ユーゴ戦争:報道批判特集
ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ (その2)

(その2) 情報収集の基本:「ありとあらゆる手段を尽くす」

1999.7~2000.5《特別緊急連載》

 前回の最後に記したように、私は、NHKが、5月14日、夜10時から45分間の3チャンネル「海外ドキュメンタリー」の枠で放映したBBCのユーゴ問題特集、「コソボ紛争・その構図と歴史的背景/民族運動の起源」に出てきた奇妙な映像を見て、即座に、「ラチャク村の『虐殺』事件」はデッチ上げに違いないと確信した。

 活字メディアの資料収集を開始したのは、この映像を見て以後のことであったが、それも、すぐに取り掛かったのではなかった。別件で本誌にも連載し続けていた「シオニスト『ガス室』謀略周辺事態」のまさにその「周辺事態」だけで手一杯の状態だったからである。しかも、この件の方には、フランスのフォーリソン博士が、1999.3.13.の日付入りの献辞を書き添えて、贈ってくれたばかりの4巻で合計2000頁にもなる『見直し論著作集』さえあった。達筆の献辞のとどめの文句は、「歴史見直し論の道を歩み続けるよう激励するため」となっていた。誰が、これを日本語に訳すかと考えてみれば、語学の問題以前に、政治的バッシングに耐え得る訳者は、この私しかいないのである。

 この状況がありながら、ついに、「ラチャク村の『虐殺』事件」の真相解明へと、身を乗り出してしまった理由は、他でもない。結論的に言うと、実に簡単なことなのである。「歴史見直し論の道」を外れたり、放置したのではなくて、むしろ、その道の行く手に横たわる巨大な倒木として、この事件を認識せざるを得なくなったからである。そこで私は、この倒木を、行く手を阻む障害を除去するだけでなく、まさに「一石二鳥」の好機として捕らえることにしたのである。

 事実経過に則して言うと、ユーゴ戦争を煽りに煽った「アメリカ版・鉄の女」ことオルブライト国務長官の金切り声、「ホロコースト!」「ジェノサイド!」「ヒトラー!」などなどを何度も、米軍放送の録音で聞いている内に、これは「ホロコーストの嘘」の応用編に他ならないのだと気付いた。これは一種の催眠術なのである。

 欧米人のほとんどは、生まれ落ちた時からの長年の教育の結果、「ホロコースト!」、「ジェノサイド!」、「ヒトラー!」などと連呼されると、条件反射で、「許すな!」となる。しかも、それを疑ったりすれば、酷い制裁を受けるのだから、ひと昔前の日本人が、「おそれ多くも天皇陛下のご命令!」と叫ばれると、ピンと直立し、直ちに死地に突進したような状態となる。チェコからの移民でユダヤ人、元国連(正しくは諸国家連合)大使でもあるオルブライトは、そのような欧米人、特にアメリカ人の、後天的習性を知り尽くしているのである。

 そこで、これはやはり、暴く以外になかろうと心を決めたのは、5月の最後の週に入ってからのことだった。というのは、5月23日の日曜日、午後一杯の時間帯で、アジア記者クラブと名乗る市民運動組織のユーゴ問題に関する集会があり、その後の二次会にも出席したからである。当日のパネラーは、フリーと共同通信の2人の記者だった。フリーの記者は、10年越しのユーゴ戦争を取材した著書を出してばかりであった。ところが、この2人の話を、二次会に至るまで、大いに詮索しながら聞いてみても、やはり、「民族浄化」の真相が、はっきりしないのである。

 私の資料探索の大筋については、すでに前回に記した。「ラチャク村の『虐殺』事件」に疑惑を投げ掛けたフランスの報道状況への唯一の手掛かりは、創価学会系の怪しげな月刊誌『潮』(1999.6)の記事、「ユーゴ空爆に正義と人道主義はあるのか」だった。ラチャク村事件に関わる部分は、次のURLに入っている。

