詔勅とは

◆「天皇の意思」をもっともらしく権威づけて表明した、詔(詔書)と勅(勅書・勅旨・勅諭・勅語)をあわせた言い方。法律や命令と同じ意味での法的拘束力を持つものではないが、天皇の意思を表明したものとして、戦前は強い規範力(時には法律以上の拘束力・強制力)を持った。

「ウィキペディア」では、以下のように記されている。

「詔勅(しょうちょく)は、大和言葉で「みことのり」といい、天皇の御言(みこと)を宣る(のる)という意味である。明治維新後は綸言(天皇の言葉)を通じて詔勅と称した。昭和戦中期には勅旨(天皇の意思)を総じて詔勅と称した。天皇の叡慮を伝える詔書、勅書、勅語の総称である

昭和戦前期の憲法学では、天皇の直接の叡慮(意思)を外部に表示したものを詔勅と呼んだ。天皇の大権が外部に表示される形式のなかでも詔勅が最も重要なものとされた。文書による詔勅には天皇が親署した後、天皇の御璽か国璽を押印した。口頭による詔勅もあり、これを勅語といった。」

◆法的な形式の整備は、1907年の公式令から。

「1907年(明治40)公式令が制定され、詔勅の区別と形式が規定された。詔書は、皇室の大事と大権の施行に関する勅旨を国民に示すもので、天皇が署名して御璽(ぎょじ)を捺(お)し、宮内大臣、内閣総理大臣、国務大臣等が副署する。勅書は、文書による勅旨で、国民には示されない。上諭は、法律、勅令の公布に際して条文の前に付する勅旨をいう。勅語は天皇のことばで、それを文書にした勅語書も勅語という。ほかに、勅諭、御沙汰(さた)、外国に対する国書、親書がある。1947年(昭和22)日本国憲法の施行に伴い、公式令は廃止された。現在は、天皇の国事行為に関して詔書が発せられ、内閣総理大臣、最高裁判所長官の任命には勅書が出される。勅語は、53年から「お言葉」と称することに改められた。「お言葉」では、天皇の一人称は「わたくし」で、普通の文体が用いられる」(日本大百科全書[村上重良・執筆]より)

[参考]
◆明治期に発せられた詔勅は、国立国会図書館デジタルコレクションで、「明治詔勅全集」(柴田勇之助編、皇道舘事務所、1907)を見ることができる(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/759508/189?tocOpened=1)。同書には1907年以前の詔勅のすべてが収録されている。ただし、原本の写真なので判読は難しい。また、詔と勅の区別は明瞭だが、勅についての表現は、勅語、勅諭、詔勅のみが使用され勅書・勅旨は使用されていない。「明治天皇詔勅集:おほみ心」(明治大帝威徳宣揚会, 1920)というのもあり、同様に国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963444/8?tocOpened=1)。

[備考]発せられた年月日の表記について
◆「明治」への改元は慶應4年9月8日(1868年10月23日)なので、その日以前の明治元年は実際には慶應4年である。また、太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦されたのは明治5年11月9日(旧暦)なので、それ以前の日付については「旧暦(新暦)」と併記した。明治5年12月3日が1873(明治6)年1月1日となった。ちなみに、「改元」も「改暦」も詔勅(詔書)による。

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