反靖国~その過去・現在・未来~(5)

土方美雄

靖国神社の「過去」~まずは、創建から第二次世界大戦まで~ その1

これまで四回にわたって、紙上での靖国神社の境内ツアーという形をとって、靖国神社とは、一体、どんなところなのかを、みてきた。これからは、靖国神社の歴史を、ほぼ時系列に沿って、みていくことにする。とはいっても、その一部は、境内ツアーの中で、書いたことと、重複するので、重複する個所に関しては、なるべく重複を避け、簡潔に、記していくことにする。

その前に、では、靖国神社の歴史を知るためには、とりあえず、どんな本を読んだらよいのかについて、紹介しておこう。

これまで、何度も引用させていただいている『靖国の闇にようこそ 靖国神社・遊就館非公式ガイドブック』の中で、辻子実さんは、「さらにヤスクニを知りたい人のためのブックガイド」として、以下のように、記されている。

『国家神道』(村上重良・岩波新書・70)、『慰霊と招魂』(村上重良・岩波新書・74)、『靖国神社』(大江志乃夫・岩波新書・84)、『遺族と戦後』(田中伸尚ほか・岩波新書・95)、『靖国の戦後史』(田中伸尚・岩波新書・02)の岩波新書五部作と、『靖国問題』(高橋哲哉・ちくま新書・05)を読めば、『ヤスクニ』の歴史・思想を概観できると思います。

この内、2014年に、復刊された村上重良さんの『慰霊と招魂 靖国の思想』と、高橋哲哉さんの『靖国問題』以外は、いずれも品切れになっていて、残念ながら、書店では入手困難な本になっている。良書が、必ずしも、重版され続けられるとは限らないのが、日本の出版事情である。

書店で入手可能な2冊に関しては、『慰霊と招魂』は、主に、同神社の創建から第二次世界大戦までを扱い、同神社の国家護持を目指す、戦後の動きに関しては、「現代の靖国問題」という最終章で、簡単に触れられているだけである。しかも、書かれたのが、1974年のことであるため、靖国国営化法案頓挫後の、同神社への首相・閣僚の公式参拝を目指す動向に関しては、当然のことながら、まったく、触れられていない。

また、『靖国問題』は、歴史的な記述というよりは、同神社が国家の装置として、どのような機能と役割を果たしてきたのかを、哲学的に解明した、本である。

それ以外の本では、簡単に読める本として、とりあえず、以下の二冊を、あげておこう。

赤澤史朗『靖国神社 「殉国」と「平和」をめぐる戦後史』(岩波現代文庫、2017年)

これは、2005年に、岩波書店から上梓された本の、文庫化。第二次世界大戦後の、靖国神社をめぐる記述が、主である。

小島毅『増補 靖国史観 日本思想を読み直す』(ちくま学芸文庫、2014年)

この本は、2007年に、ちくま新書として、刊行された。新たな一章を加えた、増補版になっている。「靖国の『英霊』は『国体』を護り輝かせるべく、『大義』のために死んだ戦士たちである。しかし、そもそも『維新』とそれ以降の歴史に『大義』はあったのだろうか。/靖国神社とは、近代日本がたどった『不幸な歴史』を象徴する宗教施設なのである」というのが、新たな増補された最終章「大義」の結論。

あと、山中恒さんの『靖国の子 教科書・子どもの本にみる靖国神社』(大月書店、2014年)なども、靖国教育の実態を知る上で、必読書。なおかつ、書店で、入手出来る。

というところで、前書きが、あまりにも長く、なった。スイマセン。

以下は、盟友・高橋寿臣が、かつて、『インパクション』という雑誌に書いた、文章である。

靖国神社は、明治天皇制政府によって創建された神社である。明治維新期の諸戦争において官軍として「天皇のために」死んだ者のみを祀る目的で創建された東京招魂社を前身とし、日清・日露等の対外戦争における戦死者を、英霊=神として祀ることによって発展していった。天皇を最高の祭主とする国家神道(事実上の国教)体制の中にあって、別格官幣社の社格が与えられ、天皇が「臣下」に参拝する神社としてその権威が保障されることによって、天皇主義・国家主義のイデオロギーを民衆に植えつける上で大きな役割を果たしたのである。戦前(中)においては陸海軍が管轄し、警護には憲兵があたるなど文字通りの軍事施設であった。「死んで靖国神社で会おう」「九段で会おう」なる合い言葉で民衆を戦争にかりたてていった歴史を忘れてはならない。靖国神社は、侵略戦争・軍隊・天皇制を支えてきた神社なのである。

では、その黒歴史を、次号以降、みていこう。

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