安倍こそが言論の自由を踏み躙ってきたのに

安倍晋三が死んだ。殺された。想像もしないことであった。こんなことが起こるのかと本当に驚き、とてつもなく不穏な社会に一歩近づいたようで気分は落ち込んだ。

とはいえ、マスメディアが伝えるような安倍に対する同情や追悼の気持ちなど、起こるはずもなかった。彼には早く政界から消えて欲しかったし、頑張られると碌な社会にならないと考えていた。だから、彼がいなくなることになんの感慨もないのだ。

しかし、こんな形で退陣させられることを望んでいたわけではない。安倍の退陣は、厳しい批判によってなされるべきだった。あるいは、国や安倍自身を訴えた裁判の被告席に座らせる機会・可能性を残しておくべきだった。しかし、これまで安倍が重ねてきた悪行の数々が、この暗殺によってチャラにされるどころか、世間的には「いい人」で終わってしまいかねない言論状況にある。倒錯しているとしか言いようがない…。

死者に対する賛美はこの社会の常識なのだろうし、あの安倍に対してさえも同様の事態が起こることにさほど驚きもしない。が、いま進行している言論状況には、もう一つ許し難い大きな倒錯が連なっている。TVから流れてくる政治家や「識者」たちによるコメントに枕詞のようについている「言論の自由や民主主義を暴力で踏み躙るな」だ。

たとえば、2000年の「従軍慰安婦問題」をめぐり、裕仁天皇をはじめ戦争責任者を裁いた女性国際戦犯法廷のNHKドキュメンタリー番組の内容製作に介入し改竄させた問題はネグられたままだ。2013年には靖国神社を参拝。国内外で大きな批判の声が上がったが、この暴挙に対して闘われた裁判では、「安倍忖度判決」と揶揄される恥ずかしい判決を出させた。また、教育基本法改悪、日米安保と沖縄の基地強化問題、さらには国会だけでなく、司法すらも自分の人脈で固め、好き放題やってきた政治の私物化。改憲と軍事大国に向けた法整備や予算執行等々、上げ始めるとキリがない暴挙。そういった問題だらけの安倍政権への批判・抗議の声は、マスメディアに介入し圧力をかける安倍政権下で封じ込められてきた。

安倍や、安倍政権、そして安倍とその政権を忖度するメディアこそが私たちの「言論の自由」や「民主主義」を踏み躙ってきたのだ。また、暗殺事件が起こるこのような社会を作り出したのも安倍たちの政治の結果だ。

「言論の自由や民主主義を暴力で踏み躙るな」とは、踏み躙られてきた側にいる者のセリフだ。メディアを含む権力の方こそ、民主的に言論の自由を守れ。2022.07.11(橙)

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