河西秀哉『皇居の近現代史』

河西秀哉『皇居の近現代史』歴史文化ライブラリー、吉川弘文館(2015年)

ムツヒトの東京移転により江戸城が「皇居」とされてから、空襲により焼失した宮殿を戦後再建するまでを、皇居を開こうとする力と閉ざそうとする力のせめぎあいとして記述している。二回の宮殿焼失は二回とも天皇による「国民への配慮」を理由に再建が大幅に遅れたこと、皇居の見学者枠は宮殿造営献金者と国家的任務担当者から始まり徐々に拡大していったものの、社会主義の浸透やコレラの流行により縮小、ヨシヒトの死によりほぼ停止したこと、アジア・太平洋戦争期には御府と言う皇居内遊就館のような、機能的には靖国神社と変わらない施設のみが見学を受け入れていたこと、皇居見学を選挙運動に利用した人々がいたこと、敗戦後焼失した宮殿を放置し、新聞に取材させることで天皇制廃止の議論への歯止めを期待したこと、戦後2度にわたって富士山や東京湾へ皇居を移転や開放の議論がなされていたことなどが語られている。

皇居のイデオロギー装置としての分析は少ない。本書は様々な資料に当たり、議論を追いかけ、かつそれらをコンパクトにまとめている。しかしそこまでだ。皇居を舞台にした「事件」としては開こうとする力につながる例として二重橋事件が挙げられているものの、食糧メーデーも血のメーデーも出てこない。天皇制に対して批判的な「事件」として虎の門事件とパチンコ玉事件が挙げられているが、それらはテロとして、天皇と民衆の距離を引き離す、閉ざす力を強めたと論じられる。そもそも皇居を開こうとすることを「民主化」と呼ぶこと自体が本当は極めてイデオロギッシュな言説のはずだが、著者が自身のそうした政治性に自覚的なのかは意見が分かれた。イデオロギー装置の分析としては全く物足りず、資料を提供しているに留まっている。

年長の学習会参加者は「最近の若い人の本は読む気がしない」とよく言うが、なるほどこういうことかと納得してしまった一冊。著者は歴史学の中堅どころだそうで、大丈夫か歴史学。

(2019年11月学習会報告/加藤匡通)

*初出:「学習会報告」『反天皇制運動 Alert』no.42, 2019.12

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