「桜井大子と考える 天皇制」第2回報告

東京琉球館・主宰 島袋マカト陽子

第2回は4月15日に開催された。それから、2カ月以上たってしまったが、私の学びの報告をしたい。

桜井大子さんによるお話会の第1回開催は昨年の11月。そのチラシに、私はこう書いた。「東京琉球館は声をあげる。天皇制いらない。皇室いらない。桜井大子さんのお話を伺い、語り合い、考え合いましょう」。これまで、反天連などが主催する集会・デモに参加することで、天皇制に反対の意思を表してきた。しかし、自分の場からその意思を明確に・広く発信しなければいけない、と思うようになった。

いま、沖縄戦を生き抜いた世代の沖縄人のなかにも、「アキヒト天皇はいい人だ」「アキヒト天皇は沖縄に心を寄せてくれる」と発言する人が現れている。天皇・皇室の話題が日々とりとめなく流され、私の日常生活に勝手に侵入する。その不快感、怒り、危機感にせかされて、桜井大子さんに電話した。天皇制をなくすためのお話会をしたい、力を貸してほしいとお願いした。

第2回のお話のテーマは、「憲法第1章と皇室典範が作り出す社会」。
まず初めに、「日本社会の歪みや生きづらさは、天皇制と関係があるのか?」
「社会の歪みや生きづらさについて、それぞれ自分に引きつけて考え、語り合うところにたどり着けたら」、と問題提起と今回のお話会の目指すところを示した。天皇制の根拠は憲法であり、法律の定めた規定に従っていると説明し、日本国憲法の天皇条項と、皇室典範を、丁寧に読み解いていった。

こういう講義は初めてだったので、新鮮な気づき・・、どころか、えっーそういうことだったの、そういう意味だったの、と、私には目の覚めるような驚きの連続だった。

日本国憲法の三原則のひとつ「主権在民」について。
憲法の前文で「明示」し、独立した条文はなく、天皇の地位を規定する天皇条項にあるだけ、と。
〇前文「・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、憲法を確定する」
〇第一章天皇・第1条象徴天皇「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
「主権在民」「平和主義」「基本的人権」の文言は、輝かしいものとして学校で教えられた。「そういうことか」と、大子さんの鋭い指摘に衝撃。すっきりと、構造が見えてくるようだった。
大子さんのお話は出だしから冴えわたっていた。

日本国憲法と天皇制は かけ替えのない関係であることがよくわかった。日本国憲法は、第1章の為にあるのだ、とも思った。何よりも、まず安泰に持続すべき天皇制なのだ、それを保証する日本国憲法なのだと、深く思い知った。

象徴天皇を「総意」で支える「主権者という国民」。主権を持った国民があって、象徴天皇が在るのではない。「象徴」と冠した天皇の安泰存続のために、主権を持った国民が必要だった。その総意が。いつ 国民は「総意」したのだろう。しかし、「総意」という表明はしていなくても日本国民のほとんどは、それに反対してはいない。
その日本国民の皆さんに聞きたい、あなたに「主権」はありますか、と。
日本国憲法・上諭と日本国憲法第1章・そして 皇室典範が資料として配られた。
日本国憲法上諭を、大子さんは読んだ。以前映像で見た、戦争犯罪人ヒロヒトが、赤い敷物の上で述べる姿を思い出し、怒りがあふれた。大日本帝国と日本国は継続し、大日本帝国憲法と日本国憲法は継続している。つなげているのは天皇制だ。

ウィキペディアによれば「上諭(じょうゆ)とは、日本国憲法の施行前の日本において、天皇が法律、勅令または皇室令を裁可し公布する際に、その頭書に天皇の言葉として当該法令を裁可し公布する旨を記した文章のことである」と。

上諭を前文載せる。怒りの共有を願って。
「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名 御璽」

第1章天皇の国事行為について。
行為のみ行う天皇。行為の意味するところは何か。その行為・認証・任命があってすべての国事は完結するのだと、大子さんは指摘した。行為は、形ではない意思なのだと思った。琉球人の私は、琉球に「日本国憲法・三原則」は 存在していないので、日本国憲法を護ろうと思ったことはない。「護憲」は沖縄には無縁だと思ってきた。日本国憲法下から、離れたいというのが私の意思だ。

大子さんの憲法第1章分析のお話を聞いて、天皇制日本国のしくみを知らないで、琉球に主権を取り戻すことはできないと気づいた。
5月15日の「沖縄復帰50年記念式典」の中継を見たが、天皇制日本国にすっかり絡めたられた沖縄があった。沖縄を「天皇の臣民」にするために、様々な仕掛けがなされている、その先頭にいるのが天皇だ。

皇室典範というものも、初めて目にした。知りたいと思えば 眼にすることはできるのに、知ろうともしてこなかった。隙のないように、天皇制が崩壊することのないように、起こりうる様々な状況に対応するための条項が、用意周到に書き連ねてあった。

お話の初め大子さんは「生きづらさ」に続けて、生きづらくない人・天皇制があってほしい人もいるけれど、と付け加えた。そうなのだ。そこなのだ。
世界中のすべての人が、自分が願うように生き抜ける世界でありたい。私も。その前に立ちはだかるもの。今も「天皇は神聖にして侵すべからず」と存在する、この「不快」を早く取り除きたい。

「桜井大子と考える天皇制」第3回は7月15日(金)に開催します。お話のテーマは「天皇の『行為』:非政治的という政治」です。ご参加お待ちしています。
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