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| ユーゴ戦争:報道批判特集/Racak検証(3) |
| 何とまたも「読売」だけが「演出」疑惑を報道! |
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ユーゴのミロシェヴィッチ大統領が戦犯として「人道に対する罪」に問われる最大の根拠、ラチャク村のアルバニア系住民45人の「大量虐殺」説に疑問を呈する記事が、何と、日本の平和主義者が、こぞって憎み、それゆえに絶対に読まない新聞、ゴロツキのナベツネ独裁支配下の読売新聞に「だけ」載っていました。 情報とは、情けないことに、こういうものなのです。以下、取り急ぎ、この記事のみを皆様に、お送りします。この記事の存在を知った経過と、その経過に含まれる問題点については、これもまた重大なことなので、次回に報告します。 ……………………………………………………………………………… 読売新聞1999.1.24. (国際7面左上肩。2段17行分の写真入り) 写真説明:コソボ自治州プリシュティナの施設で、レントゲン写真などを使つて虐殺犠牲者の検視作業を行うユーゴとフィンランドの専門家(AP) 「セルビア警察撤退直後、検証団は村人と静かに話していた」 (縦5段の灰色縞地紋に3倍ゴシック文字) コソボ虐殺“演出説” (縦2段半の黒地紋に白抜きゴシック文字) 仏紙報道 (横3倍ゴシック文字) 【パリ23日=中井康朗】 ユーゴスラビア・コソボの民族紛争で、欧米が空爆ヘの傾斜を深める原因になったラチャク村のアルバニア系住民45人の大量虐殺事件に関し、アルバニア系住民の急進派武装組織「コソボ解放軍」(KLA)が軍事介入呼び込むため演出したものではないか、という疑問が相次いでいる。 セルビア当局は、KLAが自ら、戦死した兵士に農民の服を着せて現場に並ベたと主張しているが、仏有力各紙も「セルビア警察犯行説」に疑問を呈する。 事件があった15日は、セルビア警察が、全欧安保協力機構(OSCE)検証団やジャーナリストをラチャク村には入れなかった、とされていた。しかし、フィガロ紙によると、事実は違う。 この日朝から、KLAの拠点ラチヤク村で掃討作戦を行つていたセルビア警察部隊は午前8時半、米APテレビ取材班に作戦の撮影を許可し、OSCE検証団にも作戦を通知した。「検証団は米外交官ナンバーの車2台で現地に入り、1日中、村を見下ろす丘の上にいた」 警察部隊は午後3時、「テロリスト15人が戦闘で死んだ」と発表、3時半には村から撤収した。4時半には、フランス人記者が1人、村を通っており、検証団メンバーが住民と静かに話しているのを見ている。 6時に記者が村に戻ると、検証団は軽傷の村人4人を連れていたが、メンバーの表情は平静で、記者に「戦闘の結果は判断できないな」と言っただけだった。 その後村は、再びKLAが掌握。翌朝9時半になって、KLAがジャーナリストらとOSCE検証団を「虐殺現場」に案内、コソボ紛争始まって以来、単一のケースとしては最大の虐殺事件が知れ渡った。 またAPテレビのビデオによれば、戦闘は主に、KLA兵士が身を潜める森林地帯で展開された模様。村の方角からは、冬季にもかかわらず煙が出ている煙突は2本しか見えず、すでに大半の村人は離村した後であることを示していた。 ル・モンド紙は「戦闘中、警察部隊がこれだけの村民を集めて処刑できたのか」「残った薬きょうや血がなぜ少ないのか」、リベラシオン紙は「遺体はなぜ、半日以上もたった翌日になって発見されたのか」と問う。 事件は、検証団のウィリアム・ウォーカー団長が16日、「セルビア警察による虐殺」としたことから、ユーゴ当局が硬化、団長に国外退去を命じ、緊張が一気に激化していた。 ……………………………………………………………………………… なお、OSCE検証団のウィリアム・ウォーカー団長は「元米外交官」です。 以上。 |
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