やじうま日誌 2022年12月

【12月1日】
天皇、皇族◆愛子が、21歳の誕生日を迎え、明仁、美智子にあいさつするため、東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所を訪問。車の後部座席に乗り、仙洞御所正門から赤坂御用地に入る。皇居・御所に戻り、徳仁とともに宮内庁長官や次長、侍従長や側近部局の侍従職職員からそれぞれ祝賀を受ける。当初出席予定だった雅子は体調が整わず、欠席。
愛子◆21歳の誕生日。/宮内庁が、誕生日に合わせて、愛子が皇居内にある厩舎で馬と触れ合う写真を公開。
常陸宮◆東京都豊島区の東京芸術劇場を訪れ、総裁を務める日本肢体不自由児協会が主催する美術展とデジタル写真展を鑑賞。
英王室◆ジャンピエール米大統領報道官が、バイデン大統領が英国のウィリアム皇太子と妻キャサリンと東部ボストンで12月2日に会談すると明らかに。米議会専門紙ヒルによると、夫妻が、環境問題の解決に向けた活動に贈る「アースショット賞」の式典に参加するためボストンに到着。
【12月2日】
徳仁◆宮内庁が、徳仁が11月下旬に受けた前立腺の組織検査の結果、異常は認められなかったと発表。
【12月3日】
久子◆日本サッカー協会の名誉総裁を務める故高円宮の妻久子が、サッカーのワールドカップ(W杯)観戦などを終え、カタールから帰国。
織田和雄◆織田和雄(明仁のテニス仲間)が11月25日、虚血性心不全のため東京都内の自宅で死去したと報道。1957年、明仁と美智子が初めて出会った長野・軽井沢のテニストーナメントに同席し、結婚前の2人の電話を取り次ぐ「キューピッド役」を担ったとされる。
英王室◆バイデン米大統領が、東部ボストンで英国のウィリアム皇太子と面会し、海岸を一緒に散歩。ホワイトハウスによると、気候変動問題を話し合ったというと報道。
【12月4日】
皇居◆皇居で11月26日に始まった乾通りの一般公開が終了。乾通りの一般公開は明仁の80歳の傘寿を記念して2014年に始まった。
【12月5日】
徳仁、雅子◆東京都江東区の有明セントラルタワーを訪れ、障害者支援の「功労者」らの表彰式に出席。徳仁があいさつで「障害のある人が日常生活や社会生活を送る上での社会的な障壁の除去が図られつつある」。「人々の理解と関心がより一層広がり、真の『共生社会』が実現されていくことを願う」。
ベルギー王女◆岸田文雄首相が、ベルギーのアストリッド王女と官邸で会談。首相が洋上風力や水素、次世代半導体などの分野での2国間協力に触れて経済関係強化に期待感を示し、王女が両国関係を発展させたいと応じる。王女は約600人規模の経済代表団を率いて訪日した。林芳正外相が、王女に同行して訪日したラビブ外相と外務省で会談。ラビブ外相が、王女が徳仁をベルギーに招待する意向があると伝える。
UAE◆アラブ首長国連邦(UAE)のムハンマド・ビン・ザイド大統領が、中東初のサッカー・ワールドカップ(W杯)を開催中のカタールを訪問。両国の国営メディアが伝える。UAEを含むアラブ4カ国が2017年6月から約3年半、カタールと一方的に断交して以降、初の公式訪問。ムハンマド大統領は断交時は皇太子で、断交を主導した一人とみられている。UAE国営の首長国通信によると、カタールのタミム首長の招待による訪問で、2国間関係の強化などを協議。
【12月6日】
紀子◆東京都千代田区の東京国際フォーラムを訪れ、第22回国際栄養学会議の開会式に出席。
サウジ◆サウジアラビアの国営通信が、中国の習近平・国家主席が7~9日の日程でサウジを訪問すると伝える。滞在中にサルマン国王との首脳会談が行われ、サウジの国政を取り仕切るムハンマド皇太子も会談に参加すると報じる。
【12月7日】
秋篠宮、紀子◆東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターを訪れ、統計150年記念式典に出席。1871年に総務省統計局の前身となる組織が設置された。
