最下層の街イースト・エンドとイギリス王室──ジャック・ロンドン『どん底の人々』から

ずいぶん前に、『北国の帝王』という映画(ロバート・アルドリッチ監督、リー・マーヴィン&アーネスト・ボーグナイン出演)を観たあとで、ジャック・ロンドンの『アメリカ浮浪記』(The Road)を読んだことがある。それに続いて今回、彼の『野生の呼び声』(本邦初訳は堺利彦)と、『どん底の人々』(本邦初訳は辻潤)を読んだ。ジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』に影響を与えたという『どん底の人々』のことを知ったからだ。

ジョージ・オーウェルがロンドンの最下層の街であるイースト・エンドを「放浪」したのは1920年代末だったのに対して、ジャック・ロンドンがイースト・エンドに入ったのはそれより20年以上前の1902年、まさに戦争の世紀⎯⎯20世紀が始まった頃のこと。ちなみに、ジャック・ロンドンというけれど彼はアメリカの作家で社会主義者、ジョージ・オーウェルがイギリス人。

イースト・エンドで彼が見たそのあまりの惨状に、最初はルポルタージュ風でスタートした彼の文体は徐々に怒りと憤りを帯びた筆致に変わっていく。

最下層の労働者は働き続けないと食えない。しかも最低の賃金に比べて、家賃は決して安くはない。場所が場所だけに、それに安普請だから、家賃が安いはず、とは決してならない(かつてあった安く借りられた家が減っていった)。多くの場合、一軒の家を小さい部屋に分割して貸しだされる。そうしたほうが儲かるからだ。この構造は、寄せ場のドヤに似ているかもしれない。すると、その日暮らしの労働者の一家は、家賃を軽減するために、その狭いひと部屋に同居人を住まわせる。このようにして、スラム街が拡がっていった。

悲劇の到来は日常的にやってくる。働き手が病気や事故にあったら飢えと無宿が待っている。それを防ぐため、子どもが働きにでた。十歳にもならない子どもが苛酷な労働に従事するのだ。時には、黄麻工場や白鉛工場などの「公害」現場で働かなければならない。当時、中産階級が主に住んでいたウエスト・エンドでの平均寿命が55歳だったが、イースト・エンドのそれは30歳だった。働き続ける子どもたちの多くはその30歳どころか、20前後にバタバタと死んでいった。かろうじて生き残った者は、ついにはこんな劣悪な住居でさえ追いだされてホームレスの身となる。

野宿するのはつらい。だが、人は腹をすかそうが、寒かろうが、夜は眠くなるものだ。そこで、夜、人に迷惑のかからないところを見つけ、眠ろうとする。するとどこからともなく警官が現れて、「こら、そんなとこで眠ってはいかん」「立って歩け」と、まあどう考えても理不尽な命令をくだす。法律でロンドンでは野宿禁止となっているのだ。夜中、ずっと眠らずに歩いていなければならない。そういえば、泉鏡花の『夜行巡査』(1895年作)という短編があったな、ついそれを思い出してしまう。

昼間は公園で寝ていても咎められないから、それでロンドンの公園ではさながら死体のように眠りこけたホームレスを見ることになる。そのありさまを見て、人は「奴ら浮浪者は怠け者だ」と言う。

こうして、夜中歩き続け、昼間は泥のように眠ってしまう彼らにはもう働くための体力・気力は残っていない。また、もし物乞いをしているところを警官に見つかろうものならば即、何か月間のブタ箱行きだ。

ジョージ・オーウェルのイースト・エンドの「放浪記」にも出てくるが、イギリスには救貧院というのがあった。ご多分にもれず、そうとうひどいところなのだが、とにかく最低の宿泊とパンにおかゆに紅茶が保証される。とはいえ、野宿者全員が入れるわけではない。するとどうなるか。入所時間の数時間前からずっと順番を待つのである。しかも立ったまま整列していなければならない。

こういった無茶苦茶な法律や当局の仕打ちが、彼らをますます働く場から遠ざけてしまっているのだ。実際、ジャック・ロンドンが出会った人びとのほとんどが機会さえあれば働きたい、と語っていたというのだから。

さて、ジャック・ロンドンはもう一つ理不尽な光景を目の当たりにしている。1902年8月のエドワード7世の戴冠式である。「この日、王が冠をいただいて、盛大な祝賀と手の込んだ馬鹿騒ぎが行われた。私は当惑し、悲しい思いだ。ヤンキー・サーカスやアルハンブラ・バレエのほかには、この壮麗な行列に比すべきものを見たことがない。また、これほど絶望的でこれほど悲劇的なものも見たことがない」と。また彼はモンテスキューの次の言葉をつかってこうも書いている。「多くの者が一人の人間の衣服を作るのにとりかかっているという事実は、衣服のない人々が大勢できる原因である」

当時、イギリスには人の労働からかすめ取ることで生きている貴族が40万人(だったかな)いた。驚くことに、彼らのうちでは、たとえ医師だろうが弁護士だろうが、働く者はさげすまれる存在だったという。そのまさに親玉が王さまというわけだ。

他にもずらずらと王制に対する憤懣やるかたないジャック・ロンドンの気持ちが綴られているが、この日の野宿者たちにとって、よかったことが一つだけあった。それは戴冠式の警備に警官がごっそり駆りだされたため、いつもの「おい、こら」警官がいなくなり、ゆっくりと夜眠ることができたということである。
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ジャック・ロンドンは、40歳の時、モルヒネを飲んで死んだ。

(こみ憲)

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