本サイトでも呼びかけていたこの連続行動の実行委は、「君主制はどこにもいらない! 秋篠宮『戴冠式』出席反対!5.6行動」も同時に取り組んだ。4.28—29の参加者はそれぞれ65名。5月6日は35名ほどだった。決して多いとは言えないが、内容的には充実した集会とデモが参加者と共に作り出されたと思う。
4月28日は、1952年のサンフランシスコ講和条約と同時に日米安保条約が締結された日だ。それを機に日本政府は沖縄を切り捨て、沖縄は米軍の支配下に置かれた。また1945年まで日本の植民地としてあった台湾・朝鮮半島出身の人々の国籍を剥奪する、法務省による「民事局超通達」が出された日でもあった。それらの歴史課題を前提に、今年は「戦争を煽るな! 米国の戦争と日本の大軍拡 4.28『沖縄デー』集会」として準備され、集会宣言にまとめられている(文末)。
集会は、その歴史の延長に現在の沖縄の米軍基地の問題や琉球弧全域に広がる軍事基地化の問題があること再確認し、いま何が起こっているのかを学び伝えていくための場として準備された。講師は木元茂夫さん〈すべての基地にNO!を ファイト神奈川〉と天野恵一さん〈集会実行委〉。会場は文京区民センター。
木元さんの報告はタイトル「ミサイル基地化と軍事演習:琉球弧で何が進んでいるのか」を丁寧に伝えてくれるものだった。最初に現状を伝える木元さん編集のビデオ。その後、自衛隊配備の凄まじさと地元住民の抵抗、そして容赦なく続く軍事演習など、メディアが伝えない現実を写真や図でわかりやすく報告された。
天野さんは「象徴天皇制と日米安保体制の歴史と現在」について。天皇メッセージから始まる「日米安保条約」の歴史的な経緯や、4.28のサンフランシスコ条約と安保条約締結問題、4.29の「昭和の日」(昭和天皇の誕生日を祝うための祝日)をつながる問題と捉えることの必然と重要性を主張。「誤った戦後国家のスタート」。繰り返し伝えるべき重要マターだ。
最後に特別アピールとして日韓民衆連帯全国ネットワークの渡辺健樹さんから、強制動員の損害賠償問題における日韓の動きと運動側の見解について話をしていただいた。これも、間違った戦後国家をスタートさせたまま今日に至っている大きな問題だ。ともに考え、声をあげていきたい。
4月29日は、反「昭和の日」銀座デモ。ニュー新ホールに集まり、団体や個人のアピールを受けデモ出発。発言は、マイナンバーカードと広島サミットについて宮崎俊郎さん、沖縄の米軍基地問題をめぐって中村利也さん、武蔵野五輪弾圧について当事者、即位大嘗祭違憲訴訟について吉田弁護士から。
デモは、いつもと変わらず右翼と警察に囲まれ、解散地点近くでは柄の悪い右翼の面々が待ち受けていたりもしたが、なんとか無事終了。
5月6日は、英国の新国王チャールズの「戴冠式」が行われる日で、秋篠宮夫妻が式典参列のために訪英していた。実行委は以下のように呼びかけた。
「英国王室の世襲の代替わり儀式である『戴冠式』に、世界中の君主制国からの招待者のひとりとして秋篠宮(次の天皇)が出席する。『戴冠式』そして君主制に反対する声は、英国では小さくない(共和主義団体・Republic の主張『not my king』は広く拡散されている)。そうした声とも呼応して、『君主制は世界中のどこにもいらない!』の声をあげ、秋篠宮の『戴冠式』出席に反対しよう」
新宿アルタ前に集まった人たちは35人ほど。右翼の数もそんなに多いわけではないが、声の大きさには閉口する。右翼がマイクを使っている時は、こちらの声は街頭には届いていないのではないかと思えた。それでも1時間、集まってくれた人たちや実行委メンバーがマイクに向かって淡々とメッセージを伝えた。この日のために作った横断幕とプラカード “abolish the monarchy” には、世界の反君主制の人々との連帯の意味も込められていた。また、リーフレット「世界のどこにも王はいらない」もこの日のために作られていたが、当日は右翼の妨害で新宿の街を歩く人々に配れなかった。それだけがくやしい。(大子)
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【沖縄・安保・天皇制を問う4.28-29連続行動 集会宣言】
私たちは、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効された4月28日とかつての天皇裕仁の誕生日であった4月29日に、天皇制の植民地支配と侵略戦争の責任を問う行動に取り組んできた。
サンフランシスコ講和条約は、冷戦の激化(朝鮮戦争下)で講和を急ぐ米国の政治的・軍事的な要請から、最大の被害国である中国、被植民地の国々、また、ソ連、インド、ビルマなどが加わらないなかで調印された。そこでは、日本の侵略戦争・植民地支配に対するアジア各国への賠償は経済援助方式に置き換えられ、被害当事者に対する謝罪や補償は一切行われなかった。また、天皇制国家による侵略戦争責任・植民地支配責任の追及も果たされることはなかった。
さらに、沖縄を含む南西諸島は切り捨てられ、米軍のアジアにおける軍事的拠点として、その後は「銃剣とブルドーザー」による住民を蹂躙しての軍事基地建設が強行されることになった。また、旧植民地出身者の地位は、一片の通達によって日本国籍を剥奪されることにもなった。一方、「本土(ヤマト)」では、日米安保条約によって、占領軍であった米軍が特権的地位を有した状態のままで駐留継続することになった。
この沖縄の「切り捨て」や日米安保条約の成立には、侵略戦争の最高責任者であった天皇裕仁自身が深く関わっている。
私たちは、こうした事態を「誤った戦後日本のスタート」と認識する。
昨年、沖縄は、「切り捨て」から70年、「復帰」から50年となる節目を迎えたが、現在、琉球弧全体で、自衛隊基地(ミサイル基地)建設が加速されている。これは、中国の封じ込めを狙う米国と日本政府の一体化した軍事政策によるものであるが、そこには琉球併合以来の「本土(ヤマト)」による沖縄に対する差別政策(利用政策)が継続し、沖縄(琉球弧)を再び、「本土(ヤマト)」の戦争の最前線に位置づけようとするものである。
また、いわゆる「徴用工問題」については、日本政府は、来日した韓国・尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領との間で政治的な決着を図ろうとしている。この背景には、やはり米国による中国包囲のための日韓米の軍事協力強化の狙いが透けて見える。71年前の講和条約と同様の、政治的・軍事的要請を優先した、被害当事者抜き、かつ、日本政府の責任を不問にするという構図が再現されている。
戦後日本のスタート時点での「誤り」は、糾されるどころか、70年後の今日まで拡大・深化されつづけているのだ。
私たちは、そうした日本国家のあり方に抗い続け、天皇制国家による植民地支配・侵略戦争責任の追及をあきらめず、その責任をなきものにしようとし、新たな戦争をもたらそうとする、戦後の象徴天皇制・日米安保体制をも厳しく糾弾していかなければならない。
ここにその決意を改めて確認する。ともに闘おう!
2023年4月28日
沖縄・安保・天皇制を問う4.28-29連続行動参加者一同