 本誌の記事の題は「検証:ユ-ゴ「民族浄化」の定義と真相(1) 」で、1999.5.25.mailの再録である。以下、その主要部分のみを、再度引用する。

[前略]今年1月には、KLAの拠点ラチャク村で頭を撃たれたり、目を抉られた45人のアルバニア系住民の惨殺死体が発見された。CNN,BBC,スカイニュースなどは、朝から晩まで悲惨な死体の映像を繰り返し流し続けた。この虐殺事件がNATOの空爆の直接の原因となった。

 これに対してユーゴ当局は「KLAがセルビアを陥れるために、戦死した兵士に農民の服を着せて演出したにすぎない」と反論。仏「フィガロ」によると、この日は朝からラチャク村で掃討作戦をしていたセルビア治安部隊が、米APテレビの取材班に作戦の撮影を許可した。同時にOSCE(全欧安保協力機構)検証団にも通知していた。検証団は車2台で現地入りし。一日中、村を見下ろす丘の上にいたという。とすれば、この事件については、軍事介入を呼び込むためのKLAの演出というのが真実に近いようだ。

 この記事から、「仏『フィガロ』」に到達するまでには、かなりの紆余曲折があたのだが、それは後回しにして、この『潮』記事と、次の『読売新聞』記事とを読み比べてみると、非常に奇妙な気分になるのである。以下は本誌のURLである。

『読売新聞』1999.1.24.「コソボ虐殺“演出説”/仏紙報道]

 ユーゴスラビア・コソボの民族紛争で、欧米が空爆ヘの傾斜を深める原因になったラチャク村のアルバニア系住民45人の大量虐殺事件に関し、アルバニア系住民の急進派武装組織「コソボ解放軍」(KLA)が軍事介入呼び込むため演出したものではないか、という疑問が相次いでいる。

 セルビア当局は、KLAが自ら、戦死した兵士に農民の服を着せて現場に並ベたと主張しているが、仏有力各紙も「セルビア警察犯行説」に疑問を呈する。

 事件があった15日は、セルビア警察が、全欧安保協力機構(OSCE)検証団やジャーナリストをラチャク村には入れなかった、とされていた。しかし、フィガロ紙によると、事実は違う。

 この日朝から、KLAの拠点ラチヤク村で掃討作戦を行つていたセルビア警察部隊は午前8時半、米APテレビ取材班に作戦の撮影を許可し、OSCE検証団にも作戦を通知した。「検証団は米外交官ナンバーの車2台で現地に入り、1日中、村を見下ろす丘の上にいた。

『潮』記事には、少し用語が違ってはいる部分があるものの、まるで表現が同じ部分の方が多いぐらいで、事実関係については、すべて『読売新聞』記事の範囲内である。つまり、『潮』記事の執筆者は、「仏『フィガロ』」紙を読んだのではなくて、それを引用した『読売新聞』を見て、ごく一部の表現を変えただけなのかもしれない。そう思われても仕方ないだろう。さらには、このどちらを見ても、問題の記事を掲載した「仏『フィガロ』」紙の発行日付が分からないのである。これは私のような資料探索者にとっては実に不便なことである。

 しかし、そういう問題点を含んではいても、情報の手掛かりとしての位置付けは重要である。私は、日本テレビ放送網株式会社で、調査部にいたこともある。その時の先輩の1人の仕事は、新聞はもとより、業界紙、内報と呼ばれるタイプ印刷の粗末な情報紙に至るまでを、丁寧に読み比べて、競争相手の他局の番組制作状況を予測することだった。彼は、ほとんど噂話に近いような不確定な情報でも、「読み比べてみると、おぼろげながら真相が浮かび上がってくる」と語っていた。

 その後、調査部という職場の経験を踏まえて、戦前の日本のCIAの先駆けとでもいうべき南満州鉄道調査部(略称:満鉄調査部)に関する文献を読み漁った。そこで得た教訓、「情報収集の基本」を要約すると、「情報源を選り好みしないこと」、「ありとあらゆる手段を尽くすこと」であった。

 以上で(その2)終り。次回に続く。

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