眞子結婚騒動:天皇制の自壊につながるか!?

                                 桜井大子

天皇制はいよいよ窮地に立っているように見えるが、実際のところどうなのだろう。これまでがそうであったように、何となくぬらりとすり抜け、繋いでいくのかもしれない。しかし皇位継承問題では有識者会議は世論に反して相変わらず男系男子にこだわり、さらなる皇室内差別を作り出す方向で模索しているし、今年10月26日には秋篠宮の娘・眞子が前代未聞のゴシップまみれの結婚で皇室離脱し、渡米する。要するに天皇制という制度が抱える矛盾によって当たり前に内部から壊れ始めているのだ。

眞子結婚騒動や皇位継承問題が潜在的に持っている天皇制を揺さぶる力は、新天皇・皇后が表舞台になかなか立つ機会がないとか、「国民とのふれあい」が持てないといった焦りや悩みとは、比較にならないほどの破壊力を持っている。そしてそれらは、天皇家の「伝統」「権威」「尊厳」といったものの内実が抱える矛盾や、現実社会とのギャップが、自己崩壊へと導くそのプロセスとしてある。

眞子の「駆け落ち婚」などと揶揄される周囲の反対を押し切っての結婚は、天皇制、天皇家が必然的に作り出すほころびが露呈したというふうに見るべきだろう。そしてこのほころびは、皇位継承者枯渇問題とはやや次元が違うが、同様に自己崩壊の大きな端緒となりうるし、大きく広がっていく可能性もある。天皇制が抱える矛盾が噴き出しているのだから、それらに対する打つ手は、天皇制を大きく変えていくしかないが、いまそれをできる者がいるとはとても思えない。

■眞子が作り出した「ほころび」
皇族として生まれ育った眞子たちだが、皇室に閉じこもって生きてきたわけではない。徳仁・秋篠宮をはじめ、その次の世代の皇族たちも海外留学し、皇室の外での生活経験をもち、「民間人」との接触も増えている。結婚相手は明仁の世代から「民間人」であり、眞子たちはその3代目だ。また、スマフォ1つでさまざまな情報を入手できる時代となっている。「世間の自由」と皇室の不自由を簡単に比較できる世代なのだ。

もちろん世間の貧困や厳しさと皇室の特権的安定の比較もできるが、世間の辛さなどわかりようもない。おそらく明確に感じるのは理不尽な特権者の不自由だろう。結婚の自由、誰にも干渉されない外出や交友、ショッピング、食事…。それらを普通に持ちたいと思うのは当たり前だ。ただ、それができないのは何も皇族だけではないし、多くの人たちが不自由な生活を強いられている。いま眞子たちが望む自由は、やはり特権的な自由なのだ。それが皇室離脱後も続くという保証はないが。

その自由願望を払拭するには、自分たちの身分の性格を理解し、そこに価値を見出すしかない。しかし、その地位を所与のものとして享受し、かしずく人々に囲まれて生きてきた者にとって、特権と不自由が対としてある、国が作りだした身分に生きていることをどれほど認識できるのだろう。おそらく特権的不自由はただの理不尽な不自由であり、特権的自由を求めるしかない。そして眞子は一つの前例を作った。自由は自力で獲得する、と。まあ、男と逃げるという、よくある話なのだろうが。

しかし、天皇・皇族に求められるのは「人々のために祈り、人々に寄り添う」ことであり、人間らしく自由に生きることではない。この理不尽な矛盾を引き受けられない皇族が増えれば天皇制は立ち行かなくなる。

眞子の「わがまま」が天皇制をひっくり返すかもしれないとは、ながらく反天皇制運動をやってきた者にはガックリくる話ではあるが、内包する矛盾によって自壊するというのは、それはそれで当たり前でもある。

街頭では右翼が眞子の結婚に反対する行動を起こし、天皇家の伝統である家父長制は、眞子の「わがまま」でその威厳を潰され、明仁が望んだ皇族と皇位継承者減少対策としてある「女性宮家・女性天皇」容認論は、期待の眞子も遁走するし、有識者会議の議論は旧態依然を脱しない。残りわずかな皇族の中からも眞子の後を追うものが出てこないとは限らない。すべて天皇制の理不尽な制度の結果である。面白いではないか。その天皇制によって、踏みつけられてきた人権や人命が歴史的に精算されないまま今に至っていることを思えば、自壊など納得し難いが、存続よりはましに違いない。

ちまたには眞子結婚騒動で皇室の尊厳に傷がつくといった言論が溢れている。まだまだ強固な天皇制社会である。だが一方で、本人が幸せになるのであればいいんじゃない? 応援しますという街頭の声も多い。天皇制
の維持強化を真面目に考えるならば出てこないセリフだ。強固な天皇制社会とはいえ、ほころびは転がっている。

ただ、自己矛盾によって自壊するのは勝手だが、天皇制は踏みつけられた人たちと同じ地平に生きる者たちの「廃止」の声あびせながらなくしていきたい。ほころびを少しでも大きくこじ開け、声を上げていこう。(10月1日記)

*初出:『通信 反戦反天皇制労働者ネットワーク』 no.155 2021.11.1

*この文章が掲載された後、長らく一緒に議論してきた大先輩の友人から、眞子は「自らすべてを投げ捨てて皇族から抜けた人である。このような皇族は近代天皇制始まって以来はじめてである。そして皇族を離れ、特権的存在でもなくなった人である。このことは重要なことであり、考えなくてはならない」との意見をいただいた
このことについては私も同感であるが、そこに論点を置いて書くことには躊躇があった。私には他に書くべきことがあるように思えたからだ(そのことを書いたつもりだ)。だけど、1人の人間としての基本的な人権問題であるとも考えている。これらについては、これから考え、多くの人たちと議論していきたいと思う。

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