サウジ皇太子◆サウジアラビア人記者カショギが2018年にトルコで殺害された事件で、米首都ワシントンの連邦地裁が、関与が指摘されるサウジのムハンマド皇太子の責任追及を人権団体が求めた裁判の請求を棄却。皇太子は9月にサウジ首相に就任しており、バイデン政権は政府トップに対する免責の原則が適用されるとの判断を地裁に既に伝達したため、地裁判事は皇太子が関与したとの疑惑に「困惑」しているとしながらも政権の見解を尊重したと報道。
【12月8日】
徳仁、雅子◆8月の大雨や台風8号、9月の台風14号や15号で甚大な被害を受けた青森、新潟、宮崎、静岡の4県に見舞金を贈る。宮内庁の鈴木敏夫・総務課長が各自治体の東京事務所長に渡す。
明仁◆明仁が在位時代、作家半藤一利=2021年死去=とノンフィクション作家保阪正康らを皇居・御所に招いて懇談し、満州事変など戦禍の真相について質問を繰り返していたことが分かったと報道。懇談は13年2月~16年6月の計6回で、美智子も同席し、側近だった渡辺允・元侍従長=22年死去=から記録を残すようアドバイスを受けた保阪が共同通信に明かしたという。13年9月の懇談では1931年の満州事変が話題になり、明仁が「満州事変についてはどう考えていますか」と尋ね、半藤が「日中全面戦争のきっかけでした」と応じた。半藤や保阪らが関東軍の関与や陸軍本部との関係を詳述すると、明仁「関東軍が仕掛けた謀略という理解でよろしいのですね」。27年に田中義一首相が昭和天皇に宛てたとされる「田中上奏文」のやりとりもあり、明仁が「どういうものだったのでしょうね」「誰が書いたのですか」と矢継ぎ早に聞き、半藤が偽書との見方が定着していると答えた。戦後、側近が聞き取ったとされる昭和天皇の「拝聴録」の存在について半藤が尋ねると「ないと思います。私は知りません」と断言した。
サウジ◆中国の習近平・国家主席が、サウジアラビアの首都リヤドの宮殿でサルマン国王や、首相で国政を取り仕切るムハンマド皇太子らと首脳会談を行う。サウジ国営通信が伝える。双方が両国間の経済協力強化を協議し、包括的な戦略パートナーシップ合意を結び、直接投資の促進や水素エネルギー分野などの覚書を交わす。
【12月9日】
天皇、皇后◆徳仁、雅子が、雅子が59歳の誕生日を迎えたあいさつのため、東京・元赤坂の赤坂御用地にある明仁、美智子の住まい仙洞御所を訪問。皇居・御所に戻り、愛子が加わって、側近トップの侍従長や侍従職職員らから「祝賀」を受ける。これに先立ち徳仁、雅子が皇居・宮殿で、秋篠宮、紀子や宮内庁長官ら幹部、岸田文雄首相ら三権の長などとの祝賀行事に臨む。
雅子◆59歳の誕生日。宮内庁を通じて感想を公表し、1993年6月に29歳6カ月で結婚して皇室に入ってから「ちょうど29年半になります。いつの間にか人生のちょうど半分ほどを皇室で過ごしてきたことに、感慨を覚えています」と記したと報道。沖縄の「日本復帰50年」の節目に、徳仁と共に10月に沖縄県を訪問して戦没者を慰霊し「平和の尊さや大切さを改めて心に深く刻む機会になりました」。この1年について「国際的な紛争や、世界各地での自然災害などが重くのしかかり、心が痛むことが多かった」。「戦争や紛争により、子どもを含む多くの人の命が失われていることに深い悲しみを覚えます」。/「長期療養中」の雅子が活動の幅を広げつつあると報道。10~11月にかけて栃木、沖縄、兵庫での「主要地方公務」に徳仁と同行し、「国民」との交流や現地視察など予定された日程を全て無事に終え、側近は「象徴たる陛下を支える重要な役割を果たしている」とする。ただ、体調が回復途上にあることは変わらず、負担がかかりすぎないよう慎重な対応を続ける、と。
「皇后誕生日祝賀」◆岸田文雄首相が、妻と共に皇居で行われた「皇后陛下誕生日祝賀」に出席。
「神武天皇陵」◆初代天皇とされる神武天皇陵(奈良県橿原市)の周囲を発掘調査している宮内庁が、調査現場を報道陣と研究者に初めて公開。遺構は見つからなかったが、近代の造成に伴う遺物が出土し、同庁陵墓調査室の横田真吾・主任研究官は「陵墓周辺の土地改変の状況が明らかになった」と話したと報道。
