■明仁天皇は、敗戦50年を機にその前年から「慰霊の旅」を開始し、敗戦60年、70年と、「慰霊・追悼」を目的とする国内外の大規模な戦争被災地や「激戦地」と呼ばれた地に出かけた。
■天皇が慰霊・追悼する対象のほとんどは「戦死」したとされる旧日本軍兵士たちと戦争で死んだ「民間人」だ。その死者たちは、天皇の命令で戦争の加害者となり、同時に犠牲者でもあった。その人々に対して天皇がなすべきことは、加害と被害の両方の立場に立たせ、死なせたことへの謝罪以外にない。だが天皇たちは謝罪ではなく、「慰霊」と「祈り」のために旅を続けた。海外での慰霊・追悼も、そこで亡くなった旧日本兵がその対象のほとんどで、その際に軍事占領や植民地支配に対する反省や責任について語られたことはない。
■このような行為を繰り返す天皇に対して、メディアはこぞって「平和天皇」と称し、多くの人々がそういった天皇礼賛を当たり前のように受け入れた。
■戦争責任に向き合っているかのように見せる「慰霊」行為が、生存する戦争被害者や遺族に対する謝罪や補償など、具体的な政策につながったことはない。むしろ、天皇の言葉や祈り等々によって、その具体的な政治的・道義的責任から逃れられるとの勘違いが政府だけでなく、ひろい層に共有されているようにみえる。結局、戦争責任をあいまいにする機能を果たしているといえる。
■日本政府がなすべきことは、天皇に「慰霊」や「祈り」を行わせることではなく、正式な謝罪と賠償である。
明仁「慰霊の旅」 | |
1994 | 硫黄島 |
1995 | 沖縄(地上戦)、広島・長崎(原爆)、東京都慰霊堂(空襲) |
2005 | サイパン |
2015 | パラオ・ペリリュー島 |
2016 | フィリピン |