童謡・ジェンダー・天皇制?

スーパーで買い物をしていると、なにやら記憶にあるメロディが聴こえてきた。そして繰り返し流れるそのメロディに合わせて口ずさむ自分もいた。歌詞は口をついて出てくる。「お母さん」? そうか、今日は「母の日」だったか。

これを聴いていたのは幼少の頃だ。いつ頃どこで聴いていたのか、よく憶えていない。すっかり忘れていたのに、半世紀以上経ってもスルスルと口ずさめたのも驚きだが、こんな歌だったのかと、その歌詞にも驚いた。

メロディは優しくて懐かしい。でも、つられて口に出た歌詞の陳腐さに「マジか?」と思い、確認してみた。曲名はやはり「おかあさん」(ひらがな)。そして歌詞もほぼ記憶通りだった

おかあさん
なあに
おかあさんて いいにおい
せんたくしていた においでしょ
しゃぼんのあわの においでしょ

おかあさん
なあに
おかあさんて いいにおい
おりょうりしていた においでしょ
たまごやきの においでしょ

ああ、お母さんのイメージは洗濯とお料理なのだな。こんな歌だったんだ…。そして子どもの私はこうやって、母は洗濯と料理の人であるとの認識を刷り込まれていたのだな。いやいや、むしろ子どもの私と一緒に聴いていた母親に、優しい母親像として刷り込んでいたのかもしれない。おそらくは悪気など毛頭ないだろう作者の意図にゲンナリするのだったが、実際のところ、母とは洗濯と料理が当たり前の存在であった。

しかし実は母親たちは、トイレ掃除や生ゴミの処理など、たくさんの家事をしていた。おそらくいろんな匂いがエプロンや衣服には染み付いていたに違いなく、「いい匂い」なもんかと思ったりもするが、メロディはなぜか優しくて、いい匂いを伝えてくる。

私は、天皇制は日本のジェンダー規範に大きな影響力を持っていると主張してきた。もちろん、皇族女性が洗濯や料理をイメージさせることはない。美智子上皇后の結婚当時、彼女のエプロン姿や自分で子育てをするといった言動に、マスメディアは大騒ぎをしたが、それくらい皇室と「家事」は無縁のものなのだ。

でも、彼女たちはそれでいいのだ。女は子どもを産むこと、社会(家)では男が上位であること、カップルは男と女、この最上級の性の「不平等」を表象し、それを良しとするジェンダー規範を普及すれば十分なのだ。日常に転がるたくさんの具体的な差別は、そこからつくり出されるのだろうから。

とはいえ、下からの価値形成によって、上からの押し付け規範や価値観は喜んで受け入れられる。その方がお互い幸せにちがいない。だからこんな歌も生き残っているのだろう。

懐かしく口ずさんだ自分を悲しく思いつつ、違う価値観を形成していけば、たとえばこの歌の陳腐さにも気づくというものだ、と自分を慰めてとりあえず納得。

半世紀以上も経って当たり前のように遭遇するこの童謡で、社会の変わらなさに呆れつつ、人は上からの影響だけでつくられるわけではないことも再確認。だから価値観や「常識」の見直しは常に必須なのだと、あらためて思う「母の日」だった。ちゃんちゃん。(橙)

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