サウジ皇太子◆ロシア外務省が、入国時に大麻オイルを所持していたとして懲役9年の判決を受け、服役していた米女子プロバスケットボールのブリトニー・グライナー選手が、アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ空港で釈放されたと発表。「死の商人」と呼ばれ、米国で武器密売などの罪で服役していたロシアの元軍人のビクトル・ボウト元受刑者と身柄交換が行われる。サウジアラビア国営通信が、UAEのムハンマド大統領とサウジ首相のムハンマド皇太子が釈放を仲介したと伝える。
【12月10日】
秋篠宮一家◆東京・元赤坂の赤坂御用地にある宮邸で、ベルギーのフィリップ国王の妹で訪日中のアストリッド王女と面会。宮内庁によると、秋篠宮、紀子と佳子、悠仁が王女を出迎える。王女から訪日の様子や昔の思い出を聞くなど約1時間にわたり懇談したというと報道。
サウジ皇太子◆サウジアラビアの首都リヤドで開かれた中国とアラブ諸国の初の首脳会議が、双方の戦略パートナーシップ強化をうたった声明を発表。人権問題を政治化させ、他国の内政に干渉する道具として使うことを拒否すると声明で明記。首脳会議には中国の習近平・国家主席やアラブ各国の多数の首脳が出席。議長を務めたサウジのムハンマド皇太子が、アラブが「進歩と再興」に向けて進むと会議の最後に宣言。
【12月11日】
安倍「国葬」◆安倍晋三・元首相の「国葬」に奈良県の荒井正吾知事と県議会の岩田国夫議長が出席するため、公費から計約9万円を支出したのは違憲、違法だとして、県民約40人が、県に対し費用の返還を知事と議長に請求するよう求め、奈良地裁に提訴。
【12月13日】
新年一般参賀◆宮内庁が翌年1月2日に実施する新年一般参賀について、10万2377人から応募があり、9606人が当選したと発表。宮内庁庁舎前に特設記帳所を設置すると報道。
宮内庁御用掛◆歌人で短歌評論家の篠弘が12日、多臓器不全のため東京都の病院で死去したと報道。歌会始の選者、皇室の和歌の相談相手「宮内庁御用掛」を務めたほか、現代歌人協会理事長や日本現代詩歌文学館館長、日本文芸家協会理事長を歴任した。
クウェート皇太子◆岸田文雄首相が、官邸でクウェートのミシャル皇太子と電話会談。
【12月14日】
秋篠宮、紀子◆東京・上野の日本学士院会館を訪れ、第37回と第38回の国際生物学賞授賞式に出席。秋篠宮があいさつで「研究が今後さらに進展していくことを願うとともに、生物学分野が一層深まっていくことを祈念する」。国際生物学賞は1985年、生物学を研究していた昭和天皇の在位60年などを記念して創設された。
【12月15日】
英王室◆チャールズ英国王の次男ヘンリー王子が、米動画配信大手ネットフリックスの番組で、妻メーガン妃の過去の流産はメディアによる過熱報道が「原因だと思う」と批判。海外移住についての家族会議の際に、兄のウィリアム王子(現皇太子)が自分に対し「怒鳴った」ことを明かす。英メディアが伝える。
【12月16日】
徳仁、雅子◆東京・丸の内の静嘉堂文庫美術館を訪れ、創設130周年と新美術館開館の記念展「響きあう名宝―曜変・琳派のかがやき―」を鑑賞。静嘉堂は三菱第2代社長の岩崎弥之助が創設し、第4代社長の岩崎小弥太により拡充され、10月に美術館の展示ギャラリーが東京都世田谷区から丸の内の明治生命館に移転した。宮内庁によると、皇太子時代に世田谷の美術館を私的に訪れたことがあるというと報道。
【12月18日】
足尾銅山鉱毒◆1891年の当日、衆院議員の田中正造が、足尾銅山鉱毒について質問書を初めて国会に提出。国会で鉱毒事件を幾度も取り上げ、1901年には明治天皇への直訴も試みた。
バスケ皇后杯◆バスケットボール女子の第89回皇后杯全日本選手権の決勝が東京・代々木第二体育館で行われ、ENEOSがデンソーを下して最多を更新する10連覇を果たす。
【12月19日】
