選挙で明確に示されたタイの人々の意思の不確かな行方 ——なぜ王制と軍部は有権者の意思を抑圧しようとするのか

要約・翻訳:編集部

タマラ・ルース
(Tamara Loos, “Foreign Affairs” 2023/05/25)
https://www.foreignaffairs.com/thailand/uncertain-result-thailands-unambiguous-election

5月に行われたタイの国会議員選挙は、与党政府への強い不満が表明されるものと予想されていたが、結果はその予想を上回る全面的な否定であった。この歴史的な選挙には70以上の政党が参加し、投票率は75%以上となった。有権者はプラユット・チャンオチャ首相が率いる現政権への憤りを表明し、その政党の得票率はわずか7%にとどまった。一方、人口7100万人のこの国で、半数以上の票が2つの野党に集まった。ピタ・リムジャロエンラットという若いリーダーが率いる、革新の機運を体現する前進党と、タクシン・チナワット元首相が関係するプー・タイ党というポピュリスト政党である。

驚くべきことに、地滑り的にプー・タイ党が勝利すると予想されていたにもかかわらず、前進党が最多議席を獲得した。前進党の成功は、タイの政治における軍と王制の役割に対する率直な批判が大きな要因であった。前進党の指導者は、軍の支援を受けた政党とは連立政権を組まないこと、王制批判を犯罪とする不敬罪の規定である第112条の改革に着手することを有権者に約束した。2014年の軍事クーデターと、112条のような反対意見を封じる法律の施行が進んだ後、多くのタイ人は、不敬罪の法律とその制限を、数十年にわたってこの国を支配してきた保守的な君主制の体制を象徴するものと考えるようになった。不敬罪がすぐに廃止される可能性は非常に小さいが、もし国会でこの法律の改正について議論されるようなことがあれば、それは極めて大きな変化を意味することになるだろう。

しかし、前進党を他の競合政党より一歩リードさせた公約は、守られないかもしれない。計算が合わないのだ。2017年、元将軍であるプラユットと選挙で選ばれたわけでもない軍事政権は、タイの上院である元老院の議員250人全員を任命できる暫定的な憲法規定を設けた。最近選挙で選ばれた500人の国会議員とともに、この任命された上院議員がタイの首相を指名することになるのだ。5月の選挙で前進党が151議席、プー・タイ党が141議席を獲得したとはいえ、彼らの票を合計しても、タイの次期首相を指名するのに必要な376票には達しない。前進党は60日以内に他の政党と連立を組み、リーダーであるピタを首相に選出できるだけの票を集めなければならない。もし、その連立が376票の閾値に達しない場合、軍の支援を受ける政党の1つと協力せざるを得なくなる可能性がある。そのような政党の支持の代償として、不敬罪の法改正の議論はすべて葬り去られることになるだろう([捕捉]を参照下さい——反天ジャーナル編集部)。

しかし、地盤は根本的に変化している。前進党が失敗しても、タイの王制と軍部にとっては冷ややかな慰めにしかならないだろう。今回の選挙は、タイ社会が既存の秩序に対して我慢の限界に達していることを示すものである。今のところ保守的な体制はその危険性を無視しているが。

国王の名のもとに

過去20年間、タイの政治は、国王への忠誠を示す「黄シャツ」(黄色は王への忠誠を示す色である)として知られる王制支持派の保守的な軍部と、かつて赤シャツ、現在はプー・タイ党として知られる、大衆に人気の実業家・政治家タクシンの支持者との闘争で揺れ動いてきた。赤シャツ党の影響力は、2006年と2014年に、プミポン国王から息子のヴァジラロンコン国王への秩序ある移行を保証するためという表向きの理由で、軍部をクーデターに駆り立てた。国王が亡くなった2016年におこなわれたその移行は、今、終了した。2000年代の激動の時代に育った多くの新しい有権者や、タイの政治がいつまで経っても変わらないことに不満を持つ多くの年配者が、5月に投票したのは、前進党がキャンペーンで採用した、黄色と赤を混ぜ合わせたオレンジ色だったのである。

