遠藤正敬『天皇と戸籍:「日本」を映す鏡』

著者は政治学者で戸籍に関する著書が数冊ある。本書はその最新のもので、「日本人であれば持つことが当然とされる戸籍を持たない天皇が象徴として君臨しているのはなぜか、いかなる歴史的展開をたどってきたのか」を問うている。

遠藤正敬『天皇と戸籍:「日本」を映す鏡』 (筑摩書房、2019年)

天皇が人民を管理する謂わば身分帳が戸籍だが、天皇たちを管理する身分帳は別に皇統譜として存在する。さらに言えば植民地であった朝鮮の人民は朝鮮戸籍によって、准皇族とされた朝鮮の王族・公族は王公族譜によって管理された。ちなみに皇室典範に当たるものは王公家規範だったがこれは皇室令であって当然皇室典範の下位法となる。

第2章はこの皇統譜に充てられている。現行の皇統譜は1870年から50年以上かけて編纂され1926年にようやく法制化された。なぜそんなにかかったのかと言えば、そもそも最初の天皇が誰なのかも、誰が、つまりどの範疇までが天皇なのかも、母親が誰なのかもわかっていなかったのだ。いや、「わかって」ではなく「決まって」と書くほうが正しいだろう。皇統譜とは天皇の系図であり、それは歴史学的な探求や考察ではなく「操作や粉飾などの便宜主義」の産物なのだ。皇統譜の成立史を研究することはそのまま万世一系がフィクションであることを暴き立てる作業になるのである。「そんなことも知らずに歴代天皇の名前をそらんじている日本人のなんと多いことか」と言ってみたくもなる。そもそも全ての系図は身分詐称の欲望を投影したものにすぎないが、それがよりによって皇統譜で明らかになるとは実に愉快だ。

他の章では「臣籍降下」の歴史と実情や、住民票もパスポートもなく、日本国籍を有すると法的に証明するのは困難であること、皇居を本籍地に選んだ人々の分析などがありそれぞれに興味深い。

歴史を強く意識して書かれているが、古代と近代を直結していたり無批判に古代を扱っていたりする手法には疑問の声もあった。

(2020年2月学習会報告/加藤匡通)

*初出:『反天皇制運動 Alert』no.45, 2020.3(反天皇制運動連絡会)

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