徳仁、雅子◆皇居・宮殿「豊明殿」で、財務相や総務相の表彰を受けた国税庁や自治体の税務職員166人と面会。徳仁「長年にわたり、税務職員として職務に尽くされ、このたび表彰を受けられたことを心からお祝いします」。
徳仁◆皇居・御所で、セネガルのサル大統領と会見。徳仁は3月、セネガルで開催された「第9回世界水フォーラム」の開会式にビデオメッセージを寄せており、サル大統領からセネガルの水問題について説明を受け「大変参考になりました。これからも水の問題に関心を持って取り組んでいきたいと思います」。
天皇誕生日一般参賀◆宮内庁が、翌年2月23日の天皇誕生日の一般参賀を事前申し込み制で実施すると発表。一般参賀は2020年以降、新型コロナウイルス禍で中止が続き、開催は即位後初。2月23日午後には宮内庁庁舎前に記帳所も設置される予定と報道。
宮内庁御用掛◆宮内庁が、皇室の和歌の相談相手となる宮内庁御用掛に、歌人の永田和宏を採用すると発表。12日に死去した歌人の篠弘の後任。
【12月21日】
天皇訪中◆外務省アジア局の中国課長が海部政権下の1991年8月、天皇の早期訪中を期待していた中国政府に対し、海部俊樹首相の続投は微妙だとして、次の内閣に任せるのが望ましいとの考えを伝えていたことが、公開された外交文書で明らかに。「新内閣の下で検討することが適当」と提案していた。海部政権を支える立場の外務省の事務方が、同年10月に予定していた自民党総裁選での海部不出馬を予見し、国家的行事の先送りを中国に求めたと受け取れる内容と報道。91年8月7日付の「部内連絡」によると、中国課長だった宮本雄二・元駐中国大使が東京の中国大使館参事官だった王毅・国務委員兼外相と面会し、海部の続投を「機微な問題」と表現。総裁選前の海部が会談で天皇訪中に前向きな発言をすれば、天皇を政治利用したと日本国内で受け取られかねないとして、会談で天皇訪中を提起しないよう暗に促していた。/外務省が、1991(平成3)年の外交文書19冊、6800ページ超を公開し、海部俊樹首相(当時)の中国訪問などに際し、中国側が天皇、皇后(明仁、美智子)の訪中を強く働きかけていたことが明らかになったと、産経新聞が報道。89年の天安門事件以降、西側諸国による経済制裁で外交的孤立に苦しんだ中国が、天皇訪中によって突破口を開こうとした思惑が改めて浮かび上がった、と。記録によると、91年8月10日、中国を訪問した海部を歓迎する夕食会で、李鵬首相(当時)は海部に「来年の天皇陛下訪中実現にかける中国側の気持ちは非常に強い」と語りかけた。「本来会談の席でお話ししようと思ったが、日本側を困らせることは本意ではないので、それはやめた」とも打ち明け、海部は「検討を進めたい」と応じた。
【12月22日】
愛子◆在籍する学習院大の対面授業や試験を受けるため、20日と21日に通学したと、宮内庁が明らかに。
皇位継承策◆安定的な皇位継承策の検討を先送りする政府の有識者会議報告書が出て1年となったが、報告を受けた国会の議論は大きな進展がなく、2017年の退位特例法成立時に、政府に検討を求める付帯決議案作成に携わった大島理森・前衆院議長は19日に共同通信のインタビューに応じ「安定継承は将来、政治の責任が問われかねない大きな課題だ。衆参両院議長の下に各党各派の代表を集めるやり方もある」と対応を促したと報道。
【12月23日】
天皇、皇族◆徳仁、雅子が、89歳の誕生日を迎えた明仁に「祝い」のあいさつをするため、東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所を訪問。祝賀行事に美智子や秋篠宮、紀子が同席。これに先立ち、明仁、美智子が側近部局の上皇職職員や、宮内庁長官ら幹部から祝賀を受ける。午後、岸田文雄首相や最高裁長官らが訪れる。
明仁◆89歳の誕生日。
明仁誕生日祝賀◆岸田文雄首相が、東京・元赤坂の仙洞御所で行われた明仁の「誕生日祝賀」に出席。
