ユーゴ戦争:報道批判特集
ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ (その8)

(その8) Annex-Bの主任務は自国民対象の「謀略」

1999.7~2000.5《特別緊急連載》

 別途、『週刊プレイボーイ』(1999.9.7)に記された「ユーゴ挑発文書 Annex-B」については、すでに『赤旗』(1999.7.18)に、かなり詳しい報道が載っていたことが判明し、インターネット関係者の協力を得て、長文の英語原文も入手したので、次号で紹介する。

 結論を先に言うと、「Xファイル」ならぬ「Annex-Bファイル」に関しては、最早、その存在と果たした役割が、逃れようもない事実として確認されたかと断言できる。

 また、とりあえずの評価を述べると、いささか回りくどくなるが、この「合意文書」の主たる任務は、到底応じられない無理難題を吹っ掛け、ミロシェヴィッチに拒否させることによって、主戦派の大将、オルブライト国務長官の足元のアメリカ人に、「頑迷な独裁者のミロシェヴィッチが『和平』合意を拒否したのだ」と思い込ませ、怒らせることにあった。謀略の対象が、敵軍でも、敵国民でもなく、自国民だったことにこそ、この謀略の現代的な腐朽の度の深さがあるのである。

 湾岸戦争では、諸国家連合(国連は誤訳)安保理(総会ではなく、むしろ総会の開催を徹底的に妨害)決議が、錦の御旗に使われたが、今度はNATOによる無理押しだったから、別の切り札が繰り出されたのだ。心積もりとしては、「勝てば官軍」、謀略は戦争の常として、押し切る計算だったのだろうが、いくつもの無理押しを重ねた結果が、湾岸戦争の場合よりも、さらに展開の早い謀略の数々の暴露につながっている。しかも、その腐朽度、露骨度、傲慢度、卑劣度は、さらに深まり、高まっている。

 しかし、しかし、私自身としては、やんぬるかな、無念の思いで、以下の旧稿を7年前のフロッピーから引きだした。

拙著『湾岸報道に偽りあり』(汐文社、1992.5.28.p.15-26)

序章:帝国主義戦争と謀略の構図

[中略]

「湾岸戦争はアメリカの謀略じゃないかというのは、だれでも感じていることですね。ただし、具体的に立証するのはむずかしいでしょうが、是非やってみてくださいよ」

 汐文社の吉本尊則社長との雑談の中でこういわれたのは、バグダッドへの爆撃開始後まもなくのことだった。[中略]もともと謀略とは「機は密なるを要す」という隠密作戦なのだから、確実な証拠を握るのはむずかしい。[中略]

 今度の戦争は、すでに何年も前から政治的経済的に始まっていた。背後には最初からアメリカの軍事威嚇があった。ところが、大手のテレビや新聞の報道には、アメリカの陰謀説がほとんど登場しなかった。ごくごく断片的な発言があっただけである。[中略]

 NHKの報道姿勢に関しては、島ゲジ会長自身が次のように明言している。

「私は国連決議にそって、侵略者はイラクであるというスタンスで報道するよう指示しているんです」(『週刊現代』91・3・9)[中略]

第一部:CIAプロパガンダを見破る

[中略]

 湾岸に派遣されたアメリカ兵士は、『孫子の兵法』のパンフレットを携帯していたそうだが、孫子は「故上兵伐謀」(最上の戦争は敵の謀略を破ること)と説いている。戦争の剣と平和のペンの戦いを目指すのなら、平和のペンの側には、この「上兵」以外の戦いの道はない。戦争屋の謀略を一刻でも早く見破り、「平和」だの「正義」だのを「守る」と称して彼らが武力行使に踏み切る前に、真の平和を求める世論形成をなしとげるしかないのだ。

「戦争に謀略はつきもの」とは誰しもが認めるところであろう。だが、孫子の時代の「謀略」の対象は、敵国の権力者と軍隊である。その後の社会の歴史的発展に応じて、「謀略」の対象は拡大されてきた。元陸軍参謀の大橋武夫は、その名もズバリ『謀略』という著書で「近代謀略の矢は大衆に向けられる」という項目を設け、次のように説く。

「昔は、国家というものは一部権力者のものであったが、今は大衆のものである。……したがって政治謀略の重点は大衆に向けられ、その手段としてマスコミが重用される。国家が大衆の手に移ったのを如実に示したのは一八七一年の普仏戦争である。この戦争では、フランス皇帝はその全軍とともにプロシャ(ドイツ)軍の俘虜となり、首府パリはプロシャ軍に占領されてもなお終戦にはならなかった。フランス民衆の国民的抵抗がやまなかったからである。……現代の謀略は国民大衆を狙わなければ、その国をゆさぶることはできないのである」

 さらにそれ以前にも、ナポレオンの軍勢に正規軍が敗れ、国王が降伏した後のスペインで、「ゲリラ」の語源をなす大衆の抵抗が勝利している。日本が中国大陸を侵略した際には、大衆の抵抗を押えるための「謀略」を「宣撫工作」と称した。これらの場合に「謀略」の対象として意識された「大衆」は、征服する相手の国の国民である。

 ところが、国家総力戦といわれる段階になると、自国民を戦争に駆り立て、戦争を継続し拡大するためにも、自国民までを対象とする「謀略」の重要性が急速に増してきた。日本の「鬼畜米英」宣伝などは至極単純な構造である。欧米諸国では、すでに第一次大戦でも公然たる反戦運動が展開されているから、権力者側も世論操作の技術を磨かざるを得ず、自国民や味方の国の国民大衆を狙う「謀略」の手口も複雑に発達した。

 日本は、今回の湾岸戦争では「ミツグ君」でしかなかった。だが、そういうミソッカス的立場にもかかわらず、欧米諸国で中世の宗教戦争以来発達を極めた味方向け「謀略」の対象にされ、歴史上はじめて本格的な洗礼を受けたのである。数々の謀略に目が眩んでしまったのも、無理からぬことだったのかもしれない。

 もちろん日本だけのことではなかったが、「平和のペン」は「謀略」を完全に見破る力量を欠いていた。だから、湾岸戦争を防止できなかったのだが、今からでも遅くはない。この失敗の教訓を可能なかぎり早く整理し、現在の事態にも警告を発しつつ、今後に備えることが肝要であろう。

 さてさて、「矛盾は露呈した時に解決される」という表現もあるが、まずは誰の目にも明らかになるように露呈させ、解決へと立ち上がる巨大な怒りの炎を、掻き立てるための地道な努力の継続が必要であろう。

 以上で(その8)終り。次回に続く。

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