タイ人の生活における君主制の役割に対する不満は、今回の選挙の伏線になったかもしれないが、選挙期間中に議論することはできなかった。すべての政党は、君主制改革の問題を避けて通らなければならなかった。タイでは、君主制を批判することは反逆行為とみなされている。さらに、同国の選挙管理委員会は、政党や候補者が王制について言及することを、解散や訴追の脅しの下に禁じている。しかし、プー・タイ党と前進党の両党の支持者は、君主制改革に対する自分たちの姿勢を明確にするよう指導者に働きかけた。野党は不敬罪の法改正の意思を慎重に示し、改革の必要性を訴えつつも、君主制に関する実際の議論を避けるという微妙なラインを踏んでいた。しかし、前進党は、その立場がより一貫していた。プー・タイ党とは異なり、前進党は選挙期間中、王制賛成派や軍の支援を受ける政党との連立を明確に拒否していた。またプー・タイ党は、2011年から2014年にかけて政権を握っていたとき、王制に関する批判的な議論を禁止する法律の改正に何も手をつけず、有権者に前進党よりも変化を求める可能性が低いという印象を与えていた。今回の選挙では、前進党の率直さが証明され、市民が王制に関する国民的な対話を望んでいることが確認されたのである。

王制に関する批判的な議論を禁止する法律が選挙の重要な争点になったことは、驚くにはあたらない。2014年の軍事クーデターで政権を握った元将軍のプラユットが率いる現政権に反対する多くは、長年にわたって国王の神聖化解除と不敬罪の緩和を望んできた。冷戦時代、共産主義の蔓延に対する保守的な防波堤として、米国の資金援助により軍と王制の同盟が強化されていたため、軍は国王の保護者としての役割を担ってきた。共産主義の脅威がなくなった今、この(軍と王制という)権威主義的なパートナーシップの新たな敵は、国内で政治的変化を求める人々となったのだ。

多大な支持を集めた前進党の公約は実現するのか

2020年、人権派弁護士アノン・ナムパが国王の権力を抑制するよう呼びかけたとき、活動家たちはついに、国王と、タイにおけるその政治的役割という話題について口を開きはじめた。その数日後の集会では、タマサート大学の学生パヌサヤ・シッティラワッタナクンが、王制の具体的な改革を求める10項目のマニフェストを朗読した。これらの活動家たちは、それまで表には出てこなかった怒りと反感を爆発させた。各都市に急速に広まった抗議者たちは、この国の政治的、社会的包摂の定義の狭さを問題にした。若者を中心としたデモ隊は次のことに反対の意を表明したのである。すなわち、国王の政治介入、王族の特権、人権侵害、言論の自由の抑圧、教育制度に課せられたジェンダーやセクシュアリティの二元論、後に前進党となる政党の解散、その他である。これらの批判は、文化的規範と王国の政治的構造の両方を対象としており、与党保守派がこれまで維持しようと努めてきたものだったのである。

その結果、抗議者たちは王室の名誉棄損で訴えられることになった。2020年後半以降、少なくとも230人が不敬罪で起訴された。王制の名誉を傷つけるとみなされる活動や言論行為に参加したことで、累積刑が100年を超える被告もいる。保釈された人々は、多くの場合、長期間の公判前勾留の後、デモに参加したり、裁判所の許可なく海外旅行したりするなどの、少しでも王制に影響を与えると解釈されるような活動をすることができなくなった。このように、政府はこれらの法律の施行を通じて、また友人、同僚、家族、隣人についての情報を提供する自称「善良な」市民による地域警察を通じて、そしてこの抑圧的な風土に触発された避けがたい自己検閲を通じて、反対意見を封じてきたのである。誰もが誰かを不敬罪で告発することができる。新政権は、プラユット政権の10年近くにわたる支配の特徴であるこの法律の運用を緩和することで、刑務所や保釈中で裁判を待っている何百人もの反対派を解放することができるのだ。

