夏の散弾

平井玄

邪鬼の眼

奈良市の西にある勝宝山西大寺は、765年に創建された真言律宗の総本山である。建立に際しては僧・道鏡の力が大きく、その名の通り東大寺に伍する大伽藍になるはずが、高僧の追放でそうはならなかったという。東大寺から真西に歩いて1時間半ほど、奈良観光の射程内である。

平将門や足利尊氏と並んで皇位を襲った「日本三悪人」の誉れ高き弓削道鏡については、坂口安吾や黒岩重吾が小説に書いている。巨根伝説に彩られた怪僧の生涯は作家たちの綺想を誘発するところがあるらしい。

現在の西大寺には道鏡の威光など感じられない。創立以降1250年余りで何度も炎上、衰退しては再興が繰り返された。足を延ばしても、平城京の西の端にある大振りだがいささか地味な密教古刹である。
本尊の四天王像に踏みつけられた邪鬼が面白い。この鬼神だけが創建当初のもの。とりわけ増長天。剝き出しの巨大な眼球、反り上がる鼻、喰いつくような大口。髪も眉も唇も野太い。四天王を斜め下から見上げる。これは道鏡が遺した妖気なのか。東大寺や興福寺や東寺に這いつくばるそれより、はるかに陽性で叛逆的な力に満ちているのだ。

大和西大寺駅は近畿日本鉄道3線が南北に交わる十字路にある。奈良橿原から京都宇治や大阪難波に通じるこの駅前で、今年の盛夏7月8日に手製銃器から2発12個の散弾が発射され元宰相が屠られる。すでに4か月。この地を覆った妖雲をこういう邪鬼の眼から見たい。鎮護国家の守護神から重靴で足蹴にされる鬼たちには、250メートル先に漂うこの暗殺者の残影がどう見えているのか。これは私の妄念である。

暗殺者と皇

怪異な宗教による政治支配。2世救済。国葬芝居。いずれのテーマも重要であることは間違いない。だがここでは暗殺者が綴った皇をめぐる呟きに集中したい。1363件に上るツイートに目を通し、さらにリツイートや反論する元を遡る。その作業は眼精疲労や背筋鬱血の極みだ。彼が抱え込んだ「私怨」と「鉛の魂」さらに「階級」について、そうやってすでに3点60枚も書いている。それでもなお消えた1発6個の散弾が、私の体の中心部に今も沈み込んでいくのである。

暗殺者のヘイト言説は一つ残らず「統一教会=韓国人=朝鮮半島」という短絡に根を持っている。それを擁護すると見なしたリベラルや左派、フェミニストやLGBTQへの憎悪は、そこから伸びた枝や葉にすぎない。そのTwitter内を検索すると「天皇」という言葉は23回ほどヒットする。「ジョーカー」が17回だから単純ヒット数は「天皇」のほうが多い。だがそこに以下のような重みはない。
【ジョーカーという真摯な絶望を汚す奴は許さない。】 Oct 19, 2019

天皇はあくまでも統一教会との関係の中でのみ語られるのである。
【神道(つまり天皇制)と統一教会は絶対に相容れない。韓国語が英語に変わる共通語になると豪語し手前味噌の天皇代理に臣下の礼を取らせて「救ってやった」と悦に入っていた朝鮮民族主義の極右である統一教会は全世界の敵であり、当然日本の不倶戴天の敵でもある。】 Oct 13, 2019

ここでは「統一教会は神道や天皇制の敵、ひいては日本の敵」という連鎖が読み取れるだろう。ところが翌日には、もうこんなことも呟く。

【大日本帝国が大戦時に皇民化教育として行った天皇と日本民族の絶対化を模倣し、統一教会は韓民族の絶対化を行っているのである。北朝鮮もまた別種の大日本帝国の模倣である。 大日本帝国は世界を相手に戦って滅んだが、彼らが滅びるのはいつであろうか。】 Oct 14, 2019

末尾の一文には賛同しないとしても、前段の要旨に反対する気は私にはまったく起らない。彼の中で北朝鮮は天皇制のコピーなのか。となると天皇のいる日本は北朝鮮のオリジナル? あまつさえ10か月後には、以下のようなリツイートさえ現れる。

RT @kikumaco: 【天皇家は万世一系だの男系だのというのは科学的事実ではなくて「物語」なんですよ。物語を重視するという立場はありうるんだけど、科学的事実ではないことはちゃんと押さえておくべき。そして、それは必死に守らなくてはならないものでもないでしょう。】 Aug 24, 2020

リツイートは無条件の賛意ではない。しかし前後にこれを指弾するような呟きは見当たらない。つまり少なくなくともこの意見への共感の表明といえる。「必死に守らなくてはならないものでもない」。むしろかつて属した海上自衛隊への非難や、男性単身者に対する蔑視と感じられる言説が耐えられない。要するに暗殺者の中では、「統一教会=韓国朝鮮人」に対抗する形で「日本国家=天皇制」の膨張と美化はさして生じてこない。そこには言説の太い幹が育っていないのである。

暗殺者は「考えないネトウヨ」ではない。大阪拘置所の中でこの先の何ごとかを思案していることだろう。

義心の行方

片山杜秀は、7月8日に始まる展開を大略こう捉えている。

---国葬不支持率の高さは、戦後民主主義的な「平和天皇」の存在によってもはや中和されない「真の指導者」「真の独裁者」「真の将軍」、つまり愛国者が仮託してきた安倍晋三のイメージを、今度は裏切らずに未来へと続けてくれる新しい人が出てくることを待望している。そういう人たちの数字が入っていないと、この反対の数字は出てこないんじゃないか。天皇抜きのファシズム的な愛国運動が誕生できる段階に日本は立ち至っている(2022年9月19日、東京大学駒場シンポジウム「国葬を考える」より)。

暗殺者が発する言葉の蛇行にはこういう要素がないわけではない。しかし片山が言う「将軍的欲望」というより、それは「ジョーカー的欲望」である。

トランプを押し上げた「ジョーカー的事態」はついにこの列島に上陸したのである。しかし皇への崇拝はほんとうに退いていくのか。

ひとつだけは言える。彼は2発12個の散弾によって標的以外の誰一人として傷つけなかった。それは、苦しみながらも銃撃者が密かに養った「義と技」ではないのか。彼は非正規労働者の一人である。その意味で、暗殺者は私たちのありふれた隣人なのである。彼の義心はどこへ向かうのか。それは私自身への問いである。

 

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