発表。久子は日本サッカー協会の名誉総裁を務めている。ニュージーランドでザンビア戦とコスタリカ戦を観戦し、日本の合気道を教える道場などを視察。オーストラリアでは、フランス対ジャマイカ戦の観戦のほか、日系や日本人の子どもを対象とするサッカー教室などを見て回ると報道。
上皇侍従◆上皇侍従岡良介が依願退官する宮内庁人事が公表される。

カテゴリー: 2023年, やじうま日誌(皇室動向) パーマリンク