外国文化の「遺伝子」と「Y染色体」

自民党の衆院議員古屋圭司が、「神武」を祀っているとされる橿原神宮に参拝し、「天皇制度は如何に男系男子による継承維持が歴史的に重要か」「神武天皇と今上天皇は全く同じY染色体である」とツイートした。

日本の「国学」を発祥とする「建国神話」のように、虚構と歴史を混在させるこういった珍妙キテレツな「理論」は、「科学」の概念すら合体させて、ますますバケモノとなっていく。古さで言うと大したことはないかもしれないが、「お茶の間のひとときに笑いを提供する」という、もはや恥ずかしいような「伝統的」表現もある。八木秀次らが提唱したときには、まだしもそのような言い方で笑うことも可能だったかもしれないが、もはやそんなものではない。

その古屋を会長として、11月3日を「文化の日」でなく「明治の日」として制定しようと、「超党派」の右翼議員92人を集めた議員連盟が4月7日に発足したという。「明治時代は欧米列強に圧力をかけられる中、近代化を果たした」とし、戦後になって「明治節」が「文化の日」とされたことの否定を、アメリカの占領下の影響からの「回復」としているわけだ。まあ、GHQの「文化的」「遺伝子」を棄却して、「神武」からの「伝統」に回帰し連なりたいということなのだろう。

血縁関係を問うたり、これに重きを置くのにはまったく反対だが、情報の量でも制度でも、それまでとは格段の差があり、かつ同時代的な記憶もないわけではないから、明仁美智子の子の世代について「血縁」を疑うつもりはない。だが、近いところで孝明天皇統仁から明治天皇睦仁、大正天皇嘉仁、昭和天皇裕仁やその兄弟姉妹らの遺伝子的な意味での「連続性」については、当然にも問われてしかるべきだろう。遺伝子レベルの鑑定の強制は良くないし、「神武」のY染色体を出せとかの無理は言わない。しかし、「天皇陵」の発掘やその「遺物」からの遺伝子の鑑定などすら、現在の科学技術で十分に可能だ。

「昭和の日」に「明治の日」を加えても、「昭和殉難者」の日である12月23日を「平成の日」にするのは難しかろう。「令和の日」ともなると増えすぎる。せめて制度に根拠を与えるため、旧宮家もふくめ自発的な遺伝子検体の提供くらいにまで踏み込んだらどうか。(蒜)

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