天皇が沖縄を売って現在がある

9月11日、沖縄県知事選で辺野古新基地建設に反対することを公約に闘った玉城デニーさんが圧勝した。翌日夕方、官邸前のスタンディング行動が呼びかけられていて、私も参加してきた。

幾人かがスピーチに立っていた。スピーカーの一人は日本の国政選挙の為体を嘆き、沖縄県知事選の結果を祝い、勝利に導いた沖縄の人々にお礼を述べていた。沖縄のみなさん、頑張ってくれてありがとう、と。そして共に闘おうと訴え、拍手。

スピーカーも含め行動に参加している人たちはみな、沖縄の人々に基地を押し付けているのが日本社会であること、沖縄に基地を押し付ける議員ばかりが国政を牛耳っていること、そのような日本社会を変えられないことを嘆いている。それらのことは私も共有する。しかし、感謝することへの違和感が残った。

沖縄の人々の選挙結果は沖縄の人たちのもので、私たちのものではない。沖縄の人々は私たちのためにではなく、自分たちのために闘っている。沖縄の人々の粘り強い闘いは、むしろ日本社会の不甲斐なさへの怒りの結果であると言ってもいいくらいだ。なのに、なぜありがとうなのだろうかと。この違和感について少し考えてみた。

遡ること75年。「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む」とする、いわゆる「天皇メッセージ」が発せられた。戦時下と戦後を跨いで在位し続けた昭和天皇裕仁のメッセージだ。これは「1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモ」(沖縄県公文書館より)として知られている。当時はすでに戦後憲法下にあり、天皇のこの極めて政治的なメッセージは著しい違憲行為であった。そしてこのメッセージが1952年締結の日米安保条約の原型としてあり、現在に至っていることは、メッセージを読めば一目瞭然である。

詳細は「沖縄県公文書館」の米国収集資料  “天皇メッセージ”を参照
  https://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392

いまや「日本人」の9割以上の人たちが支持する天皇制と天皇は、そういったことで批判に晒されたことはあまりない。それどころか、先代天皇明仁はこの歴史を清算しないまま、沖縄の人々に「寄り添う」として、「責任を果たす」こととは無縁の「巡行」等の行為を続けてきた。天皇の「気持ち」がどうであれ、それらの行為は米軍基地の維持強化という国家意思実現のために機能してきた。その結果、少なくとも象徴天皇は沖縄のことを親身に考えていると多くの人々が考え、一方で基地は残り続け、政府は新たな基地を作ろうとしている。

近代化の過程で天皇制国家は沖縄を併合し、1945年の敗戦間際には「国体」護持のために沖縄を捨て石とした。そして、4人に1人が亡くなるという残酷な地上戦を強いた。敗戦後は天皇メッセージと日米安保のもとで米軍基地を押し付けてきた。大雑把過ぎるが、これが歴史と現実だ。

日本社会で生きてきた自分たちの立ち位置が、沖縄の歴史を生きてきた人たちと同じであるわけがないという認識と、沖縄を踏みにじってきた歴史の根幹に天皇制があるという認識。これらは、日本社会で生きてきた者が、沖縄の米軍基地の問題を考える時の手放してはならない大事な前提であるはずだ。

これらの前提が正しいなら、沖縄の人々の粘り強い闘いとその結果をともに喜ぶことはできても、ともにがんばろうと言うことができても、「感謝します」は、やはりなしだろうと思う。自分たちの不甲斐なさを噛み締めるか、がんばるしかない。

天皇がどのように立ち振る舞い言葉を述べようと、天皇が大元帥として、あるいは象徴天皇として関与してきた沖縄を侵略し利用してきた歴史を消すことはできないし、その歴史の延長にある現在も基地は維持・強化されている。

いまさらだけど、日本における反戦・反基地は反安保であり反天皇制なのだ。ここをすっ飛ばしてこの社会を変えることなんてできないように思う。そのことをあらためて思う官邸前行動だった。
(橙)

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