文化庁の移転と天皇制一極集中

「文化庁」が京都に移転しつつあるらしい。

文化庁ウェブサイト「文化庁の機能強化・京都移転」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/kino_kyoka/index.html
京都市役所ウェブサイト「文化庁の京都移転について」
https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000195679.html

文化庁が京都に移ると聞いて、「いいんじゃないの」と思う人が多いかもしれない。省庁の一極集中を緩和するのもよさそうだし、「文化」と聞いて「京都」ならなんだかよさそうだ。「伝統的」な「日本文化」を味わいたい人々で今日も京都の街はごったがえしているだろう。

なんでも、上の京都市役所のサイトによれば、2015年に「国が政府関係機関の地方移転に係る提案を募集したことを受け,オール京都・オール関西で国に対し要望」したんだそうだ。首都圏にいたのであんまり分からなかったが、きっと、「オール京都・オール関西」で大騒ぎしたんだろう。

その主張によれば、文化庁の所管する「国宝・重要文化財」の半分以上は関西にあるそうだ。「へー京都ってやっぱりすごい!」というハナシではない。当たり前のことだ。京都や奈良にあるものを東京にできた日本国の省庁が国宝や重要文化財に指定してきたんだから。なぜか?日本の歴史や、特に国宝・重要文化財指定行政に関わりの深い「日本美術史」は天皇を中心に組み立てられているから。それは「明治の昔」だけのことではなく、現代日本の若手?日本美術史研究者たちは、「平成天皇」の「在位30年」にあわせ、2017〜18年にまさかの「天皇の美術史」というシリーズを吉川弘文館から出版している。いい加減にしてほしい。

そもそも古い時代の文献資料や文化財が「日本書紀」など「天皇」を名乗り始めた勢力が作ったものしか残っていないので仕方ないのだろうが、歴史記述や美術史記述が、左も右も、どうしても「天皇」中心になってしまう。それでも歴史学者の李成市さんたちは、「天皇」という言葉が使われていない時代の人物にその呼称を使うのはおかしいとして「推古大王」のように「大王」と呼んでいる。当然ではないだろうか。

「芸術文化の振興、文化財の保存・活用、国際文化交流の振興等を使命としてい」(文化庁ウェブサイト)る文化庁が、天皇家がかつて長く居住し、その菩提寺のある京都に移転すれば、「地方創生」とは真逆、「芸術文化」の天皇制一極集中がますます進むことになるだろう。私たちは、知らず知らずのうちに「天皇」に引き寄せられてしまうことのない、文化や学術のありかたを追求していかなければならない。

あまり注目されることのない地味なニュースだが(京都では大騒ぎしていることと思うが)、天皇制に反対する人たちは、こういったニュースにも注目してほしい。
(トメ吉)

 

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