より広いレベルでは、3年前の抗議運動は、タイの新しい世代の有権者を活気づかせた。今年5月の選挙では、500万人のタイ人が初めて投票した。彼らの多くは、2020年、2021年に行われたデモに参加したり、ソーシャルメディア上でフォローしたりしており、前進党は現在、その存在感を高めている。通常の戸別訪問や従来のメディア広告に加え、前進党はソーシャルメディア・プラットフォームを利用して、平均して起きている時間の半分近くをスクリーンの前で過ごすタイ人にアピールすることに成功した。多くの若者にとって、政治は自己形成の一形態であり、多くのタイ人が政治的コミュニティと所属の意味を構築するソーシャルメディアを通じて自己をキュレーションしているのだ。

ドアを開ける

前進党が選挙で成功したのは、既存の秩序に対する焦燥感の高まりの表れである。しかし、軍部によって考案された選挙制度の複雑さのおかげで、世論調査の結果を簡単に変革につなげることはできない。任命された上院議員のうち、前進党やプー・タイ党の候補者を支持する者はほとんどいない。政権を樹立するためには、前進党は選挙公約を妥協して、軍の支援を受けた政党と連立を組まなければならないかもしれない。そうすれば、事実上、権力とれ引き換えに、112条について話し合い、改革する可能性という機会を失うことになる。

このような行動は、前進党の最近の支持者の多くを失望させるかもしれない。しかし、長期的に見れば、タイ国軍とヴァジラロンコン国王に対する圧力のはけ口にはなり得ない。タイでは、官僚から司法まで多くの統治機関が王制に忠実であるが、軍ほど強固な同盟者はいない。2006年や2014年のようなクーデターも、国王のお墨付きによって正当化される。タイの政治に介入する傾向もあり、今後、不安定な時期が続くことが予想される。

もし前進党が連立政権を築けなかった場合、他の主要政党が代わりに政権を樹立する可能性があり、その場合、抗議運動が起こり、軍はそれをクーデターの口実に歪曲する可能性がある。前進党の連立政権が112条を改正しようとすれば、選挙管理委員会が同党とそのパートナーを解散させる可能性があり、これも国民の反発を招き、軍はクーデターを起こす可能性がある。連立政権が112条の議論に乗り出さなかった場合、タイ人は平和的な抗議行動を起こすかもしれないが、それは軍部のクーデターを招く可能性がある。ジャーナリストのプラビット・ロジャナプルックがKhaosod English(タイのインターネット英語新聞)で指摘しているように、タイでは1932年に絶対王制が崩壊して立憲君主制が確立されて以来、平均して7年に1回クーデターが起きている。今や最後のクーデターから9年が経過しており、機が熟しているとも言えるのだ。

軍政の現状が脅かされるような出来事や抗議があると、それを口実に軍部がクーデターを起こし、反対意見を取り締まり、最終的に選挙を行い、新政府が誕生し、再び権力が脅かされるまで統治するという、悲惨なパターンがタイ政治には続いている。軍が民主主義を抑圧し続ける根拠は何だろうか。それは、民主化が進めば、王制と軍という互いを強化し合う組織の地位と権力が低下することを恐れているからである。ヴァジラロンコン国王、軍部を支持する諸政党、そしてプラユット首相は、タイ国民の大多数の意思を受け入れ、改革の扉を開く機会を手にしている。しかし、その可能性は低いと思われる。タイ人が、自分たちの国の裏側で権力がどのように動いているのかについて、公に話し合うことができない限り、改革が根付くことは難しいだろう。

[捕捉]
報道では、前進党は、5月22日に他の野党7党と連立合意し「覚書」を締結した。
「覚書」では、「推進する政府の使命」として「国家の形態に影響を与えてはならない」「国王を国家元首とし、敬意を払われる立場にある民主的な政府制度」「国王という不可侵の人に敬意を表する」が合意されている。また「共同課題」には、不敬罪等王制に関する法制度の改革は含まれていない。

それでも、合計議席数は下院過半数の計313議席で、首相選出に必要な376議席には届かない。2014年のクーデター以降続いてきた親軍政権からの政権交代実現には上院議員の切り崩しが焦点となる。

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