1・27「建白書」10年 集会とデモ@日比谷野外音楽堂

「止めよう! 辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会主催の、1・27『建白書』10年 集会とデモ。雪と寒さは心配だったが参加できてよかった。デモを歩きながらしみじみそう思った。

10年前(2013年)のこの日(1月27日)、沖縄県内全41市町村の全首長、議会議長、県議33人など144人が、日比谷野外音楽堂に集まり集会を行い、銀座をデモ行進した。翁長県知事(当時)らデモの参加者は、右翼らによって沿道から浴びせられた沖縄に対するヘイトスピーチに強い衝撃を受けたという。そして翌日、①オスプレイの配備即時撤回、②米軍普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念——を求める「建白書」を安倍首相らに手渡した。沖縄の「復帰」後、最大規模の直訴行動であった。

この日の参加者は主催者発表で800人。野音は半分も埋まっていなかった。悪天候が予想されていた中でよく集まったと言えば本当にそうかもしれない。それでも私は、悪天候を恨みつつ、少なすぎるなあと集会のあいだ発言を聞きながら残念な気分の方が大きかった。

なぜ沖縄はこんなに長い間日本社会から忘れられ、政府の欲望のままに利用し尽くされているのかという怒りと嘆き、そして次の世代にはこういう思いをさせるわけにはいかないという決意が述べられる一方で、現在すすめられている事態は間違いなく沖縄・琉球諸島の戦場化であるという、冷酷・冷然な現政権の政策が指摘される。

そして、沖縄の歴史や基地強化・戦場化問題とは無縁であるかのように生きていられる日本社会の多くの住民に、実はこれらは、日本社会とその住民たちにとっても重大な問題としてあることに少しでも早く気づいてほしいと、発言したすべての人たちは明示的に、あるいは暗黙に伝えてきた。

*「辺野古新基地建設の断念を求める請願署名」(締切が5月19日に延長された)への協力も呼びかけられた。

あの「建白書」から10年。そして事態は悪い方向にしか動いていない。私たちは改めてそのことを思い知る必要があるのだ。ぜひ多くの人に聞いてほしい発言の数々だった。

最近、住民へのまともな説明もないまま住民の安全を脅かす危険な政策が進められる事態が頻発している。たとえば私のすぐ近いところでは、陸上自衛隊木更津駐屯地に暫定配備されているオスプレイが自衛隊立川飛行場へ飛来するという問題。新宿御苑の花壇で福島原発事故で生じた放射能汚染土再利用の実証試験を行うといったこと等々。そのことに対して地元住民が声を上げ、反対運動も開始され、決して多いわけではないが、それでもその状況を大きく報道するメディアもあった。反対の声とその報道によってその理不尽で無責任で横暴な行政のあり方は暴露され、地元以外の私たちも知っていく契機も作られている。そこには小さくとも希望や可能性を感じさせられるのだ。

しかし同様にまともな説明もなく、地元住民の半数を大きく超える県民一体ともいわれる反対の声があがる中で、長期に渡り、それを無視した強引な基地建設、軍事化を進めてきた国の沖縄に対するあり方については、「本土」ではあまりにも報道されなさすぎる。この日の集会について、インターネット上では決して多くはないが運動メディアなど動画も含む報告があがっていた。しかし翌日の朝刊にはベタ記事もなかった。私が確認したのは『朝日新聞』だけだが、ネット情報で見る限り、沖縄の新聞以外に報道はなさそうだ(『朝日新聞』はその後デジタル版で記事がアップされていたが)。このメディア状況に気分は暗くなる一方だが、報道の有無や記事数にゲンナリする以前に、なぜ報道しないのかというさらに大きな問題がある。無関心ではなく意図的な無視なのであり、とてつもなく深刻な事態であるのだ。「報道されたことのみがあったこと」との勘違いがまかり通れば、都合の悪い事実は報道いかんでいくらでもなかったことにできよう。

ちなみに同じ28日朝刊のベタ記事の一つは、秋篠宮夫婦と佳子、そして三笠宮彬子がどこぞの花の展覧会に行ったとかいう記事。こんな皇室ネタを優先させてしまう日本のメディア状況に底なしの闇を感じてしまう。そしてそのマスメディアの力はとてつもなく大きく、この社会の秩序も価値観も人々の欲望までもが左右されかねないのだ。「マスコミじかけ」(天野恵一)とはよく言ったものだ。「マスコミじかけのニッポン」だ。

そういう状況下で私たちは、交差し合う情報の間を縫いつつ、底辺から、地道に発信し続けるしかないのかも、などとデモを歩きながらブツブツと呟いた。デモも、弱小メディアも、重要な情報発信の一つの形なのだ。(大子)

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