ユーゴ戦争:報道批判特集
ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ (その6)

(その6) 髪の毛もよだつ偽情報を貪る商業メディア

1999.7~2000.5《特別緊急連載》

 ラチャク村「虐殺」事件報道は、前回考察した「情報エレキテル黒魔術」こと、超々近代電子技術を駆使する情報操作の極である。といっても、別に、技術の粋を凝らしたという意味ではない。私は、むしろ、その乱暴さ、お粗末さ、しかし、その恐ろしいまでの国際的影響力の大きさという、呆れ返る他ない「超々近代化」の象徴として、その「極」を強調しておきたいのである。

 なお、この際、新聞などの自称「活字メディア」のエリート記者たちが、自分が検証もせずに後追いした癖に、そのお粗末さを棚に上げ、CNN,BBCなどの衛星放送が発揮した「速報性」「映像の迫力」などを隠れ蓑に仕立てては、「テレクラシーの時代」などと逃げ口上を並べ立てるのも、これまた見苦しい限りである。今時というよりも、たとえば江戸時代の絵入り新聞の系統を継ぐ天下の朝日新聞などは、その発祥からして、子供騙しの映像に頼っていたし、今もカラー化までして「売れる紙面作り」に励んでいるのだから、「盗人猛々しい」と批判して置くべきところである。

 もともと、お粗末な当局発表頼りの大手商業メディア報道が、この種の「髪の毛もよだつ」(英語でもhair-raising)偽情報に対して、さらに、なりふり構わず争って飛び付く理由は、最早、論評の必要もないことであって、商業性の剥き出し暴露に他ならない。アメリカの放送では、ABCのニュース解説者が、実は自分たちの仕事のことなのだが、blood-thirsty-media(血に飢えたメディア)とさえ表現していた。この種の特ネタがちらつくと、もともと薄い「理性」の仮面が、バラリと剥げ落ちるのである。

 放送が特に批判されるべきであるとすれば、その記録の非公開性である。特に日本がひどい。戦前の「天皇の声放送局」そのままの状態なのである。むしろ、録音や録画の技術的発達、低価格化を勘案すれば、戦前よりも現在の方が「情報エレキテル黒魔術」として、さらに露骨で悪質というべきである。ともかく、何の法的根拠も示さず、録音や録画があっても、外部には聞かせない、見せない、の一点張りなのである。

 以下、今回の偽情報「貪り」事件に関して、私がNHK相手に行っている「情報公開請求」の現状を披瀝する。


NHKユーゴ「虐殺」録画求む!

1999.8.16.mail再録・改訂増補、一部省略。

 このところ、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』にて、ユーゴ問題を特集しつつ、日本版「NATOを裁く独立国際戦争犯罪法廷」の証拠資料を準備していますが、特に記録を入手し難いのは、テレヴィ報道です。ラディオに至っては、わがチャリン語学こと、チャリンコ・ウォークマン学習中の米軍放送録音は別格として、まるで私の守備範囲外ですので、諦める他ありません。しかし、一般に最も影響力の強いのがテレヴィ報道なので、現在、その代表選手としてNHKをアタックしています。

 ついては、本年2月3日放映、NHK衛星第1夜10:00~11:00BS22「報告:コソボ憎しみと対立の構図」の録画を提供して下さる方が、どこかにいないものかと、無い袖に縋る想いで、皆様にmailする次第です。立場上など、ご都合があれば、個人宛てにでも、その可能性をお知らせ下さい。

 この番組の件では、すでに何度もNHK広報と掛合い、本日、最終的に、公式通りの拒否回答しか受け取れず、これまでにも何度か思い詰めたことのある情報公開請求の裁判を、ついにやるかと考慮中です。これも、実におかしな話で、これまでにも何度か、番組担当者に電話をして録画を見たい事情を話すと、気軽に会ってくれたり、見せてくれたりしていたものが、この春の機構改革とかで、広報内に「経営広報」という偉そうなセクションが新設され、そこに口八丁手八丁型の人材が配置され、難しい問題については「対応窓口を一本化する」と言うことになった模様なのです。

 放送には放送法がありますが、それが、情報公開の上では逆効果になっています。皮肉屋の故中野好夫が、「NHKという機関は、空に消えるのをいいことに、理由は知らぬが、あとから知らぬ存ぜぬとは何の謂か」(『中央公論』1979.10)と批判していますが、事情はまるで変わっていません。