皇室情報発信◆宮内庁が、皇室に関する積極的な情報発信をするため、翌年4月に広報室を新設すると報道。室長ポストを含む4人の増員を盛り込んだ2023年度予算案を政府が閣議決定。広報室は宮内庁ホームページ(HP)の刷新や、交流サイト(SNS)などの活用を検討する。現在、長官官房にある総務課報道室は15人態勢で、うち広報担当職員が6人いるが、23年度は報道対応に特化して9人態勢となる。新設する広報室は約10人態勢になる見通し。
【12月24日】
秋篠宮◆東京都江東区の日本科学未来館を訪れ、中高生を対象にした科学コンクール「第66回日本学生科学賞」の表彰式に出席。式典後、内閣総理大臣賞を受賞した生徒らと懇談。
鴨場見学会◆宮内庁が、新型コロナウイルス禍で2020年3月以降見合わせていた埼玉県と千葉県にある「鴨場」の見学会を翌年2月から再開すると報道。
【12月26日】
歌会始◆翌年1月18日に皇居・宮殿で開かれる「歌会始の儀」で、歌が詠み上げられる一般の入選者10人が決まり、宮内庁が発表。天皇に特別に招かれて歌を披露する召人は、歌人の小島ゆかりが務めると報道。
皇居「春飾り」◆新年に皇居・宮殿や御所などに飾られる盆栽「春飾り」の準備が大詰めを迎えているとして、宮内庁が作業の様子を報道陣に公開。出来上がった春飾りは、東京・元赤坂の赤坂御用地にある明仁、美智子の住まいの仙洞御所や各宮邸、皇居の宮内庁庁舎に置かれる予定というと報道。
英王室◆英国のチャールズ国王が、クリスマス恒例のメッセージ動画を公表、母のエリザベス女王を9月に亡くし「心が痛む」と表明。ロシアのウクライナ侵攻や最近の記録的な物価高を念頭に、困難な状況下で支援活動に携わる「驚くほど親切な人々」に敬意を表すると語る。
【12月27日】
新年一般参賀◆宮内庁が、翌年1月2日に皇居で実施する新年一般参賀に、愛子が初めて参加すると発表。明仁、美智子も出席すると報道。徳仁、雅子と愛子、秋篠宮、紀子と佳子は6回全てに登場し、明仁、美智子は午前中の3回に姿を見せる。1回目の参賀には、皇室を構成する17人のうち15人が参加する予定。
「内奏」、閣僚認証式◆岸田文雄首相が皇居で「内奏」、秋葉賢也・復興相の後任に就く渡辺博道・元復興相の閣僚認証式に出席。
允恭天皇陵◆大阪府藤井寺市で廃園になった市立道明寺東幼稚園の園庭に、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の一つ、允恭天皇陵古墳(市野山古墳、同市)の50分の1の大きさの古墳(墳丘の長さ約4・6メートル)が完成し、記念セレモニーが開かれる。市教育委員会は旧園舎を地元の歴史に触れる施設にする方針と報道。
【12月28日】
徳仁、雅子、愛子◆東京都港区のTOHOシネマズ六本木ヒルズを訪れ、地域医療支援チャリティー上映会で映画「Dr.コトー診療所」を観賞。
秋篠宮◆宮内庁が、秋篠宮が日本動物園水族館協会の第70回動物園技術者研究会出席などのため、翌年1月19~20日に広島県を訪問すると発表。19日午後に広島市の平和記念公園にある原爆慰霊碑に供花し、広島平和記念資料館などを見て回る。
【12月29日】
佳子◆28歳の誕生日。
京都御所◆宮内庁が1月5~9日、京都御所(京都市)で新年の干支にちなんだウサギの障壁画を特別公開すると報道。
ロシア女帝像◆ウクライナ南部オデッサ市で、「オデッサの創設者」とされるロシアの女帝エカテリーナ2世(1729~96年)の像が撤去される。ウクライナメディアが報じる。
【12月30日】
「パンクの女王」◆世界的に有名な英国のファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドが、ロンドン南部で死去。デザインを手がけたドレスは故エリザベス女王の孫ウィリアム皇太子がキャサリン妃と2011年に結婚式を挙げた際、女王の孫ユージニー王女も着用した。
【12月31日】
皇嗣職侍医◆皇嗣職侍医細谷弓子が同日付で依願退官する宮内庁人事が公表される。

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