 別に法律のない新聞や出版の場合、担当者次第ですが、気軽にFAXで該当記事を送ってくれます。今回のラチャク村「虐殺」報道の場合には、新聞の紙面には出なかった共同通信の配信記事さえ、直接FAXで入手できました。実は、niftyの有料頁にも入っているようですが、当節では、そうしない方がおかしいのです。

 情報公開と市民の目による検証なしには、真の言論の自由、民主主義の確立は不可能です。この子供でも分かる簡単な原理が、放送では無視、蹂躙され続けているのでして、私などは、最早逃れようにない放送OBとして、このためばかりではないのでしょうが、何かと言えば、自称「活字メディア」の、実際にはエゲツナイ写真映像に頼り、放送と同様の下らない記事しか掲載していない連中に偉そうに出られて、ああ、こん畜生、ああ、人生は一回しかないのだと、何度も不愉快極まり無い想いをしています。ああ、口惜しい!

 今度は、NHK経営広報のエリートちゃんが、あまりにも建て前にこだわるので、私が、言論の自由の問題で「国防総省の極秘資料を暴露したエルズバーグ」の例を出したところ、まったく知らないようでした。NHKの採用試験には必要のない、むしろ知っていると危険な知識なのかもしれませんが、最近のエリート育成大学などでは、こういう言論の歴史を教えていないのでしょうか。

 なお、上記番組録画に私が固執するのは、その背後に、以下のような特徴的な物語が潜んでいるからです。mailに、つぎの集会の情報が流れたことを記憶している方も、おられると思います。

世界の自主・平和をめざすつどい

-NATOのユーゴ空爆即時停止!

4月28日(水)午後6時30分より8時30分

講演「武力によって民族問題は解決されない」

柴 宜弘(東京大学大学院教授)

場所 豊島区民センター音楽室

JR池袋東口より5分 TEL:03(3984)7601

問い合わせ 実行委員会 電話 03(3981)0385

 この集会に私は参加できませんでしたが、参加した方から、講師の柴さんが、国際法上ではNATOの違法行為を咎めながらも、「空爆はやむをえない」と語ったので、困ったというのです。いわゆる「民族浄化」を非難する立場からは「人道的介入」の合法化という屁理屈が出ているのですが、その立場を容認する主張のように聞こえました。

 ところが、その柴さんが、『中央公論』(1999.6)掲載記事「ミロシェビッチの素顔」では、ラチャク村「虐殺」に関して、つぎのように慎重に記していたのです。

 99年1月、欧州安保協力機構(OSCE)の停戦合意検証団がコソボ南部のラチャク村で、アルバニア人45人の遺体を確認した。このニュースは「コソボ虐殺」として、世界中に大きな衝撃を与える。遺体はコソボ解放軍兵士なのか村民なのか事実解明が進む前に、セルビア治安部隊による住民虐殺都の政治的判断が一人歩きした。セルビアによる「民族浄化」といった表現が多用されるようになっていく。クロアチア内戦とボスニア内戦以来、国際社会には「セルビア悪玉論」や「ミロシェビッチ悪玉論」が根強く残っており、アルバニア人保護という人道的な立場からNATOによるユーゴ空爆やむなしという国際世論が強まっていく。

 さらにその後、柴さんが、上記の1999.2.3.NHK衛星第1:BS22「報告コソボ憎しみと対立の構図」に出演されたことを知りました。この番組では、直接会って話したこともある木村元彦さんが撮影したラチャク村の「虐殺」死体の映像が使われたと聞きました。

 木村元彦さんは、これも私が参加できなかった集会で、「虐殺と思った」と発言したと聞いております。別途、1999.2.5.号の『フライデー』掲載記事「“狂気の共和国”で焼かれ、目をくり抜かれ……コソボ自治州の『虐殺遺体』が語るもの」の執筆者であるとも聞いております。木村元彦さんには電話で、別途HP資料の共同通信配信記事、死体の検死結果、簡単に言うと、40の内37遺体から銃撃をした証拠となる化学物質を検出、を話したところ、彼は絶句してしまいました。

 別途HP資料のごとく、私は、これが「虐殺」ではなかったことは、絶対に間違いないと確信できますので、木村元彦さんの「思い込みを誘った」国際的な大手報道の戦争犯罪として、私は、上記の独立国際戦争犯罪法廷の日本版への準備を進めています。情報提供して下さる方は、つぎの電話またはFAXでも結構ですから、ご連絡下さい。

TEL&FAX:0422-54-7476 木村愛二

以上で(その6)終わり。次回に続く。

ユーゴ連載(その7)へ
連載:ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ一括リンクへ
週刊『憎まれ愚痴』